10月12日、薬師寺での禅ヨガの後、西ノ京のもうひとつの大寺院・唐招提寺を拝観しました。
唐招提寺は奈良時代、 聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立された律宗の総本山です。
唐招提寺は奈良時代、 聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立された律宗の総本山です。
鑑真和上は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺を引退された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招提」と称し、戒院として教学の場を営むことになりました。
やがて鑑真和上を支持する人々から居室や宿舎を贈られ、倉庫、食堂、講義用の講堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられ、鑑真和上の没後も金堂や東塔が建立されました。平安時代初頭に伽藍全体が完成し、そのころ「唐律招提」から「唐招提寺」とったそうです。
唐招提寺は井上靖さんの小生「天平の甍」でも有名で同名歴史小説を依田義賢が脚色、熊井啓が監督し映画化もされました。
中国で本格的なロケを行ったり、実物大の遣唐使船を復元したりと、スケールの大きな歴史大作です。
屋根の勾配や鴟尾、本堂を支えるエンタシスの柱など天平時代を彷彿とさせる古寺です。
金堂(国宝・奈良時代)内には、ご本尊の盧舎那仏坐像を中心に薬師如来立像(国宝・平安時代)、千手観音菩薩立像(国宝・奈良時代)、その方に四天王立像(国宝・奈良時代)、梵天・帝釈天立像(国宝・奈良時代)がお祀りされています。
この時代の金堂(本堂)内は仏さまの世界で、僧侶と言えども内陣には入れず、外からお詣りしていたそうです。
鼓楼(国宝・鎌倉時代)
金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
それよりも、、「うちわまき」が有名でにぎわいます。
中興の祖・大悲菩薩覚盛(だいひぼさつかくじょう)上人を偲ぶ「中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)」が行われます。
境内の北西には鑑真和上の御廟があります。
唐招提寺で最も神聖な所で和上は今も唐招提寺の行く末を見守られています。
御影堂(重文・江戸時代)
もとは興福寺別当寺院の一乗院の宸殿と殿上の遺構で、昭和38年(1963)に移築され、鑑真和上坐像(国宝・奈良時代)を安置する御影堂として使われています。
金堂の西側にある戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。
創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。
現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1978)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。
薬師寺は近代に再建された建物がほとんどですが、唐招提寺には天平時代の仏像や奈良時代から鎌倉時代の建物が多く残り"奈良大和路"に相応しい景観が維持されています。
今年は、猛暑の影響からでしょうか?萩の花
が可憐に咲いていました。
12月7日には、こちらでの"禅ヨガ"に参加する予定です。