自分に合わない人、ぶつかっている人、ふれていきたくない人も敬い、大切にしなければなりません。これは、がまんではなく、いのちの訓練です。人とぶつかるとき、だいたい逃げてしまうか反対してしまいます。ふれていきたくない人を受け入れて成長することです。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
自分に合わない人、ぶつかっている人、ふれていきたくない人も敬い、大切にしなければなりません。これは、がまんではなく、いのちの訓練です。人とぶつかるとき、だいたい逃げてしまうか反対してしまいます。ふれていきたくない人を受け入れて成長することです。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
だれかとの出会いによって、人生は変わっていくことがあります。また、そばにいなくても自分に影響を与えている人の存在もあります。すべてのかかわりを、神さまは定めておられます。人とのかかわりを大切にしたいものです。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
夜と昼との間なる 朝のいと早き時 暗さは地上より 静かに去りゆく
なが静かなるへやにて イエスと語るは楽しきことなり 来るべき日とその義務につきて 主のみ旨を知らんために
さすれば彼低く横たわる山々に なが前に先立ちて導きたもう 淋しき場所を花咲く所とし にがき流れを甘くしたもう
なんじこの勝利の生涯を知るや すべての道における勝利を されば神を始めにおけ その日その日の始めに
カウマン夫人著 荒野の泉より
つらいことをはっきり言う人、真実にふれる人は怖いかもしれませんが、
受け入れる心を培い、受ける器になっていくと、心はとけていき、寛大になれます。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
自分に与えられた恵みに毎日感謝をささげることは、とても大切なことです。自分のつらさ、悲しみにとどまっているよりも、神さまの恵みに気づき、感謝していくことで、恵みはよりいっそう豊かになっていきます。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
私の趣味の一つは、古本あさり。
ブックオフや古本屋には、よく行った。
まだ行ったことがない神田の古本屋で、ゆっくりとするのが一つの夢であった。
しかし、今は、その必要がなくなった。
ネットのオークション等で十分古本あさりができる。
興味のあることば(例えばキリストなど)を入力するだけでいくらでも物色できる。
またその本を実際開いて見なくても、web検索である程度内容までわかる。
交通費ゼロの古本あさり。これぞ古本天国。
人を裁く裁きで、自分が裁かれます。壁に投げたボールのように、跳ね返ってくるのです。
自分の靴が汚れているのに、人の靴の汚れを気にしていませんか。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
偶然というものはありません。起こってくることには神さまの働きがあり、それらは永遠の計画の中の瞬間なのです。神さまにゆだねて、感謝しながら、摂理のうちに生活してください。分析しはじめると恵みは消えていきます。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
昨日、水仙の花を頂く。この花は、冬の寒い時に咲くイメージがあるが、もう開花しているとは驚き。
このところ暖かい日が続いているが、冬はもうそこまで来ている。
よい香に癒される。
『あなたの道を主にゆだねよ。』詩三十七ノ五
きょうの周囲に
信頼の小さき垣を築け
愛のわざをもてその空所をみたせ
かくしてその中に止まれ
隠れ家の横木より
あすを眺むるなかれ
神は喜びをも悲しみをも
すべて来るものを負う力を与えたもう -メリー・パツツ
荒野の泉 カウマン夫人著より
『あなたの道を主にゆだねよ。』詩三十七ノ五
あなたを圧迫するものが何であっても、父のもとに行って語りなさい。
何もかも彼のみ手にゆだねなさい。そうすればあなたは、この世の満ち満ちている私たちを困惑させる思い煩いから救われる。
あなたが何事かをしようとするとき、または何物かを受けた時、また何らかの目的を果たす仕事をしようとする時、行ってこれを神に告げなさい。
そうです。神にその荷を負わせなさい。そうすればあなたは思い煩いの始末をしたのである。もはや思い煩ってはならない。
静かにまた快く、あなたの義務を勤勉にはたし、あなたの事件の成りゆきに対して神に信頼しなさい。
あなたの思い煩いまたそれと共に、あなた自身を一つの重荷のようにして、皆あなたの神にゆだねなさい。-R・レートン
荒野の泉 カウマン夫人著より
兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、
霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。
それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。(ガラテヤ六・一)
あら捜しをすることに伴う、人を軽べつし害する力を、私は拒否する。他の人の欠点を思いめぐらすことを拒否する。
それを考えることを拒否する。まして、それを口にすることを拒否する。
人の欠点、もろさ、弱さを見つめ、あるいはそれについて語るように誘惑されるとき、私はいつも次のように言う、
「もし私が彼らのように生まれ、彼らのような環境に取り巻かれ、彼らのように裏切られたならば、私の生涯はどうなっていただろうか」と。
神によって照らされた想像力のひらめきによって、私は人の欠点をこう考えよう--もし父なる神の計画されたとおりになるならば、
これらの欠点はどのようになるだろうかと。
私の一大決心は、決して人を非難しないということである!
もし私が欠点について語らなければならないとすれば、多くの祈りののち、彼らを勝利に導く道を見いだそうという動機だけをもってそうするであろう。
「主は我らの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えられる」。私たちも、そのようでなければならない。
自分の見ることのできない人の心を
さばいてはいけない。
あなたのかすんだ目に汚点と見えるものが
神のきよい光に照らして見れば
傷跡であるかもしれないのだ。
あなたなら、気を失い
屈服したであろう戦いの場で
勝利を得たときの傷跡であるかもしれない。
山頂をめざして カウマン夫人著より
子どものもつ聖なる場所に母親は入りすぎませんか。
別れていかなければならないときがあります。
子どもは成長し、自分の使命を果たすために出ていきます。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
嫉妬心は男にも女にもあります。真実か事実か嫉妬心か、心を見るとき、自分自身を発見します。自分のことを棚にあげてしまわないように。悪口も嫉妬心からきます。悪口をやめて自分の力を生かすことが大切です。妬みに無駄なエネルギーを使わず、生かすことに力を注いでください。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
わたしたちを日常生活の束縛から自由にするためにイエスさまはこられました。自分がつくっている束縛に気づくように。
バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より