油屋種吉の独り言

オリジナルの小説や随筆をのせます。

MAY  その63

2020-08-31 21:09:46 | 小説
 もうじき父に会えるかもしれないと思うと、
メイはうれしくてしかたがない。
 しかし、怖い気もする。
 むりもない。
 父との想い出がひとつもないからである。
 (わたしのお父さんって、一体どんな人な
んだろう。もしもおっかない人だったら、わ
たし、どうしよう。いや、そんなはずないわ。
だって、わたしのことを守るようにニッキが
頼まれたって言った)
 メイはまだ生まれて間もないのに、宇宙船
にひとり乗せられ、複数のAIに世話されな
がら地球にやって来た。
 そんな大事なことさえも、お前もそんなに
大きくなったんだから、と、ようやくモンク
おじさんが教えてくれたばかりだった。
 AIがいくら優れていたって、母親の役割
なんてできるはずがない。
 そう思い、メイは自分の両親の仕打ちをう
らんだことも一度や二度じゃなかった。
 (その時わたしの親はよほどせっぱつまっ
ていたのだろう。娘ひとりだけでも助かって
ほしいと願ったのだろう。たとえ過ぎ去った
日々にいろんなことがあったとしても、父母
は父母だ。彼らになんとしてもあいたい)
 次から次へ、メイは、自分のこころに訪れ
てくる感情にほんろうされてしまった。
 メイはなんとかして自分のこころを整理し
ようと考え、ジェーンにごはんのあと片づけ
を頼むと、部屋に向かった。
 たたみ二畳ばかりの広さだが、メイにとっ
ては大切なお城。
 そこにベッドを置くと、うんとスペースが
狭まったが、メイはまったく苦にならない。
 眠るときは、プーさんや熊さんなど、好き
なぬいぐるみたちといっしょである。
 女の子らしく、小さな窓にはピンク色の小
さなカーテンを取り付けたり、お気に入りの
タレントたちの写真を壁に貼り付けたりした。
 いつもならメイは、少しドアを開け放って
おくのだが、この日はぴたりと閉ざした。
 なるだけ、静かな雰囲気の中で、考えたかっ
たからだ。
 カーテンを引き開けると、塀の向こうに森
の一部を見ることができた。
 まるでその時を待っていたかのように、空
からふわふわと白いものが落ちてきた。
 ここで暮らすようになってから、何度も眼
にする光景だが、今回はメイにとって何か特
別なもののように思われた。
 ふいに胸がじんとしてしまい、メイのまぶ
たに涙があふれた。
 雪の降り方が次第に激しくなった。
 (メリカおばさん、大丈夫かしら?お昼す
ぎに森にでかけたきりだけど、それにニッキ
やお父さんたち、森の中で迷子にならないか
しら)
 ちょうどその時、誰かがメイのドアをコン
コンとたたいた。
 プーさんを抱いてベッドに横たわっていた
メイは、ちょっと待ってと言いながら、ベッ
ドから下りてドアをゆっくり開けた。
 「メイや、そんなところで何をぼんやりし
てるんだね。ジェーンちゃんたちが来てるの
にだめじゃないの。ちゃんとお相手してあげ
ないと」
 メリカの声が唐突にメイの耳にとびこんで
きた。
 「そう、そうよね。ジェーンがまた来てく
れたんだものね」
 メイの言葉に力がない。
 メリカは髪の毛につもった雪を、左手にもっ
たタオルでぬぐった。
 「わかってるわ。ほんとごめんなさい」
 「わかってるんじゃ、どうしてそうしない
の。こまった子だこと」
 メリカは、つい、メイに小言をいってしまっ
たが、たちまち後悔した。
 メイの様子がいつもとあまりに違ったから
である。
 メイが、メリカの言うことに素直に従うな
んてことはめずらしいことだった。
 「さあ、早くしなさい」
 「ええ」
 メイがメリカの少し先を歩いて行く。
 メリカは、メイの姿がどことなく淋しげな
のが不思議でたまらなかった。
 
 
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうは言っても。 (2)

2020-08-30 21:25:36 | 小説
 お盆を過ぎてからも、厳しい暑さが和らぐ
気配がない。
 エアコンがあるにはある。
 だが、それは一階の奥の間に設置されてい
て、ほとんど客のために使われる。
 種吉の書斎は、二階にある。
 朝八時をすぎると、彼の書斎のなかは、ま
るでサウナのようになってしまう。
 だから彼がパソコンで物語をつむいだりす
るのは、早朝か夜更けにかぎられる。
 「ああ、暑い、暑い」
 上半身、はだか、半ズボン一丁のかっこう
で、彼は階段をおりてきた。
 ちょうどその時、玄関のすりガラスの向こ
うに人影があらわれたので、彼はあわてて階
段をかけあがった。
 ピンポーン、ピンポーン。
 呼び出し音が二度鳴った。
 しかし、誰もそれに応じない。
 (今頃、どなただろう。かみさんがいるわ
けなんだが。ひょっとして、もうどこかに出
かけてしまったのだろうか)
 種吉は、板張りの廊下に、ごろりと横にな
ると、だんまりを決め込むことにした。
 十分くらい経っただろう。
 もはや玄関は静かになっていた。
 やれやれと思った種吉は、むくりと起き上
がろうとしたが、思うようにいかない。
 背中や肩がやたらと傷んだ。
 二、三日前に、畑で乗用の耕運機に乗った。
 その上、じゃがいもを収穫しようと、備中
ぐわを振るった。
 年老いるとすぐには疲れが現れないと、彼
は誰かに聞いたことがあった。
 「あんた、いるの」
 ふいに、玄関の三和土あたりで、かみさん
の声がした。
 ああ、いるよ、と種吉は即座に答えた。
 だが、彼女にはその返事が聞こえなかった
らしい。 
 彼女は何やら不平を口にしながら、台所に
向かった。
 (こんな時は、すぐに彼女のもとに行くに
かぎる)
 種吉はそう思い、あちこち痛むからだをも
みほぐすようにしながら、階段を降り、台所
に向かった。
 台所のドアはぴたりと閉ざされている。
 おそるおそる、彼はドアの取っ手を握ると
ドアを少しだけ外側にひらいた。
 食器を洗う彼女の手が一段と速くなる。 
 「うちにいるんなら、応対してくれればい
いんだよね」
 「ごめん」
 「回覧板を受け取るために、草むしりの時
間が少なくなっちゃったじゃないの」
 「ごめん、ごめんね」
 「ごめんは、一回でいいの。とにかく何か
手伝って」
 「ちょっと文章の勉強があるんだ」
 「いつもそう言って、逃げるんだ」
 「逃げるわけじゃないけどさ」
 「ああ、暑い、暑いわ。シャワーでも浴び
ようとっと」
 かみさんはそう言うと、どたばたと廊下を
歩いて行ってしまい、浴室のドアを音を立て
て閉めた。
 種吉は、できるだけ涼しい部屋で、休みた
いと思った。
 飼い猫のプータローにみならって、家の中
でいちばんしのぎやすい場所をさがすことに
した。
 北向きに小屋がある。
 そこは板張りになっていて、からだを横た
えると、きわめて心地よい。
 「おら、ちょっと出かけてくる」
 種吉は、浴室のドアのそばで、小声でそう
言ってから、玄関から出た。
 小屋の一部は、たたみ三畳分くらいの、長
ぼそい部屋になっている。
 すりガラス入りのサッシを開けると、すぐ
に部屋に入りこめた。
 驚いたことに、サッシが一枚、開け放って
あった。
 どうやら、ゆうべ、彼が閉めるのを忘れた
らしい。
 「みゃあああ」
 日かげになった板の間に寝ころんでいたプ
ータローが種吉のほうを向き、長いひげをひ
けらかしながら、大きく口を開いた。
 しっぽを、盛んに、床に打ちつける。
 「やれやれ、お前にはかなわないな」
 種吉はそうつぶやくと、後ろ手で、二枚の
サッシを閉めた。
 彼はプータローのじゃまにならないように、
ごろりと横たわった。
 あまりの心地よさに、種吉は思わずため息
をついた。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAY  その62

2020-08-11 02:44:47 | 小説
 数日後、メイの住む森にニッキが乗った宇
宙船が再び到着した。
 そのことを最初にメイに知らせてくれたの
は、ジェーンだった。
 久しぶりに会った二人は、思わず互いの無
事を喜びあった。
 「ジェーン。帰って来てくれたのね。わた
しとっても嬉しい」
 メイの目がしらがたちまちうるんだ。
 「そんなに喜んでくれるなんて。わたしな
んだか恥ずかしいわ。きょうだい姉妹まであ
なたの家でやっかいになってしまい、わたし
とっても肩身がせまかったし、それに世間が
あなたの家庭の誰かが敵と通じているんじゃ
ないかって。ことさらにわるくいいだしたか
らわたしまで……。メイちゃん、うたぐって
わるかったわ」
 ジェーンの声がうわずり、もう少しで彼女
は泣き出してしまうところだった。
 ジェーンのスカートのすそを、右と左で引っ
ぱっているふたりの妹ジルとミルも泣き顔に
なった。
 ふいに、みゃあおおっと猫が鳴いた。
 あらら、と、メイは思わず声を出し、その
場にしゃがみこむと、
 「猫ちゃんも来てくれたんだ。おいでおい
で。どこにいるの。ほら、こっちよ」
 大きな明るい声で呼んだ。
 「わたしたち、一度はもうメイんちでやっ
かいになるまいって決めたんだけどね。うち
には潮も砂糖も何もかもまったくなくなって
しまうし、頼れるところも、もともとほかに
ないし」
 ジェーンはうなだれた。
 「いいの、いいのよ。ジェーンちは大変な
んだもの。ところであなたのお母さん、どう?
元気になった?」
 「うん、ちょっとずつだけど。でもね。ま
だ立って歩けるような状態じゃないの」
 「そう。だったら、だんだんに良くなるわ。
良かったらずっとわたしんちにいていいのよ。
モンクおじさんだって、メリカおばさんだっ
て元気で働いてくださってるしね。ふたりと
もジェーンがまた来てくれたって、きっと喜
ぶわ。さあ、いつまでも戸口で突っ立ってな
いで。中にはいって。メリカおばさんはちょっ
と離れた友だちのところに行っててね。わた
しひとりで留守番よ。外は寒かったでしょ?
この間なんか初雪がちらついたもの」
 「ええ、そうだったわね、森の泉に水をく
みに行ってるからわかったわ。でもね、なん
だか前ほど泉がわかなくなったし、暖かくな
るまで山菜もとれないし……。ああそうそう
ここに来る途中で、わたし宇宙船見たわ。森
の中に着陸したみたかったけど。低空で飛ん
でたし。きっとわたしたちを発見したと思う
んだけど、危害を加えなかったわ。きっと味
方の船ね」
 「それって、きっとあの方の船だわ」
 メイが眼を輝やかせた。
 「知ってるんだ、メイ。あの人って、誰?
教えて。わたしの知ってる人?」
 「たぶん」
 メイは、その船がニッキのものにちがいな
いと思った。
 ジェーンに、ニッキの船よって、率直に答
えるのを、メイはなぜかためらってしまった。
 メイはジルとメイを見た。
 彼らの飼い猫はあちこちせわしげに歩きま
わっては、ものに彼の鼻を近づけた。
 「行儀がわるくってごめんね、メイ」
 「いいのよ。いいの」
 ちょうどそのとき、ジルのおなかがぐうっ
と鳴った。
 「台所に行きましょ、みんなでね。さっき
焼いたパンが残ってるから」
 ふたりの姉妹は、わあっと叫んで、メイの
あとについて行った。
 テーブルのわきにすわるなり、メイは三人
分のパンを皿に盛った。
 ジルとミルがパンをちぎりちぎり食べだし
たのを見て、ジェーンは眼をほそめた。
 「ありがとう、メイ。ほんと、うれしいわ。
でも、さっきのあの宇宙船ね。いったい誰が
乗ってるの?知ってるんならわたしにも教え
てくれればいいのに。ひょっとしてメイ。わ
たしに何か隠してない?とってもうれしそう
なんだもの」
 「知らないわ。だって、わたし、その宇宙
船、じかに見ないとわからないもの」
 「そうかもね。でもちょっと変よ。メイっ
たら」
 そうかしら、とメイはジェーンに答えた。
 喜びがこれ以上顔にあらわれるのを、メイ
は必死でこらえた。
 (あの船に夢にまでみた父が乗っているか
もしれない。それに母にも、きっと会えるわ。
小学校の運動場の土手や、わたしがあぶない
ときに、かげになりひなたになり、ずっとわ
たしを見守ってくれた。あの人がきっとわた
しのお母さん)
 そのうちに、そのうちにという思いが、メ
イのこころの中で大きくなってきた。
 メイの息があらくなった。
 
  
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津・鬼怒川街道を行く  (5)

2020-08-05 13:06:02 | 旅行
 今回の旅の目的のひとつだった鶴ヶ城見学
をひととおり済ませ、展望台から四方をなが
めた。
 まことにすばらしい城だった。
 昭和四十年に再建されたらしい。
 官軍の大筒に見るもむざんに破壊された城
の面影を残すものは、基礎となっている切り
石のみである。
 わたしの背中が、ぴりぴりしているのに気
づいたのか、わたしに声をかけてくるものは
誰もいなかった。
 偏屈で、誤解されやすいたちである。
 わたしの眼には、会津の街が、おそい春の
華やいだ空気のなかで、ちょっと恥ずかし気
にちじこまっているようにみえた。
 「お父さん、会津のおみやげ、うちのきょ
うだいや親せきにも買っていかなきゃね」
 わたしの気むずかしい性質などものともし
ないのは一人しかいない。
 かみさんがわたしの背後から、うわずった
声を浴びせた。
 思わず、わたしは苦み走った顔をくずして
しまい、ああ、そうだったねと言った。
 それから、はあとため息をついた。
 すきを見て視線をもう一度、城下に移して
あちらこちらと所在なげにさまよわせた。
 そしてぎりぎりと歯をかみ合わせた。
 わたしの観たり聞いたりしたいものは、こ
んなもんじゃない。そうじゃなくて……。
 わたしは必死になって、かぶりを振り、大
声で叫びたい誘惑にかられた。
 「なんて顔してるのよ。もっと笑顔を見せ
なさいよ。せがれが買ったばかりの車で、こ
んなに遠くまでわたしたちを連れて来てくれ
たんじゃないの」
 「うん、ありがとう。すまないね。忙しい
のにね」
 「お礼なんていいの。もっとうれしそうに
して」
 「ああ」
 百年以上前に、この地で展開された、戦い
の模様を、なんとかして表現したい。
 わたしはなぜかしら、そう思うようになっ
ていた。
 あの時、会津の人々は、城内城外を問わず、
必死で戦った。
 かれらのたましいは、いったい、今はいず
こにあるのだろう。
 当時の家老は、老若男女をとわず、家族も
ろとも、討ち死にしているという。
 足手まといになるとみて、自死した人もか
ずおおかったと言われている。
 そそくさとお城の中から外へ出ようと、わ
たしは歩みをはやめた。
 ようやく広いところに出たが、家族の者は
誰ひとりついてこない。
 かみさんの姿を見かけ、安心して、前に進
んで行く。
 駐車場への道をたどろうとしたが、どこで
どう間違ったのだろう。
 見も知らぬところに出た。
 「だいじょうぶだよ。お父さん。そのうち
だれか通りかかるだろうから、聞けばいいよ。
その人に」
 歴史好きのせがれがにっこりして、言う。
 「ああ、そうだな」
 「ああ、ああ。ばっかりなんだから、あん
たは。もっときっちり答えてやったらどう」
 「ああ」
 ふいに何か重たいものを背中にしょった感
じがし、わたしは猫背になってしまった。
 百四十年ほど前の激しい戦いのあとを思い
起こさせるものが、ひょっとしてこの風景の
なかから現れるのではなかろうか。
 そう思い、わたしはじっと薄暗がりを見つ
めた。
 だが、木々の間をさやさやと風が吹き過ぎ
ていくだけである。
 百年をゆうに超える松や檜、杉などがうっ
そうと茂るのを眺めながらゆっくり歩いた。
 ふいにポーン、ポーンと軽快なボールを打
つ音が響いた。
 わたしは目をほそめ、木々の間を透かして
見た。
 小さな黄色の球が弧を描き、右に左に行き
かっている。
 テニスコートがしつらえてあるらしい。
 時折、よしっよしっと高校生くらいの青年
たちのかけ声が耳に届いた。
 ふと、わたしの思いが、はるか百四十年前
に飛んで行ってしまった。
 明治は遠くなりにけり。
 今でも会津藩の「じゅうの掟」は、この街
の青年の間で、脈々と受け継がれているのだ
ろうか。
 飯盛山からはるかにみえるお城が燃えてい
ると錯覚してしまい、さようならばと自刃し
たり、互いの体を刃で刺し貫いたりした十七
人の青年たちの志が、今も形を変えてでも生
き続けているのだろうか。
 そんな想いにひたった。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうは言っても。 (1)

2020-08-02 19:05:40 | 小説
 長かった梅雨が終わった。
 白い雲の間から久しぶりに太陽が顔をだし、
これまでのうっ憤を解消するかのように、が
んがんぎらぎらと輝きだした。
 「暑いわ。ほんま久しぶりや」
 うれしくてしょうがない種吉は、子どもみ
たいにはしゃぎながら、縁側にすわりこんだ。
 「ああ、よっこらしょっと。ほんまこんな
ときこそ、誰かさんにリーダーシップを発揮
してもらわんと困りますねんわ。こんな狭い
街でもあっちでコロナ、こっちでコロナ。こ
ないだのときより、なんやひどいのんとちが
うやろか」
 あたりに聞こえるくらいの大きさで、ぼそ
ぼそ言った。
 ぼんやりしてるようでも、新聞やテレビは
よく見ている種吉である。
 目の前の庭を隅から隅まで見渡して、あっ
と声をあげた。
 後ろ向きにしゃがみこんだ自分の奥さんの
姿に気づいたからである。
 かわいそうによく眠れなかったんだろう。
 蚊取り線香の煙に取り巻かれている。
 朝早くは、まだ蚊やぶゆがうろうろしてい
て、汗の匂いにつられてそれらが血を吸いに
来るのである。
 多分、草むしりの最中だろう。
 あえて声をかけると、手伝えといわれるに
決まっている。
 種吉は声をあげないでいることにした。
 飼い猫のプータロー、ご主人が手すきとみ
て、ちゃっかり膝の上にのってきた。
 種吉は、ごろごろと喉を鳴らし、甘えて来
る友に、じゃけんな振る舞いができるはずが
ない。思わず、
「ささ、もっとこっちゃ来い」
 と言ってしまった。
 プータローがくしゅんとやった。
 猫だってくしゃみをするのだ。
 種吉は思わず顔をそむけた。
 奥さんは後ろ向きのままである。
 種吉はほっとため息をついた。
 プータローのからだを胸に引き寄せ、のど
をさすりはじめた。
 「そんなとこで、あんた、いったい何して
るの」
 ふいの奥さんの言葉が、種吉の胸に、矢の
ように突き刺さった。
 まだ、彼女は後ろ向きだ。
 「すまん。わかっとたんか。あんまりお天
気がいいので、つい日向ぼっこしたいと思っ
てな」
 「わたしはね。後ろにも目がついとる」
 「そうなんや。そら知らんかった。手伝う、
手伝うで。せやけど、いまちょっとかんべん
したりいな」
 「かんべんできません」
 「そうか。ほならしょうがおまへんな」
 種吉は、よいしょと声を出しながら、濡れ
縁に根付いたようになった腰を持ち上げた。
 両手を腰にあて、ゆっくり玄関に向かう。
 愛撫の中途で放り出されたとばかりに、プ
ータローはごきげんがわるい。
 長いしっぽを、神経質げに、二三度ふると、
建物のかげに消えた。
 「あんた、早くして。猫と遊んでなんかい
ないで。ほら見て。この草」
 「かんにん、かんにん。やるよ、草むしり。
あっ、せやった、やらなあかん用事、忘れとっ
たわ」
 「まったく勝手な人。都合がわるくなると、
そうやって関西弁使って、人をけむにまいて
しまうんだから。誰かさんのこと四の五の言
わんで、自分のことをもっとしっかりやって。
ウイルスって相手は、まったく目に見えない
んです。誰だってどうしたらいいのか迷って
しまうでしょ?」
 「そうかといってな、お前。ゴーツー旅行
ってのはどうかと思うけどな。ウイルスがま
ん延するのを助けてるみたいで」
 「そうはいっても、都会の人だって人間で
しょ。とうとう自粛自粛じゃかわいそ過ぎる
わ」
 「はあ。そんなもんかいな」
 山の神さまにはかなわないとみた種吉。
 玄関でスリッパにはき替えると、ゆっくり
二階の書斎にのぼっていった。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする