油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

うぐいす塚伝  (19)

2022-04-29 18:55:08 | 小説
 秋が来た。
 根本洋子が退職してから、ほぼ半年が経
過している。ときおり、木々の間をひんや
りした風が吹きすぎていく。
 八幡山神社につづく石段をのぼっていく
修の肩に、楡の枯れ葉がはらはらと舞い落
ちる。
 修はふうっと息を吐き、空をあおいだ。
 枯れ葉の一枚一枚が、まるで修と洋子の
想い出のように思える。
 修はたとえ一枚でもいい、じぶんの手で
とらえたいと思い、右手をのばす。
 「どうしたの、西端さん。そんなにあわ
てて。落ち葉なんて拾ってどうするの。こ
んなにたくさん落ちてるんだから、拾えば
いいじゃない」
 ふいに背後で聞き覚えのある女の声。
 「ああ、びっくりさせないでくださいよ。
石塚課長じゃないですか。なんだってこん
な時間に、こんな場所で?」
 「わたしもね、あなたみたく、ちょっと
お散歩したくなったの。一時間もないお昼
休みだけどね」
 「そうですか……、わたしはちょっと急
ぎますので」
 修は足早に石の階段をかけあがり、お社
の前に着いた。
 両手でパンパンという切れのいい音を出
そうと心がける。
 神さまにじぶんの願いが聞き届けられる
ためには音がたいせつですよ、と、関西に
いた頃、最寄りの神社の宮司さんに聞いた
ことがあった。
 突然、鶴が鳴いた。
 二度三度とつづく。
 喉をふるわせ、懸命に何かを訴える。
 鶴の声が、修には、まるで洋子の悲鳴に
聞こえた。
 辺りに石塚課長の姿がない。
 (お参りに来られたんじゃなかったんだ。
一体どこへ行かれたのだろう)
 修は神社に続く石段からはずれ、電波塔
への坂道に入った。
 腕時計をみる。
 午後の始業時刻が近づいていた。
 左手に下げたビニル袋から、おかかのお
にぎりをひとつ取り出し、口に入れた。
 若い母親に手を引かれた三歳くらいの女
の子がすれ違いざま、修の顔を見て、ほほ
笑んだ。
 (洋子にだって、こんな幼いときがあっ
たのだ……)  
 どんなささいなことにも、なんらかの意
味を持たせようとする。
 そんなじぶんが哀しかった。
 (どうして、根本は突然退職してしまっ
たのだろう。神さまの返事が聞けたら、ど
んなにか嬉しかったことか)
 右手に小さな鳥居が見えた。
 そこに導かれるように、修は先へ先へと
進んだ。
 奥にはちっぽけな社があるだけだったが、
宇都宮市の東方をはるかに眺められた。
 「西端さん」
 わきからふいに声をかけられ、修は身を
ふるわせた。
 「あっ、課長。ここにおられたのですか」
 さっき食べたおにぎりが口の中にいくら
か残っている。
 必死になって、修はそれをのみこもうと
した。
 「いいの、いいの、遠慮しないで。わた
しだってほら、これサンドイッチ、ここで
食べようと買ってきたのよ。良かったらお
茶あるわよ」
 「はあ、ありがとうございます」
 修は、わきを向いて、ペットボトルのふ
たを回し終えると、ひと口ごくりと飲み込
んだ。
 液体が体の中を流れ落ちていく。
 当たり前のことが、修はなぜかとても愛
しかった。
 「そうやって浮気をして……」
 ふと修はまぼろしを耳にしたように思え、
二口目を口にできないでいる。
 「どうしたの、西端さん」
 「いえ、ちょっと考え事を……」
 「そうなんだ。気をつけてね。あなた近
ごろ元気がないみたいだし」
 「心配かけてすみません」
 根本洋子が付近にいるように思え、修は
石塚課長に感づかれないよう、辺りを見ま
わした。 
 「じゃあ、お先に失礼します。これおい
しかったです、ありがとうございました」
 修は小走りになった。

 
  
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うぐいす塚伝  (18)  

2022-04-24 19:12:14 | 小説
 それからしばらく、根本洋子は西端修の視
線を努めてさけるようになった。
 豹がえものをとらえるとき、いくたびも態
度を変えると言われるが、洋子の修に対する
態度も、それに似たもの。一種、野性味さえ
感じられた。
 若い女性なんだし、いろんなことに左右さ
れるのはしょうがない。男のようになんだっ
て、頭で理解しようとしても、女は無理とい
うものだ。
 修はそうじぶんを納得させようとするが、い
まひとつ合点がいかない。
 ふだんはめったに本など読まない修が、な
んとしても女ごころをつかみたい一心で、手
あたり次第、本屋に飛び込んでは、情報を得
ようとこころみた。
 そんなとき、修ははっと気づいた。
 四十過ぎても、おれは独り身なんだし、女
ごころがわからないのは当たりまえだ。
 それからは会社の既婚者から、それとなく
女の人の本性について、聞かせてもらおうと
した。
 だが、本気でつきあってくれそうな同僚は
ほとんどいない。
 ふんふんと相槌をうってはくれるが、正直
なところ、
 「いつまでもおめえは独身貴族じゃねえか。
いいご身分だぜ」
 腹の底でそういわれているのが見え見え。
 修は、日々、ストレスをつのらせた。
 なんとかして、洋子の口から、じぶんを無
視する原因をしゃべってもらいたい。
 そう思い、ある日の朝、思い切って、従業
員専用の出入り口になっているビルの裏口付
近で、洋子を待ち伏せした。
 しかし、洋子に警戒心を抱かせただけだっ
た。洋子は修の姿を認めるや否や、たちまち
のうちに建物のかげに身を隠した。
 お茶当番になった洋子が、たっぷり茶湯の
入った修の湯呑を、トレーにのせて修の机上
のすみに置くことがある。
 ここが勝負と、修は口もとにほほえみをた
たえ、洋子の表情をとらえようとするのだが、
洋子はそっぽを向いたままだった。 
 修はほとほと困り果てた。
 「ちょっとちょっと西端くん」
 石塚課長の目に留まってしまい、廊下に呼
び出され、
 「もういい加減にしてくれますか。どうし
て根本にそんなに気を遣うの」
 と注意された。
 なんで、なんでや、どないして、こんなあ
ほらしいことになってしもたんやと、お得意
の関西弁を、頭の中でくり返すばかりである。
 洋子に何かあったとすれば、いっしょにジャ
ズバーを訪ねた、あの日の夜以外にないんだ
がと、店の内外のことを、牛が反芻するごと
くあれこれと思いだそうとした。
 洋子が酔ってじぶんにからんできたことを
思いだした。
 そのとき、修はトイレのなかに逃げこんだ。
 そのあとのことを、修は知りようがない。
 その後、洋子に何が起きたのか。
 修には知る由もなかった。
 むろん、仕事は仕事である。
 社内での上役と部下のかかわり程度ことは、
いつだって担保されていた。
 (もう一切、洋子のことについて、個人的
にかかわらないようにしよう)
 修はそう心を決めた。するとすうっと気が
楽になった。
 「お、おはよう、根本くん……」
 やっとの思いで、修は、洋子の出張先のス
ーパーの店内で出くわしたとき、そう洋子に
声をかけた。
 「あっ、係長、きょうはどんなご用件でこ
ちらに?」
 洋子の放つ言葉は事務的そのもの。
 「あっいやなにね、ちょっとした調べもの
でね」
 「そうなんですか。わかりましたわ。これ
からお客様が大勢いらしゃる時間です。わた
しの持ち場は食料品売り場ですのでこれで失
礼します」
 そう言うなり、洋子はきびすを返した。
 まるで矢じりを向けられたように思える。
 修は背筋にひんやりしたものを感じた。
 「根本くん、忙しいところ、すまないけれ
どね、この間のことでちょっと話があるんだ」
 洋子の背中に、思いつめた言葉を投げかけ
たが、彼女はふりかえらない。
 わざとヒールの音を高くし、歩き去ってし
まった。
 そうこうするうち、突然、根本洋子が会社
に退職願を提出した。
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他人さまに起きることは。

2022-04-15 14:54:00 | 随筆
今月初め、なんと我が身がオミクロンに襲わ
れました。

家族のひとりが急に38度台の熱を出したも
のですから、医療センターまで付き添ったの
です。

検査の結果は陽性。その後わたしども夫婦も
保健所で検査することに。

ふたりして陽性とわかり、家族内での厳しい
闘いが始まりました。

さいわい、家内は高熱に見舞われることもな
く、きょう15日で自宅療養解除となりまし
た。

彼女は持病があっただけに、ほんとに嬉しい
かぎりです。わたしは心のなかで、何度もあ
りがとうございますとくり返しました。

皆さまの参考にと、わたしなりの荒療治を紹
介させていただこうと思います。

とにかく、のどの痛みがはんぱじゃない。

発症して3、4日の間、ルゴールを喉に塗る
ことでしのごうと考えました。

長い塾業でしたので、その間、インフルエン
ザにも罹患、そのたびにルゴールに助けられ
ました。

オミクロンもウイルス。一定の効果ありとふ
んだのです。

3日経って、あれほどの痛みがまったくなく
なり、飲んだり食べたりすることができるよ
うになりました。

保健所のお医者様にカロナールをいただいて
からは、市販薬はやめました。

平熱が35度台のわたしにとって、38度近
くまで発熱は、じゅうぶん我が身を消耗させ
るものでした。

明日は我が身とお思いになり、ブロ友の皆さ
ま、せいぜいご自愛ください。

私の自宅療養は今日まで、明日は大手をふっ
て外出できます。

芥川賞作家の柳美里さんもオミクロンに罹患
されたようです。




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うぐいす塚伝  (17)

2022-04-03 20:33:00 | 小説
 女の顔立ちや服装。
 それらから察すると、女は間違いなく根本
洋子当人である。
 しかし、どこか違う。
 あらゆる人の身体から発する気配、あるい
はオーラとでも呼べばいいものだろうか。
 とにかく、それは、先ほどまでジャズバー
で酔いしれていた洋子のものとは思えない。
 凛として、強い。
 それが女のどこから来ているものか、定か
ではない。
 ふいに女がううっとうめき、大きく息をは
いたが、すぐに左手で口をおさえた。
 胃につかえたものを、吐いてしまおうとし
たのではない。
 もっと違うもの。身体に入りこんだ、邪気
とでも呼べばいいだろうか。
 清濁併せのまずしては、この世をわたるの
は容易ではないのである。
 女は首を回し、目を細めて、辺りを見た。
 じぶんの息が少々酒くさいのに気づき、そ
そくさと居ずまいを正しはじめた。
 だが、一瞬、体がふらついたが、すぐに態
勢をととのえた。
 女のからだを照らす満月のひかり。
 ぶどうのように棚から垂れ下がる、いくつ
もの藤の房。
 それらが女の心にどれほどの影響を与えた
ものだろう。
 女のまなざしは、先ほどまで憎悪に満ちた
ものだった。
 しかし、程なく、穏やかな感情が、彼女の
こころを支配しはじめた。
 「修さんなら、この人ならと思ったけれど、
もういいわ。いつの世も殿方は似たりよった
り、この世で女人としての愛憎の念をおさら
いしようと思ったけれど……、今度こそは真
実の愛で人を慈しもうと思ったけれど……。無
念だわ。こんなことならいち早く、三笠の山
のいただきにもどりたい。今ごろは、きっと
藤の花が咲き乱れているでしょう。私が帰る
のを待ち望んでいる人がおられる……」
 われ知らず、じぶんの口からもれた言葉に、
女は驚き、愕然とする。
 くず折れるように、最寄りのベンチにすわ
りこんだ。
 女は目を閉じ、しばらくじっとしていたが、
じぶんの体が、急に軽くなったように思え目
を開けた。 
 ジャズバーで、色さまざまなカクテルを誘
われるままに飲んだのは憶えている。
 西端課長にかなりの金銭的負担をかけてし
まったことをくやむ。
 こうやって素面にもどると、現実の厳しさ
がひとつひとつ脳裡にうかぶ。
 女はふいにいやいやするように、首をよこ
に振ったかと思うと、まるで愛しい人を見つ
めるようなまなざしで、棚から垂れ下がって
いるたくさんの藤を眺めた。
 (あたしどうしちゃったんだろ、また、か
らだが、からだが重いわ)
 ふいに、女は立ち上がった。
 紫に色づきだした藤のひと房を、両手で包
みこむようにすると、右ほほを近づけた。
 バチャと鯉がはねた。
 とたんに女は藤の房をいじるのをやめ、川
沿いに設置してある手すりに両手を置いた。
 ものうげにおぼろげな空を見あげる。
 ううっとひと声、うめくような声を発して、
ぎゅっと唇をかんだ。
 あまりに強くかんだので、やわらかな皮膚
がやぶれ、血がにじんだ。
 「鉄さびみたい」
 女は自らの舌でぺろっと血をなめ、錆びて
赤茶けた丸い手すりを、自らの手が汚れるの
もいとわず握りしめた。
 歯を食いしばり、またもや心で渦巻きはじ
めた憎しみの感情を、なんとかしておさえよ
うと試みた。
 どれほど時間が経っただろう。
 「もしもし、こんなところで、あなた、一
体どうなさったのですか。風邪をひいてしま
いますよ」
 ふいに誰かが女の肩をたたいた。
 「あら、すみません。あたしったら、こん
なところで寝てしまって」
 よだれを垂らしていたのに気づき、女は思
わず、左手の甲で口をぬぐった。
 ひとりの年配の警察官がいつの間にか、女
のそばにたたずんでいた。
 「お名前は?ご住所は?」
 矢継ぎばやに、彼が質問した。
 「ようこ、根本洋子ですわ。住所は、宇都
宮市屋板町、インターパークの近くです」
 と答えた。
 
 
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乱世の時代に。

2022-04-02 13:55:02 | 随筆
 卯月になっても、お天気は定まらない。
 時おり、冷気と暖気がはげしくせめぎあう。

 もう二十年ちかく使っている十五馬力の耕運機。
 ギヤがうまく入らなかったり、フロントライトが点灯しなかったりで、
そろそろ人間ドックならぬ、オーバーホールをすべき時期に来ている。

 「おれとおんなじだんべな、お前さんも」
 右ハンドルをポンポンたたき、
 「今までご苦労さん」
 と、にこにこ顔で声かける。

 時刻は午後二時をまわった。
 杉の花粉が飛び始めたらしく、山々がかすむ。

 スピードを低速にし、後ろにひかえる土かき回し器の留め金をはずす。
 田んぼの表面につくまで、それを下ろしてから、ゆっくりネイルをま
わす。
 クラッチを踏みこみ、ギヤをローに入れる。
 それからそろそろと左足をクラッチから離していく。

 耕運機が前にすすみだし、掘り返された地面に、小鳥やカラスが舞い
下りては、むりやり起こされて寝ぼけまなこの虫たちをついばむ。

 古希をいくつも過ぎ、もうそろそろ、この仕事を息子に任せようと思
うが、
 「父ちゃん、おれ、やらないからね」
 と、つれない。

 町はずれの工業団地に勤めて長い。
 一時間働いたら、いくらいくらもらえる。
 手っ取り早く稼げる仕事が一番のようだ。

 三年育てて、一人前?
 やっとこさ、市場に出ていけるこんにゃく。

 ビニルハウスを組み立て、土を耕起する。
 中腰じゃ腰が痛むと、うねを立てたりの工夫がいるイチゴ栽培。

 それらは若者には、あまり魅力的じゃないようだ。
 狭いセブ(面積)で水稲を育て、収穫しようとすると、一家で食べる
分にはこと欠かないけれども、必要経費を考えると、どこかで米を購入
したほうが安上がり。

 なにしろ、この間、田植え機も脱穀機も、さまざまな理由で倉庫から
すべて消え失せた。

 たとえ、改めて買ったとしても、採算がつくかといえば、首をひねら
ざるをえない。
 古い乾燥機があるが、義父から使い方を教わってなかった。

 お父さんは七十がらみで逝かれた。
 もっとたくさんのことを学んでおけばよかったと、悔やむことしきり
である。

 戦乱に苦しむウクライナの人々を想う。
 広々とした穀倉地帯が目に浮かぶ。

 本来なら、種まきの時期が近づき、農夫たちは準備に余念がなかった
はずである。

 突如として、ロシアがウクライナ本土に侵略をはじめた。
 八年前、彼らは身勝手な理由をつけて、クリミア半島を武力で制圧し
ていた。

 いかなる動機があるにせよ、他国は他国。
 蹂躙するのは、強盗に等しい。

 無理がとおれば、道理が引っ込む。
 そんな所業が許されるはずがないし、決して許してはならない。

 当然ながら、ウクライナの民は決然として祖国防衛のために立ち上
がった。

 ロシアは国際連合の常任理事国ではないか。
 ウクライナ大統領に、国連はもはや、機能していないと批判されて
もぐうの音も出ない。

 振りかえって、我が国をみる。
 先だっての大戦終了直前、ロシアが日ソ不可侵条約を一方的にやぶり、
千島列島につづく四島を占拠した。
 このたび、そこでロシア軍の軍事演習が開始されたと聞く。

 ウクライナの災難を、決して対岸の火事とみることはできまい。
 いつなんどき、ウクライナと同じ運命が、われらを待ち受けているや
しれないのである。

 「金は、金。食えやしないぞ。それよりか、田んぼや畑で野菜をつく
れ、小麦をな、うんとたくさん作れ」
 賃労働いっぺんとうの息子に言いつのる。

 「プーチンさん、すでに命脈の尽きたソ連を思うのはやめましょう。
それよりも、たまに、おれと野良仕事をやりませんか。精神衛生上、とっ
てもいいですよ」

 むかしも昔、乱世の時代に老子は生きた。
 無為自然、無用の用……。
 殺されぬよう、したたかに生きる。

 老子に学ぶべきことがたくさんあるように思える。 
 
 
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