油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

令和六年 大晦日。快晴

2024-12-31 12:43:25 | 小説
 あまりに寒いので、寝坊してしまった。
 午前八時過ぎ。

 いそいで仏壇にお茶をあげ、南向きの廊下に置いてあっ
た椅子にこしかけた。
 湯気の立った湯飲み茶わんのふちに、いい加減白いのが
まじった無精ひげだらけの唇をちかづける。

 ひと口すすり、「ああ美味じゃ」と小さく、感嘆の声をあ
げた。

 この茶葉はある農協の商品。
 実はこのところ夏向きの麦茶のパックで、ご先祖さまを
あざむいていた。

 しかたがない。むこ様の稼ぎがなかった。
 おらはもっぱら野良仕事に明け暮れた。
 人さまに頼むと、金がかかる。

 かみさんの内職程度の実入りしかなく、うちの経済が悪化
の一途をたどっていた。

 それでも、せめてもの正月料理をとかみさんが言う。
 ゆうべは遅くまで、おせちの一部なりともそろえようとあ
ちこちの店に出向いた。

 ご存じのように、おらは涙もろい。もろくなったというべ
きか。すぐに目がしらが熱くなる。
 「おらの働きがないばかりに」
 と、泣き声でしゃべった。

 「なに言ってるのよ。あんたはそれでいいのよ。今まで千度
働いて来たじゃないの」
 気強い言葉に圧倒される。

 だんだん男っぽくなるかみさんである。
 こちら、髪の毛がうすくなるに比例して気が弱くなる。

 それから食パン一切れと、里芋の煮っころがしを、ふたつ
みっつ口にしてから、近所の路地を徘徊することにした。

 おだやかな日である。
 しかし、木陰に入ると、まだ、ゆうべの冷気がじゅうぶん
に残る。

 「おはようございます。寒いね。落ち葉を掃くのもたいへ
んですね」

 おらより十も年上の、昔から懇意にしていただいている嫁
さまに話しかけた。

 「こたつにばかりぶつかっていても、と思うから、出てきた
よ」
 「まあ、寒いし、からだに毒だから、休み休みやってくださ
い」

 かの嫁さま、ずいぶんと先輩でもあるし、実によけいな世
話である。
 だが、おらの浅はかな教訓をもとにした発言を、いとも簡
単にしてしまう自分に、いい加減あいそをつかす。

 ある冬のこと、山の畑の枯草をかたづけたうえで、それら
燃そうとしていた。

 突然、プチッという音。
 左目がなぜだか見づらくなった。

 あわてて、眼科にかかったら、毛細血管が切れていると女
医さまがおっしゃる。

 「ほうっておいて大丈夫、自然に吸収されますよ」の言葉
に安堵した。

 そぞろあるきである。
 すると、めずらしい。小さな子供の声が聞こえてきて、あ
ちこち視線をめぐらす。

 班の長老の家。
 庭先で、ふたりの幼子が遊んでいる。
 大きい子が小さい子のあたまに、砂をふりかけ悦に入って
いる。

 「これこれ何してる。あんたはお兄ちゃんだし、もっと優し
くしておやり」

 ふたりの様子を気にかけて、家から観に来られたおばさんが
ふたりの間にわって入る。

 「お孫さん?」
 ふいにおらが声をかけたら、
 「ひ孫、ひ孫だよ」
 意外な言葉だったのか、けわし気な顔つきをおらに向けら
れた。
 「そうなんですか」

 ここ数十年、あまり近所隣りを気にかけなかった自分を反
省する瞬間だ。

 それじゃ違う遊びを、と、大きい子は遊びを追いもとめた。
 気のかけらに木々を打ち込んだ。

 「ぼくはいくつ?」おらが語りかけると、「六歳」と元気に
答えた。
 「じゃあ、来年は学校だね」と、すぐに返事が返ってくるの
が嬉しい。

 「どこの小学校だろ」と問うと、
 何やら話してくれるのだが、こちらの耳が哀しいかな、聞
きづらい。
 話し半分で、あいづちを打ってばかりだ。

 塾業が長かった。

 生来の子ども好きだからだが、八十を前にしても、先生気
取りがぬけないようだ。

 そっちへ行っては、ねぐらから出てきたばかりのスズメに
声をかけたり、ふだん会えない人と親し気にあいさつしたり。

 良寛さんの気持ちを追体験した大みそかの朝ではある。
 
 
 
 
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12月24日(水)晴れのち曇り

2024-12-25 22:20:38 | 日記
 佐野に用があったので午前9時ごろ出かける。
 このところ、お年寄りマークを付けている。

 途中、行き合う人いやもとえ、車がやけに急
いでいる。
 
 若い女の方にも、わりとスピードを出す方が
おられる。

 どうしてだろうと考えてしまう。

 車に乗ったら、人が変わったようになってしま
う方がおられるのかもしれない。

 こちらまでせかせかしてしまい、アクセルを
ぐんと踏みたくなってしまう。

 だが、我慢する。

 ゆったりした気分で円滑安全に運転しようと
いうこちらの気持ちが、そがれてしまうのがつ
らい。

 出発して数分後、ふと気が付くと、バックミ
ラーに、ダンプカーの姿が映った。

 次第に近づいてくる。
 どんどん大きくなるダンプの姿に圧倒される。

 (ひょっとして、ぶつけられでもしたら…)
 そんな恐怖にわたしのこころが支配される。

 40キロの速度制限。
 少しばかり速く走っていた。
 
 どれくらい速く走れというのだろう。
 ダンプを運転する人の気持ちを推しはかって
みる。
 
 しばらく悩んだ。

 よし、追い抜いていただこう。

 余裕のありそうな路側帯をさがしたが、見あ
たらない。
 
 じりじりと迫って来る。

 黄色のまっすぐな線が、道路の真ん中に、塗
りつけられているのだ。

 もうすぐ交差点がある。
 そこが勝負だ。

 まっすぐ足尾方面に行くか。
 それとも左に曲がるか。

 わたしは左に曲がる予定だ。

 ちょっとした神経戦である。

 結局、交差点を、わたし同様に、ダンプカー
も左に曲がった。

 ここからはのぼりざか。

 わたしはぐいとハンドルを切り、道路のふち
に寄った。 
 左のウインカーを出す。

 軽の乗用車は、いっとき、疾駆するダンプカ
ーが巻き起こす強い風にあおられた。

 (ようやく危険が去った)

 ほっとした気持ちになった。 
 
 車は小さくても、大のおとながふたりも乗っ
ているのである。

 大型に乗っていると、気持ちがおおらかになっ
てしまい、ふんどりかえってしまうというか小
さい車を見下してしまう。

 そういうご仁がおられるのは情けないことで
ある。

 誰だって事故は起こしたくない。

 平和裏に、新年を迎えたい。

 車の動きが、まっこと、人の気持ちに沿うよ
うにして動くことが知れて、興味深い。
 
 
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他人の街で。

2024-12-14 22:19:15 | 随筆
 ひとたび田舎を出て、宇都宮にでると、道に迷うばかりでなく、
人に迷うことが多い。

 この街は人口およそ五十万。
 全国的にも住みやすさでは群を抜く。

 この日、県の施設であるマロニエプラザに用があった。
 県道一号線と国道四号が交わる四つ角を北へ少しばかり進んだ
あたり。そうインターネットが教えてくれていた。

 一度しか訪ねたことのないところであるので、早めに家を出た。
 ちなみに愛車にナビは付いていない。

 その言い方は、実は正確ではない。
 というのは……。いつだったろう。
 自動で洗車していて、車の屋根に付いていたアンテナをダメに
してしまっていた。

 折りたたんでおけば良かったと悔やんだが、無駄だった。
 時計が利かない。
 好きなCDもむり。
 ラジオも……。
 ナイナイづくしで、しめて二十万近い値打ちものが、一瞬でゼ
ロになった。

 ブロ友のみなさんにおかれては、わたしの失敗をひとつの教訓
にしてもらえたら有難い。

 もっとも器械にうといわたしだから、失敗したのだろう。
 おっと、話が脱線してしまった。

 ちょっとばかり気遣いのいる会合。 
 先ずは身なりを気づかったが、あっ髪が、である。ぼさぼさの
まま、二か月余り切っていなかった。

 ベレー帽をかぶっていればいいやくらいの怠惰さだ。
 床屋に立ち寄ることにしたが、如何せん、土曜日。
 格安で調髪します。それが売りのお店のせいか、かなり混んで
いた。

 何だって値上がりのご時世。
 お店は商売繁盛、二時間待ちだった。
 一時間我慢して待ったが、目的地までまだかなりの道のりが残
っている。

 渋滞がなければ、すいすい行きつけるのだが、宇都宮駅周辺は、
昔から人出でにぎわうことで名をはせている。

 「すみません。平日にでも、出直してきます」
 スタッフのひとりにそう声をかけ、店を出る気になった。
 「お客さま、車ですか」
 「ええ。百円払えば、出られるでしょうから」
 「あっ、それじゃ、こちらでサービス券をお渡ししますか
ら」
 気遣いがうれしい。

 (お昼どきになるから、どこかでかるく食べて行こう)
 そう思いながらJR東北線のガードをくぐりぬけ、しばらく走った。
 四号線との交差点に行きついたところで、よし、ここを左
に行けばとハンドルをまわす。
 PCで道順を調べてきて良かったなと、心底ありがたかった。

 どういうわけか、アイホンでグーグルマップが使えない。
 アンドロイドを使用していた時は何ら問題なかったのに。
 その理由を知る方がおられればに、聴いてみたいところである。そ
れとも過去のどこかで、グーグルさんの規約が変わったのだろうか。

 走行車線を走りながら、視線をさまよわせる。
 「すきや」の看板が目に入った。
 注文したのは牛の並盛で、ミニサイズだった。

 持ってこられるまでに、それほど時間がかからなかった。
 それにはびっくり。
 じいじはむかし昔の若者。 食事をとるには、食堂。
 そう相場が決まっていた。

 こんこん咳をしながら、マスクなし。親指をどんぶりにつっこんだ
まま、持ってこられて閉口したことがあった。

 今は、とってもスマート。
 スタッフがてきぱきと動く。
 店内がきれいで、気持ちがいい。
 スタッフは稼ぎ時とあって、とても忙しい。

 「マロニエプラザはこの辺りでしょうか」
 隣にすわる若者に聴いてみた。
 しかし、すぐの返事をもらえなかった。
 観ると、彼の両耳に何やら白いものがつっこんである。
 わたしの口の動きで訊ねられているいるのがわかったのだろう。
 その若者は驚いたげに目を見ひらき、長い線の付いた耳栓をひとつ
ひとつはずしてくれた。

 「わかりません」
 その一言をわたしに与えてくれただけでも、うれしく有難い。
 
 
 
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小さな手を振り。

2024-12-09 08:29:20 | 随筆
 「おじちゃん」
ふいに金属がこすれあうような声が聞こえて、
くぴをまわす。

 ここは、壬生の郊外。
 姿川のほとり。

 一羽の青サギが雨量が少なくなった水面に
日がな首を傾けている。

 いかにも田舎らしい。
 ビニルで出来たカラオケハウスから用を足
そうと、ひょいと外に出たばかりだった。

 年端もいかぬ女の子。
 三歳くらいに違いない。

 ブランコから滑り台に向け、しゃにむにかけ
ている。

 私はなぜかうれしくて、胸が熱くなった。

 幼な子である。
 大した考えがあって呼びかけたわけじゃない。

 ちょっとしたハプニング。
 こころがぐいと驚かされた。

 今でも、こんなふうに感じられるんた。
 そう感激した次第である。

 年老いるとえてして考えが後ろ向きになる。
 若い時のごとく前へ前へと進んでいくような
考え方ができないのは、仕方がない。

 いつの頃からだろう。
 しばしば外出し、キョロキョロと辺りを見ま
わすことがひんぱんになった。

 何を求めている?
 そう自分に問いかけてみる。

 すると、うちなる声がこんな風に応える。
 「おまえさんは、生まれ育ったところを、懐かし
んでいるのさ」

 「どうぞ元気でいてね」
 そんな時、わたしはいつもそう答えるようにして
いる。

 
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まことに心細い。

2024-12-05 12:25:14 | 随筆
 いよいよ師走。
 いま、近隣の市街地まで、ドライブして
きたが、その間いくどか、パトカーに行き
あった。

 年末年始の警戒にあたっておられるのだが、
お巡りするのにも、例年よりきっと、周りに
対する気遣いがいることと思う。

 近ごろ社会不安が増大した。

 例えば盗み。
 昔は、こっそり家に忍び入り。
 そんなやり方はもう流行らないようだ。

 なにがなんでも金目のものを、むりやり
奪っていく。

 狙われるのは、主に高齢者だ。

 殴ったり、蹴ったり。
 縛ったり。

 やりたい放題である。

 こんないい方は、誤解を生んでしまい、
批判を受けるかも知れぬ。

米国なみになった。
そういうことだ。

 どうしてこうなったか。
 さまざまに取り沙汰されるが、原因は
一様ではない。

 とにかく自分の身は、自分で守る。
 それに尽きる。

 わたしも後期高齢者のひとり。
 護身用のピストルを持つことはできぬ
ゆえ、なにか手立てを考えねばなるまい。

 敵もさるもの。
 用意万端ととのえ、仕事におもむいている。

 まことに怖い時代になった。

 他人を信じることのできたむかしむかしが
懐かしい。
 
 
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