3月15日、天龍寺の拝観に続いて天龍寺の開山堂・臨川寺を拝観しました。






















ご案内して頂いたのが副住職さまです。

霊亀山臨川寺は、天龍寺の開山夢窓疎石(夢窓国師)が正平6年(1351)入寂したところで、その廟所でもあります。
この地は元は後嵯峨・亀山両上皇の離宮亀山殿の別殿・川端殿があった場所で、亀山上皇の皇女昭慶門院(嘉子内親王)の御所となり、女院の養子になられた世良(ときなが)親王(御醍醐天皇第二皇子)はここで北畠親房・夢窓疎石らから教養を受けられたそうです。


親王が亡くなった時、親房は出家して京都を去り、後醍醐天皇は夢窓疎石に命じて寺に改めさせ、親王の菩提を弔わしめられた。
境内には、親王のお墓があり宮内省の管轄になっています。



本堂内の須弥壇にはご本尊弥勒菩薩坐像が、脇侍には釈迦如来坐像と地蔵菩薩立像がお祀りされています。
変わった三尊仏ですが、副住職さまによると、明治時代の神仏分離令の際に近隣の廃寺になった仏さまが客仏となり、一緒にお祀りされたのでは、、とのお話でした。


向かって左手には開山・夢窓疎石像がお祀りされ、その床下蓮華形自然石の下に夢窓の遺骸を納め石棺に埋葬されているそうです。
三面から金網越しに見る事が出来ますが、暗くて良く見えないです。


夢窓疎石は臨川寺にも庭を築きましたが、数度の戦乱で面影を失ってしまい、現在の枯山水庭園「龍華三会の庭」は、日本画家・伊藤 紫虹氏が先々代の管長から依頼を受け作った現代庭園です。
お釈迦さまの説法を十六羅漢と呼ばれるお弟子さんが聴いている様子を表現しているそうです。




臨川寺は通常非公開のお寺で、嵐電やJR東海、今回のような京都和敬会などの拝観しか受け入れられていません。
なお、本堂内は撮影禁止なので、掲載の写真はネットからお借りしました。