『それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように。』一サム三ノ十八
すべてのことに神を認めなさい。そうすれば、神はあなたの見るすべての物を色づけ、また静めたもう。
わたしたちが悲しんでいる環境は除かれず、その状態は変わらないかも知れない。
しかしもしも、キリストが、わたしたちの主として、悲哀と暗黒の中に入りたもうならば「彼は救いの歌をもってわたしをかこみたもうのである」。
彼を見るならば彼の知恵は誤ることがない。彼の力は衰えることがなくまた彼の愛は変わらないことを確かめ、わたしたちに対する苦しい取り扱いも、わたしたちにとって深い霊的利益であることを知ることは、
死別と悲哀と苦痛と損失の中にあっても、「主が与え、主がとられたのだ。主のみ名はほむべきかな」と言い得る力なのである。
すべてのことに神を認めることばかりが、わたしたちを悩ます人々に対して、愛と忍耐とを持たせる。
このことがわたしたちに対する神のやさしい、また賢い目的を完成させるための唯一の方法であって、彼らがもたらす祝福に対して、わたしたち自ら衷心感謝するようになる。
これ以外のものはすべてつぶやきと、神に反抗する思想を完全に打ち切ることはできない。
ーH・W・スミス
荒野の泉 カウマン夫人著より
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