油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

MAY  その76

2020-12-30 14:47:55 | 小説
 東の空に太陽がのぼる。陽射しが次第に強
まると、あたりが明るく、冷え込んだ空気が
ぬくもる。
 洞窟の奥から来るらしい、見知らぬものは
まるでもうひとつの太陽だった。
 だが、逆に、ケイの体調はわるくなった。 
「あっ、あたし、どうしよう。なんだか寒い。
急にぞくぞくしだしたわ」
 ケイの唇は青ざめ、歯ががちがち鳴る。
 毛糸のセーターの袖からとびだしたほっそ
りした両手で、自分の上体をいつくしむよう
にそうっと抱いた。
 「なによ、ケイ。今ごろになって。今まで
外にいたんだから、当たり前でしょ、寒く感
じるのって。わたしなんか、あったまってき
たわよ、信じらんないくらい」
 「そうね、そうよね。メイの言うとおりだ
わ。けど、ぞくぞくするのよ。あたしってば
かみたいね」
 「ほら、ケイ。もっとわたしのそばに寄っ
て、まだまだわたしの身体、さっきの燃え残
りがあってね」
 「ありがとう。メイってほんとに優しいの
ね。知らなかったわ。わたし、もっとあなた
のこと知ろうとすれば良かった……」
 ケイはふと自分の心情を吐露したが、すぐ
にぐいっと唇をゆがめた。
 彼とわれとのはざまで揺れているケイの心
情を思いやって、ニッキは下を向いた。
 ケイがこれをきっかけにして、本来の自分
に立ち戻ってくれればいいな、と、彼は思う。
 ピタピタ、ピタピタッ。
 誰かが確実に、三人のいるほうに向かって、
洞窟の奥から近づいて来る。
 そう感づいたニッキは、敵のどんな襲撃に
も応えられるように、と身がまえた。
 その光の中心にいる人物を最初に見たのは、
ケイだった。
 驚いたのだろう。ケイは両目をかっと見ひ
らいたままでくるりと自分の体をまわした。
 そしてケイは洞窟の壁の一点を凝視したま
ま動かなくなった。両足がわなわなとふるえ
だした。
 「どうしたの、ケイ。いったい何をそんな
に恐れてるの?」
 ケイはメイの問いには答えない。壁づたい
に、なんとかして、その場から逃れようと努
めた。きれいに整えられた爪が、がりがりと
壁をひっかくたびに、爪の先から血が流れで
た。
 (あんなに強くて、いじめっ子だったケイ
よ。そんな彼女があんなに動揺するなんてこ
と、いったい何がいるのよ)
 メイは、その光のみなもとを、なんとかし
てさぐろうとした。
 光の中心で、銀色に輝いているひとかげ認
めて、メイは息をのんだ。
 あっ、このひと、前にも見たことがあると
思い、懐かしさで涙がこぼれそうになった。
 間もなく、そのひとは洞窟の曲がり角から
ふわりと姿をあらわした。
 「おかあ……」 
 メイはそうつぶやいたきり、あとの言葉が
続かない。
 (赤子のわたしをどうして、どうしてひと
りぽっちで地球に追いやったの。メリカおば
さんやモンクおじさんに拾われたから良かっ
たようなものの、わるい人に拾われたら、自
分はどうなっていたかわからない、などなど)
 これまでの不満な思いを、次々に口にした
い。しかし、実際彼女を目の前にすると、メ
イは黙り込んでしまった。
 「ケイちゃん、さぞつらかったでしょう」
 銀の宇宙服の女は思い立ったように、ケイ
にさっさと近づいていく。
 どうしたわけか、ケイが動かない。
 いや、急いで逃げ出したいのだが、身体が
動かないようだ。
 そのことは、あらぬ方ばかりを見つめよう
とするケイの目の動きで知れた。
 口の周りも凍りついたようで、ケイはひと
言もしゃべらない。
 女が銀の宇宙服を脱ぎすて、ケイの手をとっ
たとき、ケイは、ああとため息をついた。
 間をおかず、女は次の行動に移る。ケイを
両腕でしっかりと抱いたのである。
 ケイは次第にうっとりした表情になった。
 「アステミルっていうのよ、わたし。メイ、
今まで苦労かけてばかりで……」
 アステミルは、メイのほうに首だけを向け
ると言った。
 「アステミル?わたしのお母さん」
 「そうよ」
 ケイの身体が、芯からぬくもっていく。
 そしてアステミルの熱気が、その最高潮に
達したとき、ケイの頭脳に仕組まれたちょっ
とした細工をとろとろと溶かしだした。
 ケイの身体を焼き尽くすのではない。ここ
ろを温かくし、平和の灯をともすのに大きな
役割を果たした。
 
 
 
 

 
 
 
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MAY  その75

2020-12-24 17:01:07 | 小説
  ケイについて、一度抱いた疑念はそうやす
やすと払しょくできない。
 ニッキは悩んだ。
 メイがケイを大切にしようと考えているこ
とは明らかな以上、ニッキができることとい
えば、ふたりの仲をとりもちながら、ケイに
監視の目を向ける。
 そんなむずかしい態度をとりつづけるしか
なかった。
 これほどまでにメイに近づくケイの真意は
一体どこにあるのか。
 メイさえ、どこかに連れ去れば問題ないは
ずである。
 深読みしすぎるきらいのあるニッキでさえ、
ケイの意図を知ることは困難だった。 
 地球防衛軍の側からすれば、ケイは敵の中
枢にその居場所を確保しているのだ。
 このことは、確かな筋からのきちんとした
情報だった。
 彼女の目的は明白で、われわれのつながり
にくさびを打ち込むこと、そして力強い援軍
となりうる鉱石を、なんとしてでも粉砕する。
 それがケイの狙いであることには何の異論
もなかった。
 ケイの動きを、こと細かに観察するのはた
やすいことではない。
 ニッキがあまりにとがっていると、メイに
うとまれるからである。
 極度の注意深さを要する。
 ニッキのような歴戦の勇士といえども、ほ
んの少しの間で疲れ切ってしまった。
 「ニッキ、ねえ、ニッキったら」
 メイが呼びかけてきても、ニッキは即座に
応えることができない。
 「ああっ、ごめん。ちょっとね……」
 ぼんやりして、うす暗い洞窟の天井ばかり
をながめた。
 「もっとしゃんとして。これから大切なも
のを確認する仕事があるわけでしょ?」
 メイの質問にまともに答えたい。
 だが、ことがあまりに大事すぎる。
 メイとふたりきりなら、何の問題もない話
だった。
 (それにしても、敵か味方かいまだにはっ
きりしないケイを前にして、メイはいささか
大胆すぎやしないか)
 ニッキは、メイの視線に、なんとかして自
分の正直な気持ちをふくんだ視線を絡ませよ
うとした。
 やったこともないウインクを、むりに作っ
たものだから、それに気づいたケイの失笑を
かってしまい、
 「あはっ、ニッキって、まさかひょうきん
なところがあるのね。まじめ一方な人とばっ
かり思ってたわ。なんて面白い表情なんでし
ょうね」
 ケイは親し気に、ニッキの肩に触れようと
した。
 ニッキはどぎまぎした。
 「いや、なんというか、ここは寒くて筋肉
がこわばってしまってさ。ちょっと運動、あ
ははっ」
 両手両足をうごかしながら、洞窟の中を歩
きまわりはじめた。
 「ところでね、メイ。あのね……」
 「なあに、ケイ。遠慮しないで。あなたの
質問にはなんだって答えてあげるわ」
 ケイは待ってましたとばかりに、ひとみの
奥をキラリと輝かせた。
 「そう、うれしい。なんだって答えてくれ
るのね」
 「そうよ、だって昔からのお友だちなんだ
もの。当たり前でしょ」
 「うん、そうそう。学校時代のわだかまり。
速く忘れてちょうだい」
 ニッキの緊張は、最高潮。
 右手を腰のベルトにあてがい、今すぐにも
ケイに向かって光線銃を放射できる態勢をと
とのえた。
 「あのねえ、メイ。ニッキとあなた、ふた
りして、こで何を探してるの。わたし、ずっ
と前からとっても気になってたの」
 そう口にするなり、ケイは身をひるがえし、
洞窟の奥へと早足で歩きだした。
 「あらら、ケイったらどこへ行くのよ。そ
んなんじゃ、教えてあげられないじゃないの。
早くこっちへきて。耳打ちしてでもなんでも
教えてあげるから」
 ケイはとある岩陰に身をひそめ、
 「メイちゃんこそ、わたしのほうへいらっ
しゃい。誰かさんが、怖い顔して、わたしを
にらんでるもの。いやだわ」
 「あら、なんで?ニッキがそんな」
 メイはニッキをまっすぐに見た。
 ちょっとした怒りが含まれているのを見て
取ったニッキは一瞬たじろぎ、二三歩あとず
さった。
 「いや、そんなんじゃない。気にしないで」 
 ニッキは口もとに軽いほほえみをうかべる
のが、やっとだった。
 ニッキのこころは、決して穏やかではない。
 不審の念が泡のようにふわりふわりと浮か
ぶたび、ニッキは必死になって、ひとつひと
つ、それらを吟味した。
 そして確かな証拠をもって、それらを自分
のこころから消し去ろうと努めた。
 感情を表立ててはいけないと思った。
 自分のためではない。なによりもメイのた
めだと考えるからである。
 いつなんどき、ケイがその隠し持ったまが
まがしいつめをむきだしにするか。
 ニッキははかりかねた。
 真っ暗なはずの洞窟の奥が、ふと明るくな
った。
 次第にその照度が増してくる。
 メイの力が弱まってきて、あたりを照らし
だすことができなくなってきたのと、対照的
だった。
 天井のあちこちがキラリキラリと輝く。
 それらが敵が必死になって探している鉱石
であるのは、明らかだった。
 ニッキは、改めて、ケイを見つめた。
 
 
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そうは、言っても。  (7)

2020-12-21 19:44:10 | 小説
 取り越し苦労は害があっても、一利なし。
 ひとはマイナスのイメージを抱けば抱くほ
ど、精神的に負担がかかる。まるで一種の不
幸を呼び込んでしまうようである。
 「いいんだね。具合がわるいことが起きち
ゃったって」
 潜在能力の入っている容器のふたの番人を
しているのは幼子らしいという。
 素直に、そのひとの望む現象が飽きるよう
に物事をとりはからう。
 放っておくと、潜在能力は具合の悪い方向
に働いてしまう。どうやら、それはマイナス
方向に進むのが好きらしい。
 具合の良い方向に設定するのは、ちょっと
した工夫がいる。
 おもてに現れた能力を、うまく駆使するこ
とである。
 それは言葉だろう。
 ひとは言葉による物語を生きていると言っ
ても差し支えないくらいだからである。
 そうすると、要は、言葉を、正しく使えさ
えすればいいことになる。
 いやだと思っても、これからやろうとする
ことを好きになること。
 楽しむこと。なんとかなるさ、と思い、も
のごとを横着にかまえること。
 それまで助手席で眼を閉じ、あれこれ考え
ていた種吉は、にやけた表情になった。
 「あんた、いやににやけてるね。いったい
何を思い出していたのやら」
 後部座席のかみさんが、横合いから、種吉
に、いぶかし気な顔を向けた。
 「あっ、おまえか。いやいやなんでもない。
ちょっとふるさとの思い出にひたっていたも
のだから」
 「ふうん、思い出ね。いろいろあったんだ
ろね。あんた、ずいぶん遠くまでふっとんで
きたものね」
 「ああ」
 「どうして、こっちへ来たのさ。そろそろ
白状してもいい頃合いじゃないかしら。わた
しと会ったのはほんのたまたまのことだろ?
あちらにいい人がいたんだろ。ねえ、あんた。
正直に言いなよ。この際さ」
 かみさんは、いっぱしの刑事のよう。
 種吉のこころの秘密基地に、遠慮なく、ぷ
すりぷすりと疑いの矢を放ち出した。
 わきで、我が子らが耳をそばだてている。
 下手に、素直に応えるわけにいかない。
 種吉はそう思い、
 「あっ、良かった。あれを見ろよ。名古屋
方面の車さ。この分じゃ、大して混みあうこ
となく名神にのっかれるぞ」
 窓外をながめながら、種吉は大きな声を出
した。
 種吉のかみさん、若い頃とくらべ、すいぶ
ん張り切っている。
 「高校も大学も出なかった分、わたしは勉
強するのよ。そして稼ぐの。今まではあんた
がいっぱい働いてくれたし」
 「へえ、おれを評価してくれるんだ。それ
はえらい、えらい。だが大変だぞ。金儲けは
な」
 へそまがりの種吉と違い、彼女は根っから
の素直な性格。
 他人の言うことをストレートに受け入れる。
 どこで習い覚えたのか、ブレークスルーな
る言葉にほれ込んでしまい、心情を同じくす
るひとの集まりに足しげくかよう。
 「いっぱい授業料はらったけどね」
 目からうろこ、とばかり、彼女は、格段に
進歩した。
 彼女は積極的に社会にあゆみ入り、果敢に
他人と口論をかさねた。
 直情径行。
 わが道を行った。
 おれの言うこと、もっと信じてくれよ、と
種吉は言外ににおわせたり、それでも通じな
ければ、口に出したりしたのだが、まったく
彼女はとりあおうとしなかった。
 「おとう、父ちゃんよ。つぎのパーキング
で運転代わってくれよな」
 三男のМが、気をきかして、口をはさんだ。
 いつの間にか、車は名古屋の環状線に乗っ
かっている。あと少しで、名神高速に入ると
ころだった。
 「あいよ。わかった。長いこと運転してく
れて、ありがとう」
 種吉が後ろを向くと、三男のお兄ちゃんた
ちふたりが下を向いた。 
 
 
 
 
 
 
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MAY  その74

2020-12-15 18:12:15 | 小説
 洞窟の外からまい戻って来ても、メイのか
らだはまだじゅうぶんに温かく、まるで太陽
のように明るく四方を照らし出した。
 洞窟内部のあちこちが、夜空の星のように
きらきらと輝く。
 「とうとうやったわ、わたし。ねえ、ニッ
キ。こんな力があったなんて、もう仰天しちゃ
うよね。誰だってさ」
 はあはあ息を切らしながらも、メイは片方
の手の指にからみついている土を、もう一方
の手で、すばやく落とした。
 彼女の爪の内側は、どれもこれも、泥が詰
まっている。
 ああ、と簡単に答えてから、ニッキは少し
間を置き、
 「そりゃあもうなんていうか、メイの突飛
な行動には、びっくりしたっていうしかない
や。ほんと、スーパーガールだ。メイは、初
め、何をしでかすか、まったくわからなかっ
たぜ。ガラガラドンドンと、穴を大きくして
いくんだから」
 ニッキは、まるでお芝居を演じているふう
なもの言いをした。
 「ニッキって、ひょっとして、わたしを小
ばかにしてないこと?」
 「とんでもない。じゅうぶんに驚いてるさ」
 「それって、うそでしょ?顔に書いてある
わよ、ほらほら」
 メイが両手を前に突き出したので、思わず
ニッキは下を向いた。
 汗とも涙ともわからぬ液体が、彼の髪の毛
の先や鼻の先から落ちる。
 ニッキは唇をかんだ。
 ニッキは、メイがケイとともに洞窟内部に
もどって来るまで、キラキラ石の調査をつづ
けた。
 メイがとんでもない力を発揮できるかもし
れないことは、メイの父ポリドンから聞いて
知っていた。
 だから、それほどびっくりはしていない。
 ニッキにとって、もっともっと心を砕かな
くてはならないのは、ほかならぬ、この洞窟
内部に存在する、あの石である。
 それでもって、ともに天をいただくことの
できない連中をうち負かすことができるかも
しれない代物だ。
 そして、ケイ。これがやっかいな存在だ。
 彼女がここにやって来ることの意義を、ニッ
キはどのようにとらえれば良かったのだろう。
 いろんな情報を勘案すると、ケイは、一度
は、確実に敵側についた。
 だが、今はどうだ……?
 いずれにせよ、メイがケイを受け入れる以
上、むげなことはできそうもない。
 とにかく注意深く、ニッキは彼女の一挙手
一投足を見張っていなければならなくなった。
 メイの手前、表立って、不信感をあらわに
するなんてことはできない。
 ニッキは複雑な心境だった。
 メイは泥だらけだが、そばにいるケイは頭
の先から靴の先まで雪まみれ。
 だが、ケイはまるでぬれねずみのようだが、
着衣に、大して泥が付いていない。
 ケイは、視界の先に、ニッキを認めるやい
なや、何をどう話していいのやら、わからな
いといった顔をしてみせ、その薄い口もとに、
うっすらと笑みをたたえただけだった。
 不思議なことに、それまで凍てついていた
洞窟の中の空気までもが、暖かくなっている。 
 それまで頑として熱を寄せ付けようとしな
かった、天井から垂れ下がった円錐状の突起
物でさえ、それぞれの先端からしかたなくぽ
つりぽつりと大粒の水滴を落としだした。
 「すごいわ。想像以上だわ。メイ。こんな
力があるなんて、なんて素晴らしいんでしょ
う」
 ケイが叫んだ瞬間、ニッキはケイから視線
をはずし、こんなに正直に心の内をさらけ出
すなんて……、これは思ったより手ごわいぞ、
と心の中でいった。
 
 
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そうは、言っても。  (6)  

2020-12-03 18:02:00 | 小説
 それから数時間、車は故障も事故もなく、
秋色を見せはじめた山あいを淡々と走りつづ
けた。
 運転する種吉といえば、鼻歌まじり。
 時には、片手でハンドルをにぎっているこ
ともあり、同乗する家族をひやひやさせた。
 それまで、久しぶりの帰郷だから、はめを
少しは外したって、と大目に見ていた彼の妻
はこらえきれず、
 「やめてよね、もういい加減な運転はっ。
事故ってケガするのはあんたひとりじゃない
の。どうすんのよ、一体?あんまり気楽に運
転されると、かえって不安になってしまうじゃ
ないのよ。いい加減にしてっ、片手運転はっ」
 彼女は眉間にしわを寄せ、声高に言った。
 「はい、わかりましたっ」
 と言うなり、種吉はびくりと体をふるわせ、
すぐさま両手運転に切りかえた。
 「うれしい時はうれしいように、かなしい
時はかなしいようにね。あんたって子どもの
時からそんなふうだったんだって。感情に振
りまわされちゃって、もういいご老体が。そ
んな性格、こかに吹き飛ばしちゃってよ。あ
んたのお母さんから、もうずうっと前によお
く聞いて知ってるわ」
 かみさんの言うことは、ごむりごもっとも。
 種吉はがくりとこうべを垂れ、黙り込んで
しまった。
 「おいおい、どうすんのよ。運転してるん
だぜ、おやじ」
 助手席の三男がにやりとし、右手を横にの
ばすなり、種吉の胸のあたりで、くるりと手
のひらを上に向け、種吉のあごをひょいと持
ち上げた。
 種吉はにやっと笑い、
 「えらい、世話かけます」
 ぺこりとかぶりを振ると、種吉の顔がしわ
だらけになった。
 「どういたしまして。いつものことで」
 まるでふたりは漫才師のようだ。
 実際、種吉は上方出身。
 少年の頃から、いとしこいしや、横山えん
たつ花菱あちゃこの名漫才などを耳にして育っ
た。
 そんな名を聞いても、おそらく今の若いひ
とは、かいもく、見当がつかないだろう。
 関西人はおもろいのだ。
 半面、彼らの内面はひゅうひゅう北風が吹
きまくっている。
 豊臣秀吉が隆盛を極めたころの堺の商人を
例にとるまでもない。
 関西地方に住む人々はいちがいに、むだを
きらう。吝嗇でもある。
 けちんぼうなのだ。
 「一円もまけまへんで」
 商人はあきないに厳しい眼を持っているの
だが、一歩商いの外に出れば、大盤ぶるまい。
 商売相手が驚くほどに、豹変し、饗応する。
 かみさんのきつうい一言で、意気消沈した
種吉だが、再び、元気を取り戻しはじめ、そ
れと比例して、車のエンジンが軽やかな動き
を見せ始めた。
 数年前、種吉の母が逝去した際にも、同じ
コースをたどり奈良市内に入っている。
 あきれるほど長い恵那のトンネルをくぐり
ぬけると、中山道も、残すところ、あと少し
となった。
 三男と運転を代わり、種吉はほっと一息い
れることにした。
 助手席にふかぶかとすわり、ちらと車窓を
眺めた。
 紅い果物が目に付く。
 リンゴ畑の連続だった。
 (わが国土ってほんとに山と川ばかり。ほ
んの数時間走れば、こちらの海から向こうの
海に行きついてしまう。こんな狭いところで
一億を越えるひとたちが住んでいる。思い起
こせば、北関東が第二のふるさとになったの
はたまたまのこと……)
 北海道や沖縄だけでなく、種吉が行ったこ
とのない土地がいくつもある。
 これから先、自分はどれくらい生きられる
かしれないが、できるだけあちこち旅したい
ものだと思った。  
 名古屋の街が近づいて来た。
 松本方面に向かう車が徐々に渋滞しはじめ
ると、種吉は平静ではいられなくなった。
 いつなんどき、自分たちの車も同じ目にあ
うやもしれない。
 そんな思いが、種吉の脳裡にふとわいた。
 彼なりの杞憂ぐせである。
 まだ起こりそうもない事柄について、あれ
これと心配する。
 これじゃ、おれは、おふくろの二の舞では
ないかと思ったとたん、彼女の落ちくぼんだ
ふたつの目を思い出した。
 

 
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