油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

いつまでも、たたずんで。  (6)

2022-10-27 18:38:55 | 小説
 「としお、今まで何やってたの?ごはんど
うするのよ。もう食事の時間は終わりよ」
 母の菜月が語気強くいっても、敏夫はうつ
むいたままで階段をのぼろうとする。
 「としおっ」
 菜月が一段と声をあげた。
 「いいよ。ぼくあまり食べたくないから」
 いつもより敏夫の表情が暗く、元気がない。
 それを察した父の公彦が、母と息子の対話
に割って入ろうとした。
 「お母さん、心配してたんだから、一言く
らいしゃべったっていいだろ」
 優しく言う。
 「わたしと敏夫の話なんです。あなたはちょ
っと口を出さないでいただけますか」
 公彦はああといい、椅子から立ち上がった。
 「やりのこした仕事が山積みなんだ。菜月、
手が空いたら、コーヒー淹れておいてくれる
かな。頼むよ」
 「はい」
 敏夫はじぶんの身に起きた、並木での不思
議なできごとにどう対処していいかわからな
いでいる。
 母の小言は、いつものこと。
 それに感情的になって言い返すのが常だが、
今回はそれくらいのことで、じぶんの心に生
じた不安をまぎらすことはできないと思った。
 「ごめんね母さん、心配かけて。ちょっと
眠れずにいたんだ。学校の作文書いてたんだ
けど、どうもうまく書けないでいてね。あた
ま冷やしてきたんだ」
 菜月の顔がぱっと明るくなり、
 「そうだったんだ。としおもなんだか大人
になったわね」
 とほほ笑んだ。
 敏夫は二階にかけあがり、半開きになって
いたドアを右手で押すなり、さっさと机の前
の椅子に腰かけた。
 机の上に朝食の用意ができていた。
 お気に入りのフレンチトースト、よく焼け
た目玉焼き、それにホットミルク入りのマグ
カップ。
 それらがトレイにのせて置かれていた。
 (お母さんありがとう。おなかが空いてた
んじゃ、宿題の作文もうまく書けないよね)
 敏夫はこころの中でそうつぶやくと、先ず
は温かい牛乳を、グウグウ鳴る胃の中にゆっ
くり流し込んだ。
 
 
 「ゆうじくん夢でもみてたんじゃない」
 けいこちゃんがほほ笑みながら言います。
 「おかしいなあ。今までいっしょだった
のになあ。ふしぎだなあ」
 ゆうじは顔をあげ、白くもやがかかって
いる大杉のなみ木を、目を細めてながめま
した。
 (あのおじいさん、きっと、あの大杉た
ちの大将にちがいない。車の排気ガスでい
ためつけられてるみんなのために、人の姿
をしてぼくの前にやってきたんだ)
 「おじいさん、ぼくがきっとなんとかし
てあげる」
 ゆうじがくちびるをかみしめました。
 「どうしたの、ゆうじくん。きゅうにし
んけんな顔になって?」
 けいこちゃんが不思議そうに言います。
 「あっちの道さ。ぼく、とっても気がか
りなんだ」
 「あれって、杉並木のこと?むかしむか
し、とくがわいえみつさんがこしらえたん
ですってね。わたしのおばあちゃんからお
そわったわ」
 「四百年以上、ああやって、たたずんで
いるんだ。がんばってね」
 「すごいわね。ほんとに」
 「なみ木の間を車がいっぱい通ると煙が
いっぱいになるよね」
 「そう……、良くないことよ。植物だっ
てとってもいやでしょうよ」
 けいこちゃんが涙ぐみました。
 「あっ、けいこちゃん、泣かないで」
 「うん、でも、なんだか悲しくなっちゃっ
たわ」
 ゆうじは、やったあっと思いました。
 こうやってひとりふたりと話していくこ
とで、いつの日かきっとあの老杉たちを助
けてあげられる。
 そう感じました。
 ゆうじは右手を空にむかってあげ、左右
に大きくふりだすと、けいこもつられてふ
りました。
 (了)


 
 
 

 
 
 
 
  
 
 
  
 
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いつまでも、たたずんで。  (5)

2022-10-24 18:26:12 | 小説
 「おにいちゃん、だいじょうぶう?」
 ふり向いた敏夫の顔が、よほど引きつって
いたのだろう。
 一頭のロバに引かれた直方体の大きな乗り
物の中から少女のかん高い声が飛び出した。
 「あっ、うんうん、だいじょうっぽいっ」
 敏夫は体勢をくずしながらも、白い歯を見
せ、おにいちゃんらしく、返答にユーモアを
交える。
 乗り物の車は、四本ともゴムでできていて、
馬車が揺れるたび、天井付近に付けられた数
多くの鈴がにぎやかに鳴った。
 「ほい、ぼく、気を付けるんだよ。この道
馬車の往来がはげしいからな」
 「はい」
 ロバをあやつる年配の男の人が、野太い声
で、敏夫をさとす。
 時おり、ごほんごほんと咳をする。
 (おかしいな、あんな馬車、前からこの道
走ってたんだろか。それにあの女の子って、
うっすら見おぼえがある。だけど、どこで会っ
たかなんてわかんないな。うちの学校の低学
年にあんなかわいい子いなかったように思う
し、御者の方だって若気にしてるけど、けっ
こう年とってるよな)
 女の子とのはっきりした出会いの場面を敏
夫が思いだそうとするが、頭の中に霧がかかっ
てしまう。
 すれ違いざま、互いにほんの数秒、顔を合
わせただけなのに、その少女の顔がやけに脳
裡にきざまれる。
 そのことが、敏夫を、とても困惑させる。
 おかっぱ頭に赤いリボン、薄桃色の毛糸の
上着がなんともあざやかだ。
 腰から下は見えないはずなのに、ライトグ
リーンのパンツが、彼女の両足首までおおっ
ているのがわかる。
 あっという間に、その馬車は、うっそうと
した杉の木立のなかに消えてしまった。
 (あれって、ひょっとして、トテ馬車って
いうんじゃ、いつかお父さんのパソコンをい
じっていてわかったことだけど……)
 敏夫はさかんに首をひねる。
 少女は大きな箱状の乗り物から身を乗り出
し、思い切り、左手を振っていた。
 「おにいちゃん、また会おうね」
 その声がほんの一時、木立の中で響いてい
たが、それがしじまの中に埋もれるのに、大
した時間がかからなかった。
 (あんなにぎやかな馬車が、こんなに細く
て暗い道を、今までずうっと行き来していた
んだろか。なんかミステリーじみてる)
 大きなはてなマークをかかえながら、敏夫
は、大杉の並み木のわきを急いで流れ下る清
流を早く見たくて、古ぼけた小さな石橋を一
気にわたった。
 いきなりピー、ピーッと連続して、大きな
笛の音が聞こえた。
 この小高い丘の下を走る列車が来たんだと、
敏夫は思う。
 左右にこきざみに巨体を揺らせながら、下
り列車が近づく。
 線路を踏みしめ、きしませながら、重くて
がんじょうな鉄製のわだちが、電気の力で駆
け上がって来る。
 思う間もなく、それは敏夫の目の前、線路
わきの木立の中をすばやく通り過ぎていく。
 線路まで降りるのに、手すりの付いた細道
が曲がりくねっている。
 おそらく子どものものだろう。
 下から軽い足音がして、小学校二年生くら
いの男の子が、敏夫の目の前にあらわれた。
 「こんにちは」
 敏夫に笑顔であいさつしながら、足早に歩
き去っていく。
 右手に金属製のバケツ、左手にボウ竿を大
事そうにたずさえている。
 あっこれってと思い、敏夫は彼に何かを語
りかけようとした。
 その男の子は、ふと、石橋の上であゆみを
とめ、回れ右をする要領で振りかえり、
 「さよなら、おにいちゃん、またね」
 と言った。
 馬車の女の子といい今の男の子といい、こ
れら両人に、敏夫は初めて会った気がしない。
 なんとも奇妙だ。
 胸がざわついてしかたがないので、敏夫は
もとの杉木立の細道にもどり、あたりを見ま
わしてみた。
 男の子は、さきほど馬車が歩き去ったと同
じ方向に速足で歩いて行き、もう少しで年老
いて巨大化した杉の木の根もとを曲がり切る
ところだった。
 「おおいきみさ、ちょっと待って。またねっ
て、どういうことなの」
 思わず、敏夫は大声をあげた。
 

 
 
 
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いつまでも、たたずんで。  (4)

2022-10-20 17:13:55 | 小説
 今日は土曜日。
 学校に行かなくてもいいんだと思うと、敏
夫は晴れ晴れした気持ちになる。
 低学年の頃から先生にかぎらず、他人から
なんのかんのと指図されるのをきらった。
 生まれ落ちた時からのたちのようで、敏夫
が三歳になった時、母方の祖父が、
 「そうかそうかとし坊はごんたろうか。こ
の子は目鼻だちがおれにそっくり。寄ればさ
わればぎゃあぎゃあ泣いてばかりいるところ
をみてもな。よっぽどの人嫌いなんだろう」
 と苦笑いした。
 「まあ、代々の先生一族、こんなふうでも
そのうち何かありがたい仕事にありつけるか
もしれんな」
 ごんたろうを育てている嫁さまの手前。栄
次郎はそう言い添えるのを忘れなかった。
 敏夫の住む家は、ふたつある杉の並木道の
間にある住宅地の一角にある。
 それらの道はYの字型になり、ついにはひ
とつの大きな道路につながる。
 およそ百軒。ほとんどが似たりよったり。
 まるでマッチ箱を立てたような家ばかり。
 敏夫の父は家の建て方にこだわった。
 彼が育ったのは、昔ながらの家である。
 長い時間がかかり、日々、トントン金づ
ちの音がして……。
 だが、大工さんを大勢かかえた建材店が容
易に見つからず、あちこち手を尽くしやっと
のことで探しあてた。
 何につけ、変わり者がきらわれる世の中。
 敏夫が学校に上がったばかりの頃、彼がい
じめられっ子ナンバーワンになった。
 敏夫の頭に、そんな思いが次々にわいてく
るが、ピーピーと覚えたての口笛を吹きなが
らやり過ごした。
 敏夫は時おり、うつむいた。
 釘や留め金。金属でできているものなら何
だってひょいと小さな手でひろい上げ、ポケッ
トに入れた。
 おかげで机の一番下の引き出しが半分くら
いうまった。その上に石の図鑑でおおった。
 拾い物の中で、ぴかりと光る青い石が一番
のお気に入り。宝物だと思い、いつでも見ら
れるように携帯している黒い小銭入れにしまっ
てある。
 (この家はAちゃん宅あれはB子ちゃん宅。
この時刻じゃまだみんなぐうぐうだろな)
 そう思いながら五分くらい歩くと、田や畑
の向こうに大杉の並み木が見えた。
 霧がかかり、風に流されている。
 一段高くなっているあぜ道に、敏夫はぴょ
んと跳びあがった。
 稲はすでに刈り取られ、新たに芽がでてい
るのが近頃の天候不順のあかしだ。
 今は落ち葉の時期。敏夫が書きだした物語
は春景色。
 つくしが顔を出したり、レンゲが咲いたり
ちょうちょが飛び交ったり。そんな風景が敏
夫の原風景になっている。
 「ああ、気持ちがいいな。空気が冷たいけ
ど、さわやかだし」
 敏夫は両手を空に向かって突き上げ、
「おおい、栄次郎じいちゃんぼく元気だよ」
 と大きな声を出した。
 首輪に付いた留め金から、鎖をはずしても
らった飼い犬の気分。
 そっと背後に目をやったが、誰ひとり見あ
たらない。
 (黙って出てきたんだ。誰もぼくを探して
いないのかな。まだ少年なのに、もうやっか
い者になっちゃたんだろか。どうやってこれ
から生きていけばいいんだろ)
 敏夫は子どもっぽい不安な気持ちを抱えな
がら、車が行きかいだした大通りを用心しな
がら横ぎる。
 駐車場の階段をそっと降り、黒々とした大
杉の林の中に入りこんだ。
 ここへは初めて来た。
 昼間でも暗く、ひとりじゃとても来る気に
ならなかった。
 幅三メートルくらい小道がつづく。
 社会科で学んだが、これは今から四百年も
昔に造られたようだ。
 当時の旅人たちは、いつだって歩き。
 病をかかえ歩くに歩けなくなったときなど
に籠を利用したくらいだ。
 士農工商。
 階層の分け隔てはきびしく、貧富の差は今
よりずっとはっきりしていた。
 敏夫はふと、カッポカッポという、馬のひ
ずめの音を聞いた気がして、振り向いた。
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いつまでもたたずんで。  (3)

2022-10-17 19:27:29 | 小説
 その夜、敏夫は早くベッドに入ったが、な
かなか寝つけない。
 眼をつむっても、今日書きだした物語の登
場人物がひとりひとり、頭の中に浮かんでは
消える。
 老人、男の子、女の子。三人がそれぞれに
ああだこうだと物語の筋に注文をつける。
 敏夫はとても疲れた。
 彼らがあまりに活き活きしているからだ。
 まだ小学生のくせに、作家気取りでこんを
つめたからだろう。
 いまだに眠りに落ちもしないのに、と敏夫
は思う。
 小説を書くことは、まるで雨にずぶぬれに
なった衣服を身に着けて道を歩くのに似てい
て、ほとほと疲れる気の重い作業らしい。
 そんな感想を、敏夫は某大学の准教授をし
ている父の本棚の中で目にした覚えがある。
 ほめているのか、けなしているのかわから
ない。ともかく姉の恭子の言葉も敏夫のいら
いらに一役かった。
 ベッドの上にすわりこんだ敏夫は、じぶん
の頭を、ぼりぼりとかきむしる。
 (PCを長時間見つめているだけで肩がはっ
たり、目がしょぼしょぼ。物語の中の三人の
声は音にならない。口パクだけ。なんとなく
気味がわるいや)
 背景はのどかなもの。陽射しがやわらかく、
風がほとんどない。空にはひばりが飛び交い、
野原には花から花へと蝶や虫たちが蜜を求め
てそれぞれの羽を忙しげに動かす。
 (昼でも夜でも夢ってまったく不思議きわ
まりないや。それらを観ているのはじぶん自
身のはずなのに、ぼくの姿がどこにもない。
いったいぜんたい何がどうなってるんだろ)
 ふいに目の前に小さな蝶やハチたちが現れ
たかと思うと、彼らがだんだん大きくなって
くる。
 ライトのついた部屋の中である。
 敏夫は急に不安にかられ、つむった眼を開
けようと試みたが無駄だった。
 いつの間にかすうすう寝息をたてていた。
 どれくらいの時刻が経ったろう。
 敏夫は寒さを感じ、カジュアルな支度のま
ま起き上がった。
 かけ布団も何も、敏夫の体をおおってはい
なかった。
 「寒いし、ちょっと走りこんでくるか」
 つぶやくように言って、敏夫はお勝手から
戸外に出た。

 次の日の朝、敏夫の机の上にひらいたまま
の原稿用紙に斜めに朝陽があたっている。
 「としおっ、ご飯だよ。降りて来て」
 姉が階下で敏夫を呼んだ。
 食事のために敏夫が一階に下りてこないの
を母が心配したらしい。
 そのうち、階段をのぼる姉の軽い足音がし
だした。
 敏夫の部屋のドアをノックするが、返事が
ない。
 「としお、入るわよ」
 恭子は入るなり、ベッドの上に敏夫がいな
いのを確認すると、あわてて階下に降りて行っ
た。
 「きっと、散歩にでも出てるんだろ。そん
なに心配することないよ」
 父の公彦が読んでいた新聞をたたみながら
言う。
 「まだ六時よ。秋だし、外は暗いし……」
 母の菜月が不安げな声をだす。
 「おれだって敏夫の時分にゃ、親に心配ば
かりかけたさ」
 「あなたと一緒になるかしら、あの子」
 菜月がキャベツを刻みながら言う。
 「むりむり。だけどあいつね、ゆうべ遅く
までお話書いてたわ」
 恭子が右手で、熱いコーヒーの入ったマグ
カップを持ち、左手で長い髪をすきながら言
った。 
 「へえそんなことできるんだ。そりゃ楽し
みがひとつ増えたぞ」
 公彦がそう言って、ほほ笑んだ。
 「腰かけてお飲みなさい。まったく行儀が
わるいんだから、人のことをああだのこうだ
の言えないわよ。お父さん、ちょっとは娘を
叱ってくださいね」
 と、菜月が夫と娘をたしなめる。
 
 
 
 
 
 

  
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いつまでもたたずんで。  (2)

2022-10-15 09:17:53 | 小説
 「なんとかならんかのう?このままじゃあ
のやつら、じき、病気になって死んでしまう
わい」
 老人はたくわえにたくわえた長くて白いあ
ごひげをしわくちゃの右手でつまむと、しゅ
っしゅ、しゅっしゅとさすりだしました。
 やせて肉が落ちたく眼のくぼみの底で、年
老いて死んださんまの目のようになった瞳が、
急に怒りをふくんでぴかりと輝きます。
 「あのやつらって、だれ?ねえおじいちゃ
ん。誰が死んじゃうの」
 「わしの仲間たちじゃ」
 「それって人間でしょ?おじいちゃんみた
いな、せきコンコンの人たちいっぱいいるん
だね」
 「ああ……」
 「大きな木がいっぱい列になってるところ
でしょ、あっちのほうにお年寄りの方たちを
世話をするところがあった?」
 「まあ……、な。あるよ。ぼくにあれこれ
言ってもわかってもらえんだろうな」
 「えっ、わかるよ、ぼく、なんだって」
 「そうか。それはいいぞ。楽しみだわい、
ぼくみたいな子がいると。まあいいわい、い
いわい。こんなご時世じゃ。誰がわるいって
言いはじまると切りがない。ほんの少しみな
に優しさがそなわれば、な」
 気じょうにふるまう老人ですが、右目のく
ぼみに涙をためています。
 「それじゃあ、よし、こうしよう。これで
な、つんつんとな……。よし、これでちょっ
とは、ぼくにわかってもらえるかな」
 老人は持っていた杖の先を、ゆうじの右肩
にのせ、軽く何度かつつきました。
 「あれれっ、おじいさんなんかへん。肩が
あったかくなってきたよ。ああ気持ちいい」
 ゆうじは目をつむり、しばらくじっと立っ
ていました。
 「よおし、おじいちゃんの言いたいこと、な
んだかわかったみたい。ぼくがお父さんやお
母さんにたのんであげる。そして会う人、誰
もかれもにもね」
 「おまえはいい子じゃ、いい子じゃ」
 老人は顔に笑みをたたえ、もう一度あごひ
げをさすりました。
 「ゆうちゃん、もう帰ろうよお」
 土手の上で、ふいに女の子の声がしました。
 となりの家のけいこちゃんが、ゆうじ、め
がけてかけおりてくるところでした。
 左手に、レンゲの束を持っています。
 はあはあ言いながら、やっと、ゆうじのそ
ばまでやって来ると、
 「ねえ、今まで誰とお話してたの?」
 「えっ?このおじいちゃんとだよ」
 ゆうじは確かめようと、くるりと体をひね
りますが、どうしたことか、どこにも老人の
姿が見えません。
 「誰もいないわ。夢でも見てたんじゃない
の?」
 「おかしいなあ。おじいちゃん、たった今
までここにいたんだけどなあ……」
 

 佐藤敏夫はここまで書いてきて、首をひね
った。
 目をつむり、ふうっと息を吐く。
 ぼっちゃん刈りで、ていねいに整えられた
頭髪に、右手の指をもぐりこませ、ポリポリ
とかく。
 机の上にコクヨの原稿用紙が一枚。
 しわくちゃになったのを、むりに広げたら
しいのがのせてある。
 黒い毛の少ない、まだまだうぶ髭の残るあ
ごをやわらかい両の手のひらの上にのせた。
 何を思ったか、削られてない4Bの鉛筆の
はじを口でくわえ、くるくるとまわしだした。
 敏夫は小学六年生。
 昨日、担任の先生に出されたばかりの童話
の宿題を書きだしたところである。
 彼はふと異変を感じ、顔をあげた。
 わきから誰かに見られている気がしたから
である。
 「としお、おまえってかわいいっていうか、
面白い作文書けるのね。このお話、これから
どうなるのよ?」
 中2の姉、恭子が不思議そうにいう。
 「おねえちゃん、いやだよ。やめてよ。盗
み見するなんてずるいよ」
 敏夫はあわてて書きかけの原稿用紙の上に、
じぶんの上体をのせた。

 
 
 
 
 
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