与えられた一生の間に、自分自身と出会い、他人と出会い、それらの出会いを通して、
多分人間にとって最高の出会い・・大いなる慈愛に溢れた。人間を超えるものと出会うこと・・
これこそが、究極の「素敵な出会い」と呼ばれるものではないでしょうか。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
自分の子どもをほんとうに愛していらっしゃるのならば、
あなたの思う通りにしないでください。
子どもの一番伸びる道を選ばせてください。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
一日一日はていねいに扱われて然るべき価値あるものである。
何となれば、これから先何十年生きようと、
今日という日は二度とない「有り難い」希少価値をもった日だからなのだ。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
子どもたちの心が求めているのは、「人間は何のために生きるのか」
「勉強していることの意味は」「真の幸せとは」
ということを、ともに考え、悩む親、教師の姿であり、「ひと」を超えた存在への畏敬の念を持ちながら、
今日という日を感謝して生きる謙虚さに溢れた大人の姿であろう。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
互いに「相手が悪い。相手が変わりさえすれば」と言っている限り、
物事は変わらない。自分が先ず、踏み出し難い一歩を踏み出すこと、
それをしも、人間の真の勇気という。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
ほほえみを惜しんではいけないのだと思います。
ほほえむことができるということは、
一つの恵みであり心が健康な証拠なのですから。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
問題が起きた時に、取り乱してしまわないで、
「今一番すベきことは何だろうか」と考えるのです。
最善の手が打てないとしたら、
次善のことはなんだろうか。
二番目にいいこともできないとしたら、
その次にどうしたらいちばんいいだろうかと。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
いつまでも腹を立てていない。
いつまでも悲しんでいない。
いつまでも喜び踊って、笑い転げていない。
ある程度適当に処理しておさめることができる。
それが大人というものです。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
その人が、死後も「自分のもの」と呼べるもの、
その人とともに永遠に残るものは、
生存中に「与えたもの・・愛」なのだ。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
苦しいから死んでしまおうでなくて、
苦しいからもうちょっと生きてみよう。
なぜならば、その苦しさは必ずどこかで薄らぐからです。
その苦しさは、必ず後ろに、自分の背後にいきます。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
今の日本の国で、欲望はお金があればほとんど満たされます。
欲しいものはほとんど手に入る。
しかしながら、お金で解決できない、
人間の心の憶測にあるアンバランス、満たされないものにもっともっと目を向けていきたいと思います。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
運命にただもてあそばれるだけの、操り人形のような自分の人生であってほしくない、
すべてのことには、それなりの意味があると信じて、一つひとつのことを受けとめてゆきたい。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
祈りつづけているのに、その願いが叶えられない人には「切なく辛い思い」することが"必要"なのでしょう。
それが必要だったと理解できるのは、まだまだ先のことになると思います。
信仰というのは、その間の"闇の時間"を、光の存在を信じながら生きることといってよいかも知れません。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
どんな小さなことにも、つまらない仕事にも愛をこめる時、それはキリストとの出会いになる。
なぜなら、「愛いあるところに神はまします」からである。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より