今回の旅の目的のひとつだった鶴ヶ城見学
をひととおり済ませ、展望台から四方をなが
めた。
まことにすばらしい城だった。
昭和四十年に再建されたらしい。
官軍の大筒に見るもむざんに破壊された城
の面影を残すものは、基礎となっている切り
石のみである。
わたしの背中が、ぴりぴりしているのに気
づいたのか、わたしに声をかけてくるものは
誰もいなかった。
偏屈で、誤解されやすいたちである。
わたしの眼には、会津の街が、おそい春の
華やいだ空気のなかで、ちょっと恥ずかし気
にちじこまっているようにみえた。
「お父さん、会津のおみやげ、うちのきょ
うだいや親せきにも買っていかなきゃね」
わたしの気むずかしい性質などものともし
ないのは一人しかいない。
かみさんがわたしの背後から、うわずった
声を浴びせた。
思わず、わたしは苦み走った顔をくずして
しまい、ああ、そうだったねと言った。
それから、はあとため息をついた。
すきを見て視線をもう一度、城下に移して
あちらこちらと所在なげにさまよわせた。
そしてぎりぎりと歯をかみ合わせた。
わたしの観たり聞いたりしたいものは、こ
んなもんじゃない。そうじゃなくて……。
わたしは必死になって、かぶりを振り、大
声で叫びたい誘惑にかられた。
「なんて顔してるのよ。もっと笑顔を見せ
なさいよ。せがれが買ったばかりの車で、こ
んなに遠くまでわたしたちを連れて来てくれ
たんじゃないの」
「うん、ありがとう。すまないね。忙しい
のにね」
「お礼なんていいの。もっとうれしそうに
して」
「ああ」
百年以上前に、この地で展開された、戦い
の模様を、なんとかして表現したい。
わたしはなぜかしら、そう思うようになっ
ていた。
あの時、会津の人々は、城内城外を問わず、
必死で戦った。
かれらのたましいは、いったい、今はいず
こにあるのだろう。
当時の家老は、老若男女をとわず、家族も
ろとも、討ち死にしているという。
足手まといになるとみて、自死した人もか
ずおおかったと言われている。
そそくさとお城の中から外へ出ようと、わ
たしは歩みをはやめた。
ようやく広いところに出たが、家族の者は
誰ひとりついてこない。
かみさんの姿を見かけ、安心して、前に進
んで行く。
駐車場への道をたどろうとしたが、どこで
どう間違ったのだろう。
見も知らぬところに出た。
「だいじょうぶだよ。お父さん。そのうち
だれか通りかかるだろうから、聞けばいいよ。
その人に」
歴史好きのせがれがにっこりして、言う。
「ああ、そうだな」
「ああ、ああ。ばっかりなんだから、あん
たは。もっときっちり答えてやったらどう」
「ああ」
ふいに何か重たいものを背中にしょった感
じがし、わたしは猫背になってしまった。
百四十年ほど前の激しい戦いのあとを思い
起こさせるものが、ひょっとしてこの風景の
なかから現れるのではなかろうか。
そう思い、わたしはじっと薄暗がりを見つ
めた。
だが、木々の間をさやさやと風が吹き過ぎ
ていくだけである。
百年をゆうに超える松や檜、杉などがうっ
そうと茂るのを眺めながらゆっくり歩いた。
ふいにポーン、ポーンと軽快なボールを打
つ音が響いた。
わたしは目をほそめ、木々の間を透かして
見た。
小さな黄色の球が弧を描き、右に左に行き
かっている。
テニスコートがしつらえてあるらしい。
時折、よしっよしっと高校生くらいの青年
たちのかけ声が耳に届いた。
ふと、わたしの思いが、はるか百四十年前
に飛んで行ってしまった。
明治は遠くなりにけり。
今でも会津藩の「じゅうの掟」は、この街
の青年の間で、脈々と受け継がれているのだ
ろうか。
飯盛山からはるかにみえるお城が燃えてい
ると錯覚してしまい、さようならばと自刃し
たり、互いの体を刃で刺し貫いたりした十七
人の青年たちの志が、今も形を変えてでも生
き続けているのだろうか。
そんな想いにひたった。
をひととおり済ませ、展望台から四方をなが
めた。
まことにすばらしい城だった。
昭和四十年に再建されたらしい。
官軍の大筒に見るもむざんに破壊された城
の面影を残すものは、基礎となっている切り
石のみである。
わたしの背中が、ぴりぴりしているのに気
づいたのか、わたしに声をかけてくるものは
誰もいなかった。
偏屈で、誤解されやすいたちである。
わたしの眼には、会津の街が、おそい春の
華やいだ空気のなかで、ちょっと恥ずかし気
にちじこまっているようにみえた。
「お父さん、会津のおみやげ、うちのきょ
うだいや親せきにも買っていかなきゃね」
わたしの気むずかしい性質などものともし
ないのは一人しかいない。
かみさんがわたしの背後から、うわずった
声を浴びせた。
思わず、わたしは苦み走った顔をくずして
しまい、ああ、そうだったねと言った。
それから、はあとため息をついた。
すきを見て視線をもう一度、城下に移して
あちらこちらと所在なげにさまよわせた。
そしてぎりぎりと歯をかみ合わせた。
わたしの観たり聞いたりしたいものは、こ
んなもんじゃない。そうじゃなくて……。
わたしは必死になって、かぶりを振り、大
声で叫びたい誘惑にかられた。
「なんて顔してるのよ。もっと笑顔を見せ
なさいよ。せがれが買ったばかりの車で、こ
んなに遠くまでわたしたちを連れて来てくれ
たんじゃないの」
「うん、ありがとう。すまないね。忙しい
のにね」
「お礼なんていいの。もっとうれしそうに
して」
「ああ」
百年以上前に、この地で展開された、戦い
の模様を、なんとかして表現したい。
わたしはなぜかしら、そう思うようになっ
ていた。
あの時、会津の人々は、城内城外を問わず、
必死で戦った。
かれらのたましいは、いったい、今はいず
こにあるのだろう。
当時の家老は、老若男女をとわず、家族も
ろとも、討ち死にしているという。
足手まといになるとみて、自死した人もか
ずおおかったと言われている。
そそくさとお城の中から外へ出ようと、わ
たしは歩みをはやめた。
ようやく広いところに出たが、家族の者は
誰ひとりついてこない。
かみさんの姿を見かけ、安心して、前に進
んで行く。
駐車場への道をたどろうとしたが、どこで
どう間違ったのだろう。
見も知らぬところに出た。
「だいじょうぶだよ。お父さん。そのうち
だれか通りかかるだろうから、聞けばいいよ。
その人に」
歴史好きのせがれがにっこりして、言う。
「ああ、そうだな」
「ああ、ああ。ばっかりなんだから、あん
たは。もっときっちり答えてやったらどう」
「ああ」
ふいに何か重たいものを背中にしょった感
じがし、わたしは猫背になってしまった。
百四十年ほど前の激しい戦いのあとを思い
起こさせるものが、ひょっとしてこの風景の
なかから現れるのではなかろうか。
そう思い、わたしはじっと薄暗がりを見つ
めた。
だが、木々の間をさやさやと風が吹き過ぎ
ていくだけである。
百年をゆうに超える松や檜、杉などがうっ
そうと茂るのを眺めながらゆっくり歩いた。
ふいにポーン、ポーンと軽快なボールを打
つ音が響いた。
わたしは目をほそめ、木々の間を透かして
見た。
小さな黄色の球が弧を描き、右に左に行き
かっている。
テニスコートがしつらえてあるらしい。
時折、よしっよしっと高校生くらいの青年
たちのかけ声が耳に届いた。
ふと、わたしの思いが、はるか百四十年前
に飛んで行ってしまった。
明治は遠くなりにけり。
今でも会津藩の「じゅうの掟」は、この街
の青年の間で、脈々と受け継がれているのだ
ろうか。
飯盛山からはるかにみえるお城が燃えてい
ると錯覚してしまい、さようならばと自刃し
たり、互いの体を刃で刺し貫いたりした十七
人の青年たちの志が、今も形を変えてでも生
き続けているのだろうか。
そんな想いにひたった。