京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

八坂神社 正式参拝

2024年12月17日 08時40分00秒 | 日記
 12月11日は、八坂神社へ。 









よみうり文化カルチャー「今年をしめくくる八坂神社正式参拝と柚子香る雑炊とおばんざいランチ」での参加です。
ガイドは俳人でもある倉橋みどりさんです。

八坂神社の正門である南楼門から境内に入ります。
舞や芸能を神さまに奉納する舞殿の横を通り、本殿の左側にある入口から拝殿に入ります。
何度もお詣りしている八坂神社ですが、拝殿まで上がり正式参拝するのは初めてです。









ご祭神は、素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神がお祀りされています。

斉明天皇2年(656)に素戔嗚尊を祀ったのが起源とされ、素戔嗚尊は祇園精舎の守護神である牛頭天王と一体視され、長らく祇園社や感心社と呼ばれていたが、慶応4年(1868)に八坂神社と改称されました。
それまでは比叡山延暦寺の管轄下にあり、社僧と呼ばれる人たちが管理されていました。







承応3年(1654)に再建された本殿は、「祇園造」と呼ばれる雅やかな建物で、令和2年12月には国宝に指定されています。





災難除けと家門繁栄を願う「蘇民将来子孫也」のお守りや、大晦日のをけら詣りも有名な行事のひとつです。




有名な「忠盛灯籠」です。



















境内には多くの末社・摂社がお祀りされています。





西楼門の左手(北側)には絵馬殿がありますが、周りは露店の方の駐車場になっているのが残念ですね。
年代物の立派な絵馬が奉納されているので、もっと陽が当たって欲しい建物です。

また、京都三大祭のひとつ祇園祭は、八坂神社の祭礼です。

次に祇園石段下の一角にお店を構えられている柚子屋旅館の食事処「一心居」にランチに向かいます。





一之船入 京風創作中華ランチコース

2024年12月17日 07時47分00秒 | 日記
 11月25日は、本能寺を拝観しホテルオークラ京都の北側にある中華の名店「一之船入」でランチコースを頂きます。 







お店の存在は以前から知っていましたが、何故か来店のきっかけが無く、今回が初訪問です。













会場は2階で、窓からは日本銀行京都支店や江戸時代初期の豪商・角倉了以が造った高瀬川の"一之船入"が見えます。













魏さんの料理の基本は「医食同源」、、、
無農薬の京野菜をふんだんに取り入れた「京風創作中華」。

食べ物で病気を予防する「医食同源」の思想を取り入れ、美味しく身体によい料理作りに取り組まれています。

全部で6品でしたが、町中華とは違うどの🍳も上品な味付けです。





他にも二条城の南側、三条通にある三条会商店街にも 魏飯夷堂 三条店を出店されています。

元・老舗の味噌店であった建物の京町家佇まいと中華風の風情を合わせた独自の趣きを感じさせる店舗です。

ランチタイムはお得で美味しいセットニューを週替わりでご提供させています。
こちらはリーズナブルなお値段で2度ランチに行きました。

当初は京都の人たちになかなか受け入れて貰えず随分とご苦労されたそうです。

しかし、今やNHKの料理教室の講師をされるなど、すっかり京都に馴染んだ中国料理店になられました。











この辺りは江戸時代末期には長州藩屋敷があったところです。

天照神社は久坂玄瑞ゆかりの神社で、今もホテルオークラ京都の敷地内で大切にお祀りされています。



本能寺参拝 京都寺町御池

2024年12月16日 08時12分00秒 | 日記
 11月25日は、よみうり文化カルチャー主催の現地講座"再建、復興の歴史「本能寺」と人気シェフの京中華ランチ"に参加しました。

ガイドは倉橋みどりさんです。


寺町通に面したこの門は「総門」で国の登録有形文化財に指定されています。










先ずは本堂に上がりお詣りします。
ご存知でしょうが、本能寺の歴史を少し、、、

最初の建立時には「本応寺」という寺号で、室町時代の応永22年(1415)に日隆聖人によって創建されました。
創建以来、7度の焼失と移転とを繰り返しています。
現在は法華宗の大本山です。






織田信長が明智光秀に襲われ自害し・焼失した本能寺は現在地の寺町御池にあったのではなく、天正10年(1582)ごろには堀川四条の近くにありました。



寺域は東西150メートル、南北300メートルもあり堀を備えた広大な境内地を有していました。

本能寺の変後、豊臣秀吉が現在地に再建し、現本能小学校は寺跡の中心で門前に立札が建てられています。






信長公の供養塔で、石塔の下には信長公愛用の刀が眠っているそうです。




境内の東側には織田信長をはじめ本能寺の変で亡くなった人々の供養塔があり、毎年の6月2日には変の戦没者の法要が行われています。

次に大宝殿を見学します。










三足の蛙

「本能寺の変」が起こる前夜に突然泣き出し信長公に異変を知らせた。と言う伝説があります。
中国伝来の高炉だそうです。

本物は撮影禁止ですが、展示室の外にレプリカがあり、こちらは撮影可です。



狭くなってしまった境内ですが、塔頭が七ヶ寺残っています。

次にオーナーシェフの魏 禧之(ぎ・よしゆき)氏が腕を振るう「京風創作中華」の名店「一之船入」に向かいます。


岡林院の紅葉 高台寺塔頭

2024年12月15日 08時09分00秒 | 日記
 12月11日は、岡林院のご住職に用事があって15時前にお邪魔させて頂きました。







岡林院(おうりんいん)は京都・東山
の有名寺院・高台寺の塔頭寺院のひとつです。
高台寺近くにこんな苔庭の美しい庭園があったのか」と感動を覚えるほどの素晴らしい庭園があります。









寺院としての歴史は、慶長13年(1608)に久林元昌禅師による創建で、現存する高台寺の塔頭としては最も古いばかりか、高台寺の創建より古い寺院です。

久林元昌と言う人物は、建仁寺の記録によると北政所の縁戚に当たるそうです。

江戸時代末期には高台寺一帯を襲った大火により焼失しますが、明治時代に当時の高台寺のご住職・老師が隠居所(隠寮)とすることも兼ねて再興されました。

その為でしょうか?建物もお寺らしくない数寄屋造の建物。
丸い円相の奥に仏間があり、ご本尊の地蔵菩薩像がお祀りされています。

それもそのはず、建物と茶室は下鴨の方にあった邸宅を譲り受け移築したものだそうです。









庭園内には近代の政治家・鳥尾小弥太と茶人・田中仙樵ゆかりの四畳半の茶室「忘知席」もあります。





茶室“忘知席”は裏千家を代表す茶室・又隠席の写しとされています。

障子を開けると風が吹く度にもみじの葉が落葉し、情緒満点の風景になります。

ご住職が代わられ、公開の機会も増えています。



3年前に復活した「京都東山 福めぐり」でも3日間公開されます。




佛光寺「白書院」と大行寺 まいまい京都

2024年12月15日 07時55分00秒 | 日記
 12月5日は、まいまい京都の"【大行寺】2つの非公開寺院を貸切拝観!本山白書院&大行寺で極楽カフェタイム"に参加しました。
相変わらず長いタイトルですね。









先ずは大行寺の本山「佛光寺」を拝観します。
一般にも公開されている阿弥陀堂と御影堂を拝観しました。



阿弥陀堂の奥には聖徳太子像と後醍醐天皇像がお厨子の中にお祀りされています。
この日は偶然に聖徳太子像のお厨子の扉が開いていましたが、単眼鏡で見てみましたが中が真っ暗で全く見えませんでした。
(写真は佛光寺HPからの転載です。重文)

次に親鸞聖人の像をお祀りしている御影堂へ。
ご本尊をお祀りしている阿弥陀堂より御影堂の建物の方が大きいのが浄土真宗本山の特徴です。





境内の銀杏の紅葉が綺麗です。
銀杏の木はお寺が火災に見舞われた時には水を放つとの伝説があります。

実際に銀杏の木は水分を多く含み、燃えにくい事からお寺や神社に多く植えられいます。

次に今だに立ち入った事のない佛光寺「白書院」を英月さんが案内して下さいました。
今日の僕の目的のひとつです。











御影堂の奥にこんな素晴らしい空間があったのか!
丁度、紅葉も見頃でまるで別世界にいるかのような感覚に落ち入りました。

英月さんをモデル?に紅葉との共演です。













額にあるように別名「龍臥城」とも呼ばれているそうです。





錦秋の佛光寺を後に、次に英月さんの自坊の大行寺へ。










本堂のご本尊は快慶作の3尺阿弥陀如来立像(国の重要文化財)が、、、素晴らしく美しい阿弥陀さまです。写真はネットからお借りしました。)

堂内では洋菓子の無店舗販売をされている「オーレリー」さんがスタンバイされています。





英月さんのウィットにとんだお話を聴きながらオーレリーさんのチーズケーキ2種類とオカフェの珈琲を頂きました。

他のお店には無い手作り感満載のチーズケーキ、オカフェ岡田さんの珈琲に舌つづみ、、、、
まさに至福の時間が流れます。





英月さんのツアーは"まいまい京都"で4度来ていますが、毎回、趣向の違った内容で飽きない内容です。