自分の家族を煩わせるものは風を相続し、
愚か者は心に知恵ある者のしもべとなる。(箴言一一29)
家庭がうまくいかないということは、私たちのまわりを見わたすと、
それこそどこにもあるようです。
家庭の中心となるべきものは愛です。
愛によって、家庭はやすらぎの場となります。
ここでやすらぎを得てこそ、外で活躍する力が私たちに与えられましょう。
家庭が平和でないと、外での対人関係もスムーズにいきません。
家の中がいびつなら、外に出てもいびつでする
「自分の家庭を煩わせる者」=家庭にひずみを与える者です。
家庭にひずみを与える子がいると、その家庭はどんなに苦しく、また暗いことでしょう。
また、父親が家庭を顧みず、家庭に仕える愛の責任を果たさない時、どんなにその家庭は、冷たく寂しくうつろなことでしょう。
家庭の一人1人の心に与える傷は深く、家庭をダメにしてしまうのです。
「風を相続する」=人生をうつろにしてしまうことです。
心の一番奥底に、後ろめたさ・寂しさがつきまといます。
その結果、対人関係も自信がなくなり、うまくいかなくなります。
他人なら逃げだすことができても、家庭は互いに逃げ出せません。
苦しめたり苦しんだりするのです。そして、もし逃げ出せばおしまいです。
そんな状況の原因となる人は、それ以外のことでもうまくいかないでしよう。
人の実力とは、単なる能力だけではありません。
頭が切れること・仕事ができること・人が使えること・先が読めること・計画がよく立てられることでもありません。
まわりの人を愛し受け入れていけることではないでしようか。
現代ほど愛の歌をうたう時代はありません。しかし愛はどこにあるのでしょう。
「ここに愛がある」(Ⅰヨハネ四10)と聖書は言います。神に、キリストに、その十字架に、現代の奇跡があります。
箴言の恵み 今日の知恵 明日の知恵 羽鳥明著より
今日は、33回目の結婚記念日。
性格、趣味は、正反対なところが多いが、けんかはしない。
家内は、整理、整頓、清潔に徹底していて少しでもちらかっているとストレスがたまるらしい、趣味は文化会系(運動が好きではない)など。
私は、とっちらかっていても全然気にならない、体育会系(音楽会など好きではない)など。
ただし共通点もある、お互い琴浦町出身、同じ高校出身(家内は一級後輩になる)、動物嫌い。
二人とも、大病もなくここまで来れたこと、今も一応健康であることに感謝。
先日、テーブルをリサイクルショップから5千円で購入。
そのテーブルの表面を二日間かけてサンドペーパーで磨き、ワックスをかける。
木目が綺麗になって大満足。
私のたましいは主を誇る。(三四・二)
あなたの人生の誇りは何でしょうか。
あなたの人生を支えているプライドは何でしょうか。
人生には、プライドがなければと思います。
子どもというものは、自慢屋ですが、変なものを誇りとしています。
「うちのパパは、毛が一本も生えてなくて、つるつるだぞ」と、近所の友達に大自慢で話していた子がいました。
大人になると、そんなことは誇りにしません。
むしろ、「私など、だめでして、平々凡々で・・・・」などと、誇りを隠し、プライドをカムフラージュして謙遜を装います。
しかし、九九・九パーセントの大人は「自我」の中にプライドを持ちます。
自分の容貌、肩書き、顔がきくこと、蛮勇、健康、門地門閥。
何も誇りがないと、おれの家の隣は女優○○の家だぞ、などと子供っぽい誇りさえ持ちます。
自分は偉い、自分は豊か、自分は力強い、自分の考え方の方が良い、自分が正しい。
この自分は正しいとするエゴイズム、自己主張、自己義認、自己追求が、大人の誇りとするところの中心となります。
だから、この世には、争い、ねたみ、悪意、そねみ、ひがみ、悪口が絶えないのです。
しかし、心から、恵み深く、愛深く、きよい神をあがめ、喜び、恐れ、従い、神を誇りとし、
すべての栄光を神に帰し、恥はわがもの、栄光は神のものという生き方ができるようになってごらんなさい。
神に喜んでいただけるし、自分の心もすっきりと喜びに満ち、他の人ともすこぶる仲良く、平和に愛し合っていけるのです。
あなたの魂の奥底で、あなたは何を誇りとしているでしょうか。
今日の詩篇明日の詩篇 羽鳥明著より
人の心は不思議なものです。
私たちを愛する人々や、私たちと親しい人々に取り囲まれて過ごしている時、
そのような時でも、私たちは時々、ひどく孤独感に襲われることがあります。
私たちの親しい友と、本当の喜びを分かち合えないのです。
ましてや、私たちの苦しみを理解してもらえないのです。
「私を本当に理解してくれる人、私が感じるように感じてくれる人など、ひとりもいない。」
これが、私たちの本音ではないでしょうか。私たちはみな、孤独の道をひとりで歩いているのです。
私たちの人生に対する神のご計画が、どこで、どのようになされようと、私たちの心は不思議な存在であり、
めいめいは孤立した独自の内なる生活を送らねばなりません。
これはなぜでしょうか。あなたはお分りですか。
それは主が、私たちの愛を求められるからです。
どの人の心の中でも、主は第一人者でありたいのです。
だから主は、ご自分の方に来る霊魂に、全き同情ときよい平安をもって祝福を与えるために、
全ての部屋を開ける鍵を用意しておられます。
私たちが、このように孤独を感じる時は、それは主が「私のところへ来なさい」とお呼びになっているみ声なのです。
「だれも、私を理解してくれない。」と私たちが思う時があるならば、それは同じように、私たちを主が招いておられる時なのです。
キリストだけが、私たちの霊魂に満足を与えてくださいます。そして、主と共に日々歩む人は、決して『孤独の道』を歩むことはありません。
荒野の泉 カウマン夫人著より
親は人間として大切なことを子供に伝えたいと感じています。
親にとって大切な信条であるだけに、大人は子供に向かって必死で
説きます。
とくに子供が思いに反するとき、力をこめて、この大切な親の考えを説くのです。
親が真剣であればあるほど、子供は圧力を感じ、自己防衛が働いて、耳をかたむける
「余裕」などありません。
大切は価値観は、清水が湧きあふれ出し、大地をうるおすように、
あたたかい雰囲気の中で、親が自分にとって本物であることを自然にあふれさせるときに、
子供に伝わってゆくのです。
シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
らくだが夜明けに膝を曲げて、
その背に鞍をのせ、
そして荷物と道案内人とを乗せると、
元気よく起き上がって、
砂漠の道を進んで行きます。
そのように、あなたも夜明けに
ひざまついて、
神があなたもその日をかえりみてくださることを、
また、神はあなたを運ぶのに
重すぎる荷を決して負わされないことを、
確信して立ちあがってください。
作者不明
荒野の泉 カウマン夫人著より
朝ごとに、天の窓に腕をのばし、
しばし、じっとあなたの神を見つめなさい。
きっと、あなたの心は強められ、
その日を迎えるに十分な力が、
心の中から湧き上がってくるでしょう
作者不明
荒野の泉 カウマン夫人著より
神の優しさの、生きている表現でありなさい。
あなたのまなざしに神の優しさが、
あなたの表情に神の優しさが、
あなたのほほえみに神の優しさが、
あなたの暖かいあいさつに、神の優しさが表れますように。
わたしたちは皆、ほんの少しお役に立ち、
そして、過ぎていく神の道具なのです。
思いやりの行為の表れ方は、
その行為そのものと同じように大切なことだと、
わたしは信じています。
マザー・テレサ 日々のことばより
あなたは自分の道を選んでいたのです
人生を歩む上で、手違いが起こることは、あなたが想像するほど多くはありません。
進路の決断を迫られるときはもとより、一見なんの脈略もなさそうな体験をするときでも、ほとんどの場合あなたは自分の成長に役立つ選択をしているのです。
あなたの人生の選択は、あなたにとってそれなりの必然性があったのだということに、かなり後になってから気がつくはずです。
あなたがこの世にくる前に、あなたは自分の道を選んでおいたと考える人もいます。
それはまた、あなたの背後に働く見えざる御手が、たえずあなたを導いていてくださるということでもあります。
シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
月曜日(4月15日)所要にて大阪日帰り。
経費削減の為、倉吉より高速バスを利用。
帰りは難波18時30分発→倉吉駅20時5分を利用して帰って来た。
なんとそのバスには2人だけしか乗ってなかった。
29人乗りのバスに2人だけの貸し切り状態。