シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
愛するゆえに
「愛する人たちにのみ死がある。そして愛する人たちには死はない」
という言葉があります。
新聞に載っている死亡の欄を多くの人は、情報として受け取るでしょう。
しかし愛する人たちにとっては、その人の死を胸の張り裂ける思いで実感しています。
愛する人のみが、死を体験しているのです。
と同時に、愛する人たちの心の中では、死んでいった人たちが、
今までよりも強い命の絆で生き始めます。
荒野の泉 カウマン夫人著より
もし神の見たもうごとく
われら将来を知るを得ば
またすべての雲はまき去り
蔭も去りゆかば
いまの悲しみをわれはなげかじ
すべての悲しみをわれは忘れん
そは なお多くの喜びは
なんじとわれを待つゆえなり
もし神の知りたもうごとく
われら将来を知るを得ば
いとしき宝は去りて涙あふるるとも
暗きはやがて光となり
ものうき道も輝きいで
ついにこの世の矛盾は正されん
信仰はかくわれを教う
われらしばしばかく言えり
もし見るを得ば また知るを得ばと
されど神は愛もてヴェールをかけ
われらの道をかくしたもう
われら行く手に横たわれるものを知らず
さらばこそいよいよすがりまつるなり
彼は生命の終わるまで導きたもう
ただ彼に寄りたのみ従いまつれ
荒野の泉 カウマン夫人著より
悲しみの空より落つる
しずくによりて花は生く
涙にうるむまなこなくば
人の世に喜びとてはあらじ
なんじその悲しみを愛せよ
さらば悲哀は後に自らのことを述べん
にじ!いかばかりうるわしきものよ
神はこれを涙より造りたもう
ヘンリーS・サツトン
日の出に向かって カウマン夫人著より
わたしはぶどうの木、あなたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ああ、努力は長く続かないし、苦労が実を結ばせるわけでもありません。
ただイエスがあなたをイエスご自身につないで下さるように。
ちようどぶどうの木の枝が、その根もとにつながっているように。
主とつながりが単的で深く強くあれば、イエスの命はあなたの命にかわり、
彼の愛があなたより流れでるのです。
チャールズ・カウマンの聖書に書きこまれた文より
今日は、隣の畑の方から、ナスとピーマンとかぼちゃを頂いた。
その大きさにびっくり。
ナスは30cm位、ピーマンは10㎝角位で我が家の3倍位。
やはりプロは違うと感心しきり。
マザー・テレサ 日々のことばより
もし私たちが願うなら、
人が失敗したときでも、
神は、方法を見つけてくださいます。
荒野の泉 カウマン夫人著より
また、徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。ピリピ四・8
人が作られるのはその人が何をするか、何を言うかではなく、何を考えるかによります。
何を考えるかがその人の言動を決定します。
人は自分のことばや行いを、自分が実際に考えることとかなり違ったものにしようとしても、なかなかうまくいきません。
行為とことばは立派にしても、それ以上のものは思想です。
魂が整えられていないと、本質は他人に見ぬかれてしまいます。
パウロは人間の心と性格をよく知っていました。それで「すべて真実なこと、すへて愛すべきこと、
すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい」
とすすめています。これらのものが私たちの思想の中に留まるならば、これらの徳は私たちを、それに似たものに変えていきます。
パウロの考えは、F・G・バローによつて、次の詩に歌われています。
もしあなたが立派な人になりたいなら
立派なことを考えよ。
深い考えは深い人を作り
優しい考えはあなたを良くし
喜ばしい考えはあなたを楽しくさせる。
あなたが考えるように
あなたの人生は成るのだ。
真実で、尊く、正しいものが何であれ
それを考えよ。
そうしたら、あなたはそれに似るにちがいない。
よい評判、愛すべき潔いことを考えよ。
そうしたら、あなたの思いは美酒を得る。
神について考えることを多くせよ。
そうしたら、あなたは神のようになる。
信仰と希望と愛のことばで
すべての汚れた悪口から
神のイメージを守りなさい。
神に用いられるように
神殿を潔く保ちなさい。
あなたに降りかかろうとする訓練に負けてはなりません。
あなたが最も望むような人になりたいなら、
クリスチャンの生活を真実に生きることです。
悪い考え方を捨て、良い考え方をするように努力しましょう。
あなたが失望してお手上げの状態になるとき、
聖霊はそのような考えをあなたを通して生かして下さいます。
聖霊に機会を与えなさい。
神があなたの人生に求めておられることを、
聖霊によってやっていただきなさい。
ヨハネによる福音書11:1-6
ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。
このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。
姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。
イエスは、親しくしている人が「病気だ、助けてくれ」と言われても二日間動かれなかった。
すぐに来て助けてくれればと親しい人は願うが、そうはされなかった。神の時があるということ。
我々の思いと、神の思いは違う。しかし最終的には、我々には最善の結果となる。
山頂めざして L・B・カウマン著より
あなたの足の道に気をつけよ、そうすれば、あなたのすべての道は安全である。
(箴言四・二六)
周囲に気を配り、用心深く歩みなさい!
あなたは時々、へいの上部がモルタルになっていてそこにガラスの破片が立ててあるのを見たことがあるだろう。
それは、子供がその上を歩くのを防ぐためである。
いつか私はねこがそのようなへいを歩いているのを見たことがある。
そのような場合、ねこは用心深く歩く!
ねこはなんと注意深くその足をおろすことであろう。
一歩ごとに、ガラスの破片のない所を捜して、そこに足をおろすのである。
あなたも私も、もしこの世にあって神のために何かをしようとするなら、
そのように歩まなければならない。
D・L・ムーディ
暑くて日中は、畑仕事ができない。
畑仕事と言っても、ほとんど草刈りではあるが。
今までは、昼前(10~12時頃)にしていたが、この暑さでは無理である。
最近は、早朝(6~7時頃)に変更した。
朝は読書の時間にあてていたが、やむをえない、
ほおっておくと草畑になってしまう。
しかし、早朝の畑仕事は、気持ちが良いのが救い。
シスター鈴木秀子の愛と癒しの366日より
怒ったり悲しんだりしている時、すぐ自分の中の心の状態に気づき、
もう一人の自分が自分自身に向かって実況放送します。
ただ事実をたんたんと述べていくだけです。
たとえば「今私は悲しい気持ちでいっぱい、何となく沈んでいる、
何だか胸が押しつぶされる」という具合です。
この実況放送をすると自分の中で何かが違ってきます。
今日はこれを試してみましょう。
マザー・テレサ 日々のことばより
祈ることを愛しましょう。
日中たびたび祈りの必要を感じ、
祈るように努めましょう。
神はいつも私たちに語りかけておられます。
神に耳を傾けましょう。
神は私たちに、
深い愛と思いやりとゆるしの心を
望んでおられます。
昨日は、一向平森林保全協会主催の花のユーチピアと野田ヶ山登山に参加
コースは、大山寺宝物館~大神山神社~下宝珠越(標高1242m)~ケルン~ユートピア(標高1550m)
~三鈷峰(標高1516m)~ユートピア~象ケ鼻~振子沢~振子山(標高1452m
)~親指ピーク~野田ヶ山(標高1334m)大休峠(標高1100m)~大山滝~一向平
大山寺宝物館を7時頃スタートして、一向平に着いたのが16時40分頃、昼食休憩等を除くと約10時間、登り、下り、歩いたことになる。
こんなに長時間よく歩いたものだと思う。団体行動なので途中でキブアップするわけにはいかない。一人ではできないと思う。
梅雨のさ中で、雨を心配したが降らなくて良かった。しかし昼頃まではガスがかかり展望はいまいちであった。
ユートピア手前では、虫の大群に悩まされた(防虫ネットが必要であった)
ユートピアで昼食をとったが風が強く寒かった(鳥取県はこの日36℃の猛暑であったがさすがに山の上は違う)
親指ピーク付近の下りはブッシュ帯でヤブ漕ぎに苦労した。
また午後からは天気が回復して晴天となり、今度は暑さに悩まされる。
虫の大群、強風、ヤブ、暑さと色々困難はあったが、そのために達成感は格別。
またユートピアではスイカの差し入れがあり感激、スイカ背負っての登山は大変。
普段でも膝が痛いが、登山できる健康に感謝。次回も挑戦しようと思う。