自分の家に帰りなさい。 そして身内の人に、主があなたを憐れみ、 あなたにしてくださったことを ことごとく知らせなさい。(マコ5・9)
神さまの恵みに癒され、 新しい命によみがえったなら、 まずは家族に知らせましょう。 それを一番待ちわびているのは家族なのです。
片柳弘史著 「始まりのことば 聖書と共に歩む日々366」より
自分の家に帰りなさい。 そして身内の人に、主があなたを憐れみ、 あなたにしてくださったことを ことごとく知らせなさい。(マコ5・9)
神さまの恵みに癒され、 新しい命によみがえったなら、 まずは家族に知らせましょう。 それを一番待ちわびているのは家族なのです。
片柳弘史著 「始まりのことば 聖書と共に歩む日々366」より
始めには 土まみれの 小石でも 雨にたたかれ 小川に流され 宝石のように 美しくなる。
ごつごつした きたない 心の人も 神の力 聖霊の恵みで 美しい人格 聖者ともなる。
私の心にも 満ちて下さい 聖霊の神よ
小川に輝く 美しい 小石のように 輝かせて下さい。
中山吾一著 「一日一詩 永遠の旅」より
肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。―ヨハネ三・六― 人間がどうしても悔い改めようとしないのはなぜでしょう。 それはたぶん、それぞれ幾多の異なった原因があるでしょう。 しかし、ほんとうの原因は、キリスト教は、喜びと幸福とを人々から奪うものだと思っているからに相違ありません。 クリスチャンになれば、ダンスや飲酒、カード遊びや観劇などその他いろいろのすきな娯楽を全部思いとどまらねばならない。 そして、その代わりに、あまり気乗りもしないのに毎日何度となく祈ったり、日曜日に教会に行ったりしなければならない。 善人にちがいないだろうが、偏狭でまじめくさった信者たちとの交際をはじめたりしなければならない。 また、いっしよに集まったりしたときは、いつも聖書を読み、讃美歌を歌い、祈らなければならない。 というふうに一般に考えられているようです。 一般の人たちの言う理想的な生き方というのは、命のあるかぎり、「生活を楽しみ」そして最後に死期が近づくとか、病気になった時には、 信仰深くなって、聖晩餐にあずかり、安心して永遠の眠りにつき、葬式に際しては、牧師にその生涯をほめた美しい言葉述べてもらうことにあるようです。 その人たちは、実際にそのような生活をしています。 彼らはキリスト教を誤解しているのです。 彼らは、キリスト教とは、自然のままの人間が、欲求することを、無理にやめさせて、そのかわりに、 欲しないことを強制的に行わせる宗教だと思っています。 しかし、これはほんとうのキリスト教ではなくて、にせのキリスト教にすぎません。 新しい生まれ変わりを経験しなかった者が、古いままの心で、いやいやながら神に仕えようとする一つのくわだてであります。 霊による生まれかわりというきよい奇跡によってのみ、キリスト者となることができるのであります。
O・ハレスビー著 「みことばの糧・365日の黙想」より
苦しみがない人にはなれなくても、 苦しみを乗り越えられる人にはなれます。 恵まれた人になれなくても、 恵みを見つけられる人にはなれます。 変えられないことを嘆くより、 自分に変えられることを探しましょう。
片柳弘史著 「こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366」より
私たちに喜びを与えない宗教はたいして役にたちません。聖書は喜びの書です。 ネヘミヤは「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(ネヘミヤ八・一〇)と言って、人々に泣くのをやめるよう勧めています。 エズラは、神殿を再建し終わったとき、人々の心が喜びに満たされたことを述べています。 「主が彼らを喜ばせ・・・・・」(エズラ六・二二) イエスは弟子たちに、ご自身の使命の一つは、彼らに主の喜びを与えることであると述べておられます。 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです」(ヨハネ一五・一一)。 喜びを得るためには、必ずしも悲しみや、苦痛や、試みがなくなる必要はありません。 これらのことの中にあっても、イエス・キリストによる神の喜びはあるのです。 もし、私たちの宗教が喜びの祝福を私たちに与える力がないなら、私たちがキリストに完全に服従するという点が、私たちの信仰の内容の点で、誤りがあるのです。
ポールB.スミス著 山口昇訳 日ごとの福音より
動物は肉体的欲求が満たされれば、それで満足します。 私たちは動物がそれ以外のものを期待したり、必要としていると信じる理由を見いだすことはできません。 人間の歴史は何度も何度も、物質は人間に必要であることを証明していますが、物質はけっして人間を満足させませんでした。 人間の心には物質界を越えたところに、心を養い満たす霊的食物を得ようとする絶えざる要求があります。 ですから、すべての人が宗教を求めているのです。 神はこのことをご自身の民に荒野で示され、イエスもサタンに対する答えとして、このことばをくり返しておられます。 「人はパンだけで生きるのでなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(申命八・三、マタイ四・四、ルカ四・四)。 神なしには、人間は霊的に死んだ者であり、その魂は飢えています。神がともにおられれば、その人は霊的に生きており、魂は満足しています。
ポールB.スミス著 山口昇訳 日ごとの福音より
思った通りにならなければ腹を立て、 思った通りになれば当たり前と 考えてしまいがちなわたしたち。 思った通りにならなくても当たり前、 思った通りになればありがたいと 考えられるようになれば、 もっと幸せになれるでしょう。
片柳弘史著 「こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366」より
「隣人を自分のように愛しなさい」 と言いますが、 人間は、自分を愛するようにしか 隣人を愛することができません。 自分を厳しく裁いて 駄目な人間だと決めつける人は、 隣人も同じように厳しく裁いてしまうのです。 まずは、自分を愛することから始めましょう。
片柳弘史著 「こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366」より
自分の悩みから世間態を除くがよい。 真に悩むべきものは何かが、はっきりし、悩みは確かに半減はおろか、皆無になることさえある。
三浦綾子366のことばより
野の花は、 自分の存在にどんな意味があるのかと 考えて悩むことも、 他の花と美しさを 競い合うこともありません。 ただ、自分の花を 精いっぱいに咲かせるだけです。 野の花から、生き方を学びましょう。
片柳弘史著 「こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366」より
しかるに、 神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。Ⅱコリント2:14
神は、いろいろなことを求められますか、神の要求に答えるためのダイナマイトのような大きな力は、神ご自身です。 神はいつも、そのわざをなす力を与えてくださいます。私たちは、自分の能力のゆえに選ばれたのではなく、神の力のゆえに、神の力が私たちの弱さに現れるために選ばれたのです。 イエスは、過去・現在・未来を通じての勝利者です。主は、私たちが勝ち得て余りがある、余裕をもって勝利できるようにしてくださいます。
主よ。感謝いたします。今日も明日も、問題に対する勝利は、はっきりしていますから。
コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より
教会の礼拝には自転車で行く。 今日は、その帰りに二人の同級生と会う。 一人は訪ねて行き、もう一人は買い物の途中で会い話をする。 同級生はいつでも気楽に話せる、特別な関係。
条件を付けて相手を縛るのは、 真実の愛ではありません。 真実の愛は、 無条件に受け入れることで 相手を自由にするもの。 「この人の前では、 ありのままの自分でいられる」 と感じさせる人こそ、 真実の愛を生きている人です。
片柳弘史著 「こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366」より
何のために生きているのか 分からなくなるほど疲れたときは、 わたしたちの存在を 喜んでくれる人の顔を思い出しましょう。 その人の笑顔が、 今日を生きるための力になるはずです。
片柳弘史著 「こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366」より