「大きな事柄に向かえば、わたしたちは身をすくめ、
小さい事だとたかをくくって何もしない。
危険なことはわたしたちが結局、
何もしないということである」
モナド
荒野の泉 カウマン夫人著より
「大きな事柄に向かえば、わたしたちは身をすくめ、
小さい事だとたかをくくって何もしない。
危険なことはわたしたちが結局、
何もしないということである」
モナド
荒野の泉 カウマン夫人著より
「神はだれか、どこにいるか」
と質問する人には
「全く静まっていなさい」
というのが答えです。
神は安息の主です。
神がいて下さるところに安息があります。
神の中にとどまる人は
その安息に参与することが出来ます。
F・H・アレン
荒野の泉 カウマン夫人著より
今日は、昨年に続き、きらり町のグランドゴルフ大会に参加。
今年は、家内と孫二人も共に参加して楽しむ。
ゴルフ後の、ふれあい交流会館での慰労会では、ビールを飲み、団地内の人と親睦を深める。
今日は、一向平森林保全協会主催の「琴浦アルプス縦走登山」に参加。
好天に恵まれた。三度目の参加でコースも分り馴れた為、前二回に比べ楽であった。
しかし、難所では、滑落の恐怖を感じた。
自然の中を歩くと「生きている」ことを強く感じる。
普段の日常生活では味わえない感情。主催者による、山頂でのなめこ汁、下山後の手打ちそばのサービスが最高でした。
信仰はそうでないことを、そうだと信じようとすることではありません。
信仰とは、ただ神をみ言葉通りに受け取ることです。
信仰は一本の糸。細く、弱く
すぐにも切れてしまいそうな。
けれどもそれは持ち上げることができる。
失望の中にある
魂の重みを支えて。
マシュー・ビルダー
谷間の泉 カウマン夫人著より
生涯のそれぞれの年代には、その年代にしかない可能性と到達すべき場所があります。
それぞれの年代で勝利の生涯を送るために、私たちは自らの変化の事実を認め、
私たちが今たどっている特定の年代における美しさ、
素晴らしさを見出していかなければなりません。
有名な精神科医はこう言っています。
「私は神を信じ、死の恐れから自由にされて、生き生きと生きている老人でありながら、
精神的に病を持っているという症例を見たことはありません」。
日の出に向かって カウマン夫人著より
われ父の導きを理解し得ざるとき
またそれが困難かつ むごたらしき運命と見ゆるとき
なおわれは柔和なるささやきの訴えをきく
神は働きたもう
神は誠実なり
ただ待てよと
荒野の泉 カウマン夫人著より
「私に吹きつける荒れ狂う風も、神の手に握られています。
残酷なめぐり合わせの裏にも神の賢明な愛があり、神の愛の知恵があります」。
荒野の泉 カウマン夫人著より
われは歓喜とともに一マイルゆけり
彼女は道すがら語りつづけぬ
されど彼女の語ることは
われには何の益もなかりき
われは悲哀とともに一マイルゆけり
されど彼女は一言もわれに語らざりき
われ悲哀とともに歩みしとき
彼女より得しものは多かりき
荒野の泉 カウマン夫人著より