油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

気の早いことで……。

2023-11-30 17:18:12 | 随筆
 きょうは十一月のみそか。
 あしたからは師走ですね。
 ブロ友のみなさん、お元気でしょうか。

 来月こそは、良きことがありますようにと
願って、カレンダーを一枚、早々とめくって
しまいました。

 別に特段、具合のわるいことがあったわけ
ではありません。
 要するに気持ちの問題なのです。

 忘れっぽくなったとか、皮膚がますます弱
くなったことくらい。さしたる病の自覚症状
もなく、今、生かされている。

 そのことを、先ずもって、感謝するべきで
しょうね。

 植物と違って、人は動物ですしね、動いて
いなきゃ、栄養をとることができない。

 ですから今まで一所懸命、がんばって生き
てきた。

 うっかりすると車にぶつかったり、ぶつけ
られたりしますがね。

 こまかな事件事故にあったものの、いち早
く逃げるが勝ちを決め込みました。

 新型コロナにり患しましたが、大した後遺
症もない。
 じょうぶに生んでくれた母に、大いに感謝
しています。もちろん父にもね。

 やれ地震だ、やれミサイルだ。
 危険きわまりないご時世です。
 世の中を見渡せば、戦火が絶えない。

 何があってもおかしくないのに、こうして
暮らしていられることは幸せなことです。
 
 古希をずいぶん過ぎたこの歳で、実現しそ
うもないことを願うのは、やめにしようと思
いますが……。

 でもね、目の黒いうちは、それなりにむく
むくとああしたい、こうなりたいと欲が出て
くるもので……。

 そんな自分の面倒を見切れないで、困って
いる昨今です。

 もっともこんなこと、ぜいたくというべき
ものでしょう。
 トンボにしたって、ちょうちょにしたって
ほんとに短い一生ですものね。

 年金が少ないくらいで落ち込んでいられま
せん。
 「よしっ、おらには、まだ力が残っている
ぞ。熱気があるぞ」

 「後期高齢者だなんていわせないぞ。第一
失礼じゃないか」

 思わず、大声を出してしまいました。
 
 なにごとも、神さまの言うとおり。
 さかしらな考えなど捨てて、成り行きに任
せてしまおうと思います。

 
  
 

 

 
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たそがれて……、今。

2023-11-06 20:42:01 | 随筆
 人生百年時代。
 そう喧伝される昨今だが、わたしは常に今しかないと思っている。

 一寸先は闇。
 そうは断言しないが、
 「するってえと何でございますか。わたしの人生の残り分は、あ
と三十年弱はあるってことでござんすね。それはそれは良かった良
かった」
 なんて疑心暗鬼で胸を一杯にし、三度笠ふうに口走りたくなる。

 ひょっとして、必死でわたしの身体を生かし支えようと試みてく
れているモノたちが、故障したり、ストライキを起こしたりするか
もしれない。

 当たり前だが、そんなものたちをじかに観ることができない。
 姿見を使い、我が身を観ようとしても、見えるのは、せいぜいわ
たしの身体の表面だけである。
 わたしの内部は一体、どうなっているのだろうか。
 血と肉がつまった袋は……?

 だから時折、健康診断を受ける必要にせまられるわけだが、今や
かなりもうろくしたわたしは、そういった検査を一切受けないこと
にした。
 人間ドッグなど、まっぴらごめんだ。

 「じゃあ、健康はどうやって保つんだ」
 そんな声が聞こえてきそうだが……。  
 生まれついての気弱な性質が、それらを遠ざけてしまうのだ。

 想えばこの十数年のうちに、長年共に暮らしてきた人たちが、次
から次へと彼岸にいってしまった。
 「はい、時間ですよ」
 神さまからそうお呼びがかかったら、はいっと言って立ち上がり、
彼のもとにいくしかないと思っている。

 人には定命(じょうみょう)とやらがあるようで、逆らえるもの
ではないのだ。

 ただただ、この世で、有難くもわたしとご縁のあった方々のこと
が気にかかるばかりである。

 わたしには若い頃、口では言い表せないほど、お世話になった方
が隣町、鹿沼におられる。

 ほんの少し前、米寿を迎えられたとお聞きしたが、あれから数年
経っている。
 その方は今なお青年のごとき情熱で、小説書きに邁進されておら
れる。

 麻屋与志夫氏はわたしの恩師である。

 二十八歳のときに出会った。
 学習塾を始めようと、いつくかの塾に電話をした。
 「授業を観ていただいてけっこうですよ」
 快く受け入れてくださったのは、麻屋氏だけだった。

 四百年にもおよぶ麻屋さんである。

 今や例外を除いて、履きものはほとんど靴に変わってしまった。
 しかし、昔は草履や下駄だった。

 田舎では、換金作物として、麻をそだてる農家が多かった時代が
あった。
 加工はなかなか大変なもので、わたしの婿入り先のこの家でも一家
総出の仕事だったらしい。

 「十代のころよりオートバイであなたのお住いの地域まで麻を買い
求めに行きましたよ」
 麻屋氏がそうおっしゃって、目を丸くしたものだ。

 関西から来て、日も浅いわたしだった。
 右も左もわからぬ、そんなわたしのどこが良かったのだろう。
 麻の仕事の手伝いにつづいて、アサヤ塾の講師にとおっしゃってく
ださった。

 麻屋氏は今もなお多忙である。直接訪ねては失礼にあたる。
 ときどき鹿沼に用があったりするとき、昔々、アサヤ塾への行き返
りに使った路地を散策することにしている。

 痛む腰をかばいながら歩く。
 さっそうと歩けた若い時分がなつかしい。
 ようやく宝蔵寺の境内が見えだした。
 小道がぐるりとまわる辺りで歩みをとめる。
 見あげると、映画のロケ地にもなったお千手さん公園。
 昼間、子どもたちを乗せてくるくる回った観覧車。
 夕暮れどきの今はぴたりと動きをとめ、まばゆいほどの夕陽をあび
て朱色に染まる。
 わたしにとって、想い出深い小道である。

 今となってはもう四十年以上も前のこと。 
 「先生、さようなら」
 「はい、さよなら」
 こうして、どれくらいの生徒を見送ったことだろう。
 自転車に乗りながら、涙目で振りむいてくれた制服姿の女子生徒。
 恥ずかし気に苦笑いし、立ち去っていく男子生徒。

 世間知らずで、お人好しのわたしを慕ってくれた生徒たち。
 彼らの健康と幸多きことを祈らざるをえない。

 上手に導いてやれず、苦渋を飲んだこともしばしば。
 その都度、麻屋ご夫妻の手助けを得た。
 今や立派に成人し、お母さん、いや、ことによるとおばあちゃんと、
孫たちに呼ばれている方もいらっしゃるだろう。

 乱れた時代ではある。
 いや、本当はいつの世も、そうだったのかもしれない。
 みなさまご存じのとおり、日夜テレビによってもたらされる日々の
ニュースを聞いていると安穏としていられなくなる。
 目をふさぎたくなるものばかり。

 今晩床について、あしたの朝事なきを得て起きられるかどうか。
 不安をおぼえる。
 運良く目ざめ、日の光を感じたり、小鳥の鳴き声が耳にとどいたり
すると、とても幸せな気持ちになる。
 
 
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