沈黙の時間をたいせつにしたいものである。
それは自己を見つめる貴重な時間であり、
言葉が、真に「自分の言葉」になるために欠かせない条件だからである。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
沙羅双樹の花と言われる夏椿
「祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす」
この花は、朝咲いて夕方に散る。
その散るさまは、花びらを散らさず、地面に落ちる。
そこで平家物語では世の無常をあらわす花としたようだ。
花びらを散らさず、散るさまがなんとも趣がある。
最初の出逢い以上にたいせつなのは、
同じその人と、絶えず新たに出逢うということではないだろうか。
馴れてしまわないということ。
それは一期一会の心構え、緊張感と言ってもよい。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
苦しみそのものを決して良いとは思いません。
思えないから「苦しみ」というのです。
しかし、苦しみにも意味があると知る時、
苦しみは担いやすくなります。
私たち一生の間の絶え間ない課題の一つは、
この苦しみに意味を見出すことといってもいいでしょう。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
先日、窓を付けるリホームをした。
以前から、窓が欲しい(採光と風通しのため)と思っていた。
後で窓を付けるのは、大変な作業だと思っていたら、案外簡単にできた。
さすがプロの大工さん。
before
after
人は、話す前は自分の言葉の主人だが、
口から出てしまった後は言葉の奴隷でしかない。
そのためにもよく考えて話すことがたいせつだ。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
一日一日はていねいに扱われて然るべき価値あるものである。
何となれば、これから先何十年生きようと、今日という日は二度とない「有り難い」
希少価値をもった日だからなのだ。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
人間にはいろいろの力が与えられているけれども、
その中で最もすばらしい力は、物事に意味を与えることのできる力ではないだろうか。
苦しみにさえ価値を見出し、ありがたいと思うことができ、
逆境においてさえほほえむことができるのが人間である。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
人生は、いつも第一志望ばかり歩けるものでない。
そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、
自分にとって最良と言えないないことだってあるのだ。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
私たちは、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。
「ただ働く」だけの日々でもなく、生活の随所に愛をこめ、
意味を見出し、自分しか作ることのできない、"財産"としての毎日を過ごしたいと願っています。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
目に見えるものにのみ心奪われ、数で表される物の多さ、点数等にこだわり過ぎると、
本当にたいせつなものを忘れてしまう。
心が求めているものはそこにはない。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
「好きである」ということは、必ずしも「愛している」ということではありません。
「好き」というのは、自分にとって好ましいかどうかという関係にかかっていますが、
「愛する」ということは、自分の好き嫌いとかかわりなく、対象を「価値あるもの」と見なすことなのです。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
互いに「相手が悪い。相手が変わりさえすれば」
と言っている限り、物事は変わらない。
自分が先ず、踏み出し難い一歩を踏み出すこと、それをしも、
人間の真の勇気という。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
ぶつかりやすい相手との間には、ある程度、距離を置くのも一策である。
車でも車間距離を取るように、適度な人間距離が、ぶつかりあいを防いでくれる時がある。
それを"賢さ"というのかも知れない。
愛と励ましの言葉366日 渡辺和子著より
ソフトバレーにも、時間をついやしている。
4回/週、楽しんでいる。
やるからには、うまくなりたいので、その為に、スロージョギング等して鍛えている。
ソフトバレーは、体の老化防止、ストレス解消に良い。