夕方、鳥取牧場のそばをスロージョギング中にパチリ。気持ちよさそうに食べていた。
今日は、赤碕小学校の運動会へ。孫娘の百メートル競走を楽しみに、それだけを見る為に。
スタートライン前で、目を凝らして見ていたが、見逃してしまった。年のせいで注意力も鈍くなったか。
知恵とは目の前の課題に取り組むこと、心をこめてそれに打ち込むこと、そしてそこに喜びを見いだすことである。マイスター・エックハルト
祈りの泉 365のことばより
八朔の木を4、5年前に植えた。毎年、実を付けるのを楽しみにしていたが、さっぱりであった。しかし、今年は花が咲いた。実がつきそうで楽しみ。毎日のように花を眺めている。花の中に米粒のような実が見える。
遊びの時間を生活の中にきちんと組み込んで、それを暮らしのリズミカルな流れの中で欠かせないものにしておくと、何をするうえでも「遊びの精神」を忘れないでいることができる。また逆に「遊びの精神」をもっていれば、暮らしのリズムの中で遊びの時間をちゃんと取ることができる。アン・ブレナン&ジャニス・ブルーイ
祈りの泉 365のことばより
わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである 。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。(第二コリント三・二)
最も価値ある生涯
この世を最も益するのは、結局のところ、落ち着いた静かな生涯である。彼らは恒星のようである。定められた場所にとどまり、神の与えて下さる光をもって輝いているのである。流星は、すばらしい輝きをもって大空を流れ下り、私たちは叫び声をあげて驚嘆する。しかし、流星が消えうせてしまったのちも、長く、恒星はなお輝き続け、私たちを導くのである。
自分の信仰を大声で叫ぶ必要はない。
静かな木、耳を澄ましている緑の芝ふ、
このほうが、私よりはるかに雄弁だ。
星は静かで、決して力を消費しない。
丘は沈黙を守っている。
しかし、なんとすばらしく、
神を語っていることだろうか。 チャールズ・ハンソン・タウネ
L・B・カウマン著 「山頂をめざして」より
勝敗を争う熱狂的なスポーツの中にも、聖なる健全さがあることに気づいた。どちらかを応援していると、自分が真にかかわっているという感じ、活気に満ち、はっきりと「今ここにいる」という気持ちを味わうことができる。・・・・自分が参加できるスポーツは瞑想のような体験、ただ単純に「ここにいる」という体験、楽しい光景を眺めるという体験の機会を提供してくれる。ティルデン・エドワーズ
祈りの泉 365のことばより
神をどういうイメージで描いているか、どんな神を信じているかが、祈りという旅のたどる道を決定づけるように思う。フィリップ・シェルドレイク
祈りの泉 365のことばより
わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく・・・・。(ローマ一四・七)
知恵ある者は人を捕らえる。(箴言一一・三〇英訳)
私の苦闘している仲間のために、絶えず関心を持つ熱心さを、私に与えて下さい。
そして、「道のかたわらの家に住んで、通る人の友となる」ことができますように!
十字架にかかられた主よ、私にあなたのような心を与えて下さい。
死んでゆこうとする魂を
私が愛することを教えて下さい。
そして、あなたと親しい交わりの状態に
いつも私の心を置いて下さい。そして、私に愛を
混じりけのないカルバリの愛を与えて下さい。
失われた者を
あなたのみもとにもたらすために。L・B・カウマン著 「山頂をめざして」より