油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

会津・鬼怒川街道を行く  (5)

2020-08-05 13:06:02 | 旅行
 今回の旅の目的のひとつだった鶴ヶ城見学
をひととおり済ませ、展望台から四方をなが
めた。
 まことにすばらしい城だった。
 昭和四十年に再建されたらしい。
 官軍の大筒に見るもむざんに破壊された城
の面影を残すものは、基礎となっている切り
石のみである。
 わたしの背中が、ぴりぴりしているのに気
づいたのか、わたしに声をかけてくるものは
誰もいなかった。
 偏屈で、誤解されやすいたちである。
 わたしの眼には、会津の街が、おそい春の
華やいだ空気のなかで、ちょっと恥ずかし気
にちじこまっているようにみえた。
 「お父さん、会津のおみやげ、うちのきょ
うだいや親せきにも買っていかなきゃね」
 わたしの気むずかしい性質などものともし
ないのは一人しかいない。
 かみさんがわたしの背後から、うわずった
声を浴びせた。
 思わず、わたしは苦み走った顔をくずして
しまい、ああ、そうだったねと言った。
 それから、はあとため息をついた。
 すきを見て視線をもう一度、城下に移して
あちらこちらと所在なげにさまよわせた。
 そしてぎりぎりと歯をかみ合わせた。
 わたしの観たり聞いたりしたいものは、こ
んなもんじゃない。そうじゃなくて……。
 わたしは必死になって、かぶりを振り、大
声で叫びたい誘惑にかられた。
 「なんて顔してるのよ。もっと笑顔を見せ
なさいよ。せがれが買ったばかりの車で、こ
んなに遠くまでわたしたちを連れて来てくれ
たんじゃないの」
 「うん、ありがとう。すまないね。忙しい
のにね」
 「お礼なんていいの。もっとうれしそうに
して」
 「ああ」
 百年以上前に、この地で展開された、戦い
の模様を、なんとかして表現したい。
 わたしはなぜかしら、そう思うようになっ
ていた。
 あの時、会津の人々は、城内城外を問わず、
必死で戦った。
 かれらのたましいは、いったい、今はいず
こにあるのだろう。
 当時の家老は、老若男女をとわず、家族も
ろとも、討ち死にしているという。
 足手まといになるとみて、自死した人もか
ずおおかったと言われている。
 そそくさとお城の中から外へ出ようと、わ
たしは歩みをはやめた。
 ようやく広いところに出たが、家族の者は
誰ひとりついてこない。
 かみさんの姿を見かけ、安心して、前に進
んで行く。
 駐車場への道をたどろうとしたが、どこで
どう間違ったのだろう。
 見も知らぬところに出た。
 「だいじょうぶだよ。お父さん。そのうち
だれか通りかかるだろうから、聞けばいいよ。
その人に」
 歴史好きのせがれがにっこりして、言う。
 「ああ、そうだな」
 「ああ、ああ。ばっかりなんだから、あん
たは。もっときっちり答えてやったらどう」
 「ああ」
 ふいに何か重たいものを背中にしょった感
じがし、わたしは猫背になってしまった。
 百四十年ほど前の激しい戦いのあとを思い
起こさせるものが、ひょっとしてこの風景の
なかから現れるのではなかろうか。
 そう思い、わたしはじっと薄暗がりを見つ
めた。
 だが、木々の間をさやさやと風が吹き過ぎ
ていくだけである。
 百年をゆうに超える松や檜、杉などがうっ
そうと茂るのを眺めながらゆっくり歩いた。
 ふいにポーン、ポーンと軽快なボールを打
つ音が響いた。
 わたしは目をほそめ、木々の間を透かして
見た。
 小さな黄色の球が弧を描き、右に左に行き
かっている。
 テニスコートがしつらえてあるらしい。
 時折、よしっよしっと高校生くらいの青年
たちのかけ声が耳に届いた。
 ふと、わたしの思いが、はるか百四十年前
に飛んで行ってしまった。
 明治は遠くなりにけり。
 今でも会津藩の「じゅうの掟」は、この街
の青年の間で、脈々と受け継がれているのだ
ろうか。
 飯盛山からはるかにみえるお城が燃えてい
ると錯覚してしまい、さようならばと自刃し
たり、互いの体を刃で刺し貫いたりした十七
人の青年たちの志が、今も形を変えてでも生
き続けているのだろうか。
 そんな想いにひたった。
 
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会津・鬼怒川街道を行く  (4)

2020-07-26 13:54:06 | 旅行
 若松城の敷地はとても広く、複雑に入り組
んでいて、駐車場のひとつから城門にいたる
のにずいぶん時間がかかった。
 もちろん満開に近いさくら花が、はるばる
やってきたわたしたちの歩調をゆっくりした
ものにしたのは言うまでもない。
 「まあ、きれい」
 かみさんは驚嘆の声をあげ、じっと掘わり
の土手に咲くさくらを見つめた。
 見るからに古木である。
 なかには、うろをかかえているもの見受け
られた。
 時折、ピンク色の花弁が、ちらほらとかみ
さんの顔にかかる。
 わたしは先を急ぎたかった。
 催促してもいいのだが、下手に声をかける
と、逆ねじを食らう。
 どうしたものかと、せがれふたりともども、
あっちへ行ったり、こっちへ来たり。
 しばらくひまがかかるとふんで、わたしは
好物を求め、掘わりの界隈を歩くことにした。
 どこの城でもそうだが、わたしは、いくつ
もの巨石がきちんと積み重ねられているのを
見るたびに驚いてしまう。
 石の表面が滑らかに削ってある。
 この地までどうやってそれらが運ばれたか。
 どのようにしてそれらに細工を施したのか。
 大昔のことだから、簡素な造りの荷車にの
せ、牛馬に引かせるほかなかっただろう。
 それに、のみや金づちくらいはあったに違
いないが、と、掘わりを造った人々の底知れ
ぬ苦労に圧倒されそうになった。
 ふと団子の焼けるいい匂いがした。
 わたしは間もなく、ひとりの青年が汗水た
らして団子を焼いているのを見つけた。
 店の前は客が行列をなしている。
 ずうずうしくも、わたしは列を無視し、列
の先頭に出た。
 「あれれ、だめでしょうが」
 後ろのほうで、息子のひとりがわたしをた
しなめる声をあげたが、わたしはわざと聞こ
えないふりをした。
 「ちょっと急ぎなものだから」
 と、その青年に耳打ちした。
 とたんに、列を形作る人々の間からブーイ
ングが起きた。
 「まあいいじゃないですか。この方はよほ
ど急いでおられる。それにどうやら初めての
方みたいです。この団子を、このおいしさを
異郷の方に味わっていただきましょう」
 若いにもかかわらず、落ち着いたものごし
で言う。
 「でもね。子どもじゃないんだからちょっ
とだけ待っていてくださいね」
 「ええ、そりゃもう」
 彼はそれまでより、てきぱきした動作で仕
事をやりだした。
 パックに詰めた団子を、おとなしく並んで
待っていた客に渡していく。
 「はい、お待ちどうさま」
 あっと言う間にわたしの番が来た。
 彼はその団子を、白い発泡スチロールの容
器に入れると、とろりとした液体をじゅうぶ
んにかけてくれた。 
 わたしはさっそく食べはじめた。
 わたしは根っからの関西人。
 苦しいときに、とんちをはたらかせること
がある。大阪弁でしゃべったりしてしまう。
 まあ、それだけに誤解も多い。
 ふと気が付くと、目の前に黄色のパンツを
はいた細めの脚が二本ある。
 はて、どこかで見たことがあるぞ、と、わ
たしは団子をくわえたまま、ちらりと見た。
 「しょうがない人。まあた、こんなところ
で油を売ってたんだ。列を乱したんだって?
ほんと恥ずかしい。放っておいても別にかま
わないんだけどね。で、どうするの。ずっと
ここにいる?」
 せっかくの旅である。
 わるいのは、わたしに決まっている。
 わたしはきびすを返し、かみさんに従って
歩きだしたが、うしろ髪ひかれる想いにから
れた。
 ちょっとふり向いたとたん、売りっ人の青
年と目が合った。
 わたしがかるく会釈すると、彼もそれに応
じた。
 多分、どこかの高校生だろう。それにして
も動作がきびきびしていて、礼儀正しい。
 その尊敬にも似た気持ちが、会津の人々す
べてに波及するのに、さほど時間がかからな
かった。
 残りの団子をむりやりのどに押し込んだの
で、危うく窒息しそうになってしまった。
 歩くにつれ、わたしは異郷になじんだ自分
をとりもどし始めた。
 明治初年1868年、この辺りは、大きな
いくさの舞台となった。
 戊辰の役、会津戦争である。
 「お父さん、どうしたの。顔がさっきとぜ
んぜん違うよ。何かいいこと、あった?」
「ああ、まあな」
 と応じた。
 「それは良かった」
 今さっきわたしをたしなめたせがれは、大
の歴史好き。
 歩くにつれて、彼の口数が多くなった。
 
  
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会津・鬼怒川街道を行く  (3)

2020-07-17 23:48:47 | 旅行
 大きな山の端をめぐると、ふいに目の前が
ひらけた。
 左を見ると、幅の広い川がある。雪解け水
だろう、けっこうな水量だ。
 はるか平地に向かって、とうとうと流れて
いく。
 陽射しが急に強くなった気がして、わたし
はまぶしくて眼をほそめた。
 晴天のゴールデンウイークの一日。
 満開のさくらを二度観る幸運に恵まれたと
喜んだあとだけに、いっぺんに夏がやって来
たような周囲の変化に、わたしはついていけ
ないでいる。
 それに大内宿での独り暮らしのおばあさん
との出逢いが、わたしの旅のタペストリーに
微妙な色合いをつけていた。
 まるで生まれてからずっとこの地に住んで
いるような気がするのだ。
 その雰囲気は旅の間じゅう、ずっとわたし
に付きまとった。
 ここは会津田島の町はずれ。
 日光のイロハ坂を下るときに聞こえるキー
ンという耳鳴りは、ここでは体験しなかった
が、山王峠のある高地から車がくだって来て
いる。
 車がガスに巻かれ、うかうかすると谷底に
まっさかさまなんて危うい場所もひやひやす
る場面もあった。
 せがれも平地が近いと悟ったのか、アクセ
ルを踏む足に力をこめた。
 「おいおい、気をつけて運転しろよな。こ
んなところで速度超過なんてかっこわるいぞ」
 「だいじょうぶだよ。まだまだいなか道な
んだし、おまわりさんだって、こんな見通し
のいいところでねずみとりしてやしないさ」
 「わかるもんか。ほんと、初めて走るとこ
ろは要注意だ。おれはだてに年取ってないか
らな。免許をとったばかりで、不慣れな前橋
の街を走ったことがあるが、もうさんざんだ
った。若いおまわりさんに笛を鳴らされてさ。
心臓がどっきんどっきんだったよ」
 「おやじ、縁起でもないことを言ってくれ
るなよ。あんまり心配してると、ほんとになっ
ちまうから」
 ふいにものかげからドッジボールくらいの
大きさの玉っこが飛び出してきた。
 すぐに四歳くらいの女の子がひとり、道路
の中央にまで追いかけて来た。
 車が迫ってきているのがわかったのか、彼
女はどうしていいかわからず、ただぼんやり
とたたずむばかりだ。
 せがれは鬼のような形相で、思い切りブレ
ーキを踏んだ。
 寸でのところで、彼女は事故から逃れた。
 後続車がなかったのも幸運だった。
 「すみません、すみません。以後気を付け
ますから」
 女の子の母親らしい人が真っ青な顔で、盛
んに頭を下げた。
 「いえいえ、こちらももっとスピードを落
とせばよかったのですから」
 黙りこくっているせがれに代わり、わたし
が返事をした。  
 「すみません。鶴ヶ城にいきたいんですが。
まだまだ遠いんでしょうか」
 「つるがじょう?ああ、若松城ですね。あ
と三十分くらいかかりますかしら」
 彼女は車のナンバーをちらりと見やり、
 「宇都宮方面からおいでですね。山あいを
ぬけて来られたんじゃ大変だったでしょう?」
 「ええ、けっこう時間がかかりました」
 「ちょっと休んでいかれたらいかがですか。
お茶でも差し上げますから」
 せがれの車の中に、かみさんがいるのに気
づいたのだろう。
 彼女はほっとした表情になった。
 彼女の話によると、彼女はもともとこの地
の人ではない。
 首都圏から来たらしい。
 若い頃、夫と共に旅行で南会津にきて、こ
の地の自然に心を打たれたらしい。 
 そのうえ、町も県外から移り住んでくれる
人を募っていた。
 「会津は昔から学問には熱心だし、礼儀作
法を身に付けることができる。いっそのこと
空気のきれいなこの地で子どもを育ててみる
か」
 心身ともに、容易に東京から離れられない
身の上の彼女だったが、夫の熱意に動かされ
たようだった。 

 
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会津・鬼怒川街道を行く  (2)

2020-06-28 11:59:37 | 旅行
 大内宿に立ち寄ってみたが、今ひとつ旅
情がわかない。
 江戸時代の宿場の景観を残しているうえ、
お国なまりで在所の人々が応対してくれる。
 重厚なかやでふかれた家々に圧倒される。
 それはそれで、とてもいい。
 この地の大昔の風景を、思い描くことが
できる。
 だが、何か足りない。
 わたしが気むずかしいのだ。
 ほかの家族は、せがれの車から降りると、
いっせいに思い思いの方向に行ってしまい、
わたしだけぽつんとその場に残された。
 ぼんやりとたたずみ、さてこれからどう
しようかと考えてしまう。
 ふいにひばりの鳴き声がして、わたしは
空を見あげた。
 空が青い水をたたえた巨大な井戸のよう
に思え、そこに落ち込んでしまう。
 そんな恐れを感じた。
 自分の中の何かが、群衆の中にいるのを
避ける。それは小学生の低学年のころから
の癖だった。
 もよりのお宮さんがわたしの遊び場。
 春は蝶、夏ならセミをとる。
 セミのぬけがらも。地表近い木の幹をゆっ
くりとだがしっかりした足取りで這ってい
るのを見つけたときなど、わくわくしたも
のだ。
 ふいに通行人のひとりの体が、ボンとわ
たしの肩に当たった。
 わたしはよろけそうになるのを、両足を
ふんばってこらえた。
 あわてて、視線を地上にもどす。
 山の雑木林。
 うす茶色の葉ばかりの中に、淡い色のさ
くら花を見つけた。
 いっぷくの絵画を見るようで、得をした
気になる。
 ブオッ。
 車の排気ガスが突然、わたしの鼻のあた
りを直撃してしまい、わたしは気持ちがわ
るくなる。
 次々に観光バスが到着しはじめ、人がそ
こからわさわさ降りて来る。
 わいわいがやがや、人の話し声を聞くの
がいやだ。
 わたしは静かなところを求めて、宿場外
れに向かった。
 自然と、細い山道をたどり始める。
 「どこさ、行きなさる?」
 大きな竹かごを背負った年配の女の人が
わたしに声をかけた。
 わたしは思わず笑顔をつくり、
 「ちょっと静かなところに」
 と答えた。
 「あんまし、奥へ入らんがええ。あぶね
えこともあるで」
 「あぶないこと?」
 「んだ。クマが出よる」
 わたしは怖気づき、顔色がさっと変わっ
た。
 「時間があるんなら寄っていかっせ。茶
でもよんでくれっから」
 彼女は南会津町の住民。
 もっと土地の言葉がきつかったように思
うが、北関東の田舎なまりに訳すと、だい
たいこんな調子だった。
 茶は実にうまい。
 それもそのはず、彼女の手づくりだった。
 しばらくして、空気のうまい草の生い茂
る場所から、ふいに広い空間にでた。
 「どこへ行ってたのよ。心配したわ。あ
ちこちみんなで探しまわったのよ」
 かみさんが怒った顔でいう。
 「ちょっと山へ行ってたんだ」
 「ひとりで?」
 「ああ。人がいっぱいのところがきらい
なの知ってるだろ?」
 「でもここまで来て、それはないでしょ。
みんなで楽しんだらいいでしょうが」
 せがれたちが、うんうんと首を振る。
 「ところでさ、あんた、何もってんのよ、
手に?」
 「ああ、これ?わらび、とかね。あと名
前の知らない山菜やら。もらったんだ。地
元のおばあさんにね」
 かみさんは山のほうに向きなおると、ふ
と表情を変えた。
 木々がじゃまをして、年配の女の人の家
はまったく見えない。
 「あんなところに人がいたんだ?」
 「いたよ。熊がでるからってね。注意し
てくれたりもしたよ」
 「世の中にはめずらしい人がいるもんね。
あんたったら、冗談ひとついえない、気む
ずかしい、人間なのに」
 かみさんはちょっとの間、青ざめた顔で
もの思いにふけったが、
 「まあいいわ。あんたが無事で帰って来
てくれたんだから」
 そう言って、口もとにえくぼをつくった。 
 
 
 

  
 
 
 
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会津・鬼怒川街道をゆく  (1)

2020-06-11 17:33:53 | 旅行
 平家の落人の里とおぼしき集落を通る。
 九百年も千年も前は、この辺りはどのよ
うな景色が展開していたことだろう。
 女子供を連れた落ち武者が、道なき道を
心細い気持ちをかかえてたどる。
 歩くとガチャガチャ鳴る鎧などは、早々
と捨て去ったことだろう。
 できるだけ身軽にならないと、先を急ぐ
ことなどできない。
 弓矢のたぐいは、敵を迎え撃つためだけ
ではない。
 ひょいと行き会うかもしれぬ熊から身を
守らねばならなかった。
 源氏の軍勢を、落ち武者たちはおおいに
恐れおののいた。
 小鳥のさえずりがいつなんどき、ときの
声にかき消されるかしれなかった。
 窓の外は、早春の絵巻物のようだ。
 絵の具でそれらの景色をあらわしてたら
どうなるか。
 わたしはぶなやならの葉を描くのに、何
色と何色を混ぜればいいかと考えてみたが、
結局うまいやり方を思い浮かばなかった。
 できもしないことは、考えないことだ。
 ただ観て楽しむだけで良かった。
 芽ぶいたばかりの木々の葉が、わたしを
新鮮な気持ちにしてくれる。
 窓を開け、外の空気を思い切り吸いたい
と思うが、せがれの車はワゴン。
 後部座席わきの窓は、閉じられたまま。
 「わるいが、ちょっと両方の窓を開けて
くれないかな。あんまり景色がきれいなも
のだから」
 ああいいよ、の声とともに、運転席と助
手席わきの窓が両方とも、すうっとあいた。
 「ああいい気持だ。ありがとう」
 「ひょっとして、乗り物酔い?」
 「じゃないと思う。バスには昔から弱い
けどね。若い時、いろは坂をのぼるバスの
いちばん後ろの座席にいて、ひどいめにあっ
たよ」
 「ああ、それなら僕だってさ」
 助手席にでんとかまえているのは、わた
しの伴侶。
 「ほんとよわむしなんだから。マイナス
しか言わないんだ」
 彼女はいちばん後ろの座席にいるわたし
を見ようと、思い切り首をのばした。
 わたしは眼を合わせたくない。
 思わず、首を横にねじった。
 前から二番目の席で、次男が素知らぬ顔
をして窓外を見ている。
 彼はめったに家族と出歩かない。
 自分だけの世界で遊んでいるのだろう。
 「ほらほら、鯉のぼりだよ。めずらしい
ね。世間をはばかって生きたのは、今は昔
のこと。若い人はいつまでもむかしの風習
にこだわるもんか」
 次男がぽつりと言う。
 顔かたちは、まったくわたしに似ていな
いのに、考えることはどうしたわけか、わ
たしにそっくり。
 血は争えないな、とわたしは深く感じ入っ
てしまった。
 五月の節句、全国どこでも、男の子のい
る家庭は武者人形や鯉のぼりを飾る。
 しかし、この集落では、ちょっと前まで
鯉のぼりがひとつも見あたらなかった。
 「しかし少ないねえ。鯉のぼり…」
 わたしは言いよどんだ。
 源頼朝の軍勢に追われる平氏の武者の気
持ちが、まるでわたしにのり移ったようで
ある。
 「しょうがないんじゃないか、お父さん」
 めずらしく、次男が同意する。
 「ああ。さくらもすももも咲いて、雪国
にもようやく春が来ましたって感じなのに
さ。なんか寂しいよな」
 頼朝の執念はすさまじかった。
 弟の義経をどこまでも追撃した。
 きらびやかな平泉の藤原の都まで焼いて
しまった。
 道脇の畑に何やら野菜が植えられている。
 あまりに上手に育てているので、わたし
は向学のために見物したいと思った。
 遠目にもみごとな育ちぶりが偲ばれる。
 わたしは運転するせがれに、しばし停車
してくれるように頼んだ。
 「ちょっとだけだよ。会津は遠いんだか
らね」
 「わるいな。五分もかからない」
 わたしの両足が土に触れたとき、わたし
はこころの中で、やったあと叫んだ。
 あさつき、ふきのとう、そしてさやいん
げんなどが、じゅうぶんにわたしの眼を楽
しませてくれた。
 
 
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