「北の山・じろう」日記

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ウクライナ紛争は、ロシア内戦(1918ー1922)によく似ている<2024・12・16

2025-01-12 17:15:17 | 中立の視点で見るウクライナ紛争

ウクライナ紛争について以前から受ける印象は、まず思い浮かぶのがロシア内戦(1918-1922)です。
第1次世界大戦のさなかにロシアで1917年10月、十月革命が起きます。革命で誕生したのがボリシェビキ政権です。
地域的にも重なっており、参加している国や地域も重なっています。十月革命の後には内戦が起きました。
詳しくは、ウイキペデイアの記述を読んでください。
【ロシア内戦】


旧帝政ロシアが赤色革命により崩壊したことで赤軍と皇帝に忠誠を誓う白軍の間で戦争が戦われました。
白軍の主力は、ドン・コサックです。ここにイギリスやフランスが援軍を送り介入します。しかし白軍は劣勢となり最後は、クリミア半島から白軍の首脳が脱出し内戦が終わりました。

その後、誕生した旧ソ連は、1991年に政治崩壊し、ロシア連邦に移行しました。
【ソビエト連邦の崩壊】

これは内戦には至りませんでした。しかしソ連内の旧共和国が独立したのは、似ています。このうち兄弟国家と言えるのが、ウクライナ・ベラルーシ・ジョージアです。
欧米諸国は、内政干渉は危険すぎて出来ませんでした。膨大な核兵器が離散するのを恐れたからです。そのため対立はしながらある程度ロシアに協力して、旧ソ連領に分散していた核兵器をロシア内に移送しました。

しかし、アメリカはロシアをそのまま放置したわけでは、ありません。まず、東ヨーロッパ諸国をNATOに組み込んでいきました。国家が破綻しているロシアは、それを黙認するしかありませんでした。

アメリカ(ネオコン)は、更にNATOの領域を東に拡大しようとします。まず、初めに傀儡化を図ったのがジョージアです。
ミハイル・サアカシュビリ
大統領就任期間①2004年1月~2007年11月②2008年1月~2013年11月
民主化を主張しながらアメリカの後ろ盾を得て、強権的・弾圧支配をする構図は大体アメリカの傀儡政権に共通しています。強硬な反ロシア政策を取り、ロシアと対立します。結果、【南オセチア戦争2008年】を引き起こし、これは即停戦になりました。

その後、反政府運動が激化し2012年10月の総選挙で野党連合「ジョージアの夢」が勝利し、事実上権力を失います。
2013年大統領選で敗北し退任しました。
その後は、ウクライナの2014年クーデターを支持します。
ウクライナ大統領のペトロ・ポロシェンコに招かれ、ウクライナの政治に参加します。
アメリカの傀儡のポロシャンコが、やはりジョージアのアメリカの傀儡のサアカシュビリを招いた構図が見えます。

なぜ寄り道したかと言うと、アメリカのロシア圏への介入は、ジョージアで既に行われ、この時は失敗したことを示しました。
アメリカが公式にNATOの東方拡大をNATOの政策として決めたのは2008年4月のルーマニアの首都ブカレストで開催されたNATO首脳会合です。すでにジョージアで行っていたことを、NATO加盟国に承認させたと言えます。フランスとドイツは、ロシアとの摩擦を懸念し反対しましたがアメリカが押し切って決定しました。まだ、この当時はヨーロッパの主要国にも「常識」はありました。

共産党の機関紙、赤旗の記事
2008年4月9日
【主張 NATO首脳会議 軍事同盟に未来はない】

この時、こう主張している共産党が、今回はロシアの軍事侵略のみを批判しています。歴史認識に欠けるのではないのか❓と余計な心配をしてしまいます。

その後、アメリカが主導した2014年ウクライナ・クーデターが始まります。どうやったのか❓
ポーランドのCIAの基地に西ウクライナ過激民族主義者と暴力極右勢力を集めて組織化して訓練しました。クーデターの実行を考えると千ではなく万の単位でしょう。これが、クーデターの実行部隊です。私が勝手に言っているのではありません。ロシアのスプートニクの中でロシアは、以前からそう主張していたようです。記事はスプートニクのバック・ナンバーにあると思います。

長々と書いてきましたが、1918年とは違い、今回は時間差で内政干渉したことを言いたかったのです。これ位書かないと意味が分からないでしょう❓
前回は、イギリスとフランス。今回は主に英米。イギリスは、どっちにも出てきます。イギリスの悪党度合いが分かりますね❓

ウクライナ紛争は、予め予定されたものであり目的はロシアの勢力圏を削りロシアをロシア領に押し込めることです。成功すれば、次はジョージアとベラルーシです。その後、何をするのか❓普通に考えるならロシアの傀儡化かロシア潰しでしょう。

だから、ロシアは2021年10月のウクライナの東部独立派への攻撃激化を見てレッドラインを超えたと判断してウクライナを無力化し中立化するために集団安保を理由にウクライナに軍事侵攻しました。理由は、ルガンスク共和国とドネツク共和国がウクライナの軍事的圧迫を受けて危機的な状況にあるのでウクライナの軍事力をそぎ、ウクライナを中立化させると言うことです。

ほとんどの人が知らないようですが、ウクライナは2013年までは中立国です。
旧ソ連からの独立時、ソ連との間に約束事があります。
「中立を守ること、反ソ的な軍事同盟に参加しないこと」
独立時、ウクライナ議会は中立を宣言しています。

段々、分かってきたでしょう。異常にNATO加盟に拘るゼレンスキー。
元々(2013年まで)ウクライナにNATO加盟の意志などありませんでした。
2014年クーデターで政権を簒奪した西ウクライナの過激民族主義者が法律を書き換えて憲法にNATO加盟の目的化を書き込みました。
つまり2014年クーデターは、アメリカがウクライナをNATOに取り込むために仕掛けた謀略です。そうとしか言いようがありません。2015年CNNのインタビューに当時アメリカ大統領だったオバマ氏が、アメリカの関与を認めたという話があります。その記事のリンクは、今は見当たりません。

更に今のゼレンスキー政権を見ているとアフガンのカルザイ政権に酷似しています。ほぼ同じと言えます。傀儡政権は、結局腐敗し、やがては内部崩壊するのであろうと思います。ウクライナの腐敗具合を見ると、戦争どころか政府を維持する事さえ無理だろうと思います。こんなことは、御用筋の日本のマスコミは決して書かないと思います。
2021年まではウクライナの破綻ぶりと腐敗ぶりは、普通に報道していたと思います。

「歴史は繰り返す」
このように思います。
そもそもロシア・ベラルーシ・ウクライナは、スラブ民族の源流です。兄弟であり争うべきでは、ないでしょう。
次男のウクライナが、悪いアメリカと極悪イギリスにたぶらかされて騙されていると考えると分かりやすいと思います。

もっと言うなら❓
そもそも歴史的に西ウクライナと東ウクライナ&南ウクライナは、生い立ちが全然違う国です。
西ウクライナは、第2次大戦後スターリンがポーランドに割譲させるまでは、ポーランド領です。ここが西ウクライナ過激民族主義者の根拠地です。
東と南は、帝政ロシアの時代からのロシア領です。
これを、ごっちゃに考えるから話が分からなくなります。
西ウクライナの過激民族主義者がロシアに敵対するなら、東ウクライナと南ウクライナはロシアに返還するべきでしょう。
敵方に寝返る(西)ウクライナが、根こそぎ元のロシア領を持って逃げようとするからロシアが、ブチ切れた!と言うわけ。


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