油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

そうは、言っても。  (7)

2020-12-21 19:44:10 | 小説
 取り越し苦労は害があっても、一利なし。
 ひとはマイナスのイメージを抱けば抱くほ
ど、精神的に負担がかかる。まるで一種の不
幸を呼び込んでしまうようである。
 「いいんだね。具合がわるいことが起きち
ゃったって」
 潜在能力の入っている容器のふたの番人を
しているのは幼子らしいという。
 素直に、そのひとの望む現象が飽きるよう
に物事をとりはからう。
 放っておくと、潜在能力は具合の悪い方向
に働いてしまう。どうやら、それはマイナス
方向に進むのが好きらしい。
 具合の良い方向に設定するのは、ちょっと
した工夫がいる。
 おもてに現れた能力を、うまく駆使するこ
とである。
 それは言葉だろう。
 ひとは言葉による物語を生きていると言っ
ても差し支えないくらいだからである。
 そうすると、要は、言葉を、正しく使えさ
えすればいいことになる。
 いやだと思っても、これからやろうとする
ことを好きになること。
 楽しむこと。なんとかなるさ、と思い、も
のごとを横着にかまえること。
 それまで助手席で眼を閉じ、あれこれ考え
ていた種吉は、にやけた表情になった。
 「あんた、いやににやけてるね。いったい
何を思い出していたのやら」
 後部座席のかみさんが、横合いから、種吉
に、いぶかし気な顔を向けた。
 「あっ、おまえか。いやいやなんでもない。
ちょっとふるさとの思い出にひたっていたも
のだから」
 「ふうん、思い出ね。いろいろあったんだ
ろね。あんた、ずいぶん遠くまでふっとんで
きたものね」
 「ああ」
 「どうして、こっちへ来たのさ。そろそろ
白状してもいい頃合いじゃないかしら。わた
しと会ったのはほんのたまたまのことだろ?
あちらにいい人がいたんだろ。ねえ、あんた。
正直に言いなよ。この際さ」
 かみさんは、いっぱしの刑事のよう。
 種吉のこころの秘密基地に、遠慮なく、ぷ
すりぷすりと疑いの矢を放ち出した。
 わきで、我が子らが耳をそばだてている。
 下手に、素直に応えるわけにいかない。
 種吉はそう思い、
 「あっ、良かった。あれを見ろよ。名古屋
方面の車さ。この分じゃ、大して混みあうこ
となく名神にのっかれるぞ」
 窓外をながめながら、種吉は大きな声を出
した。
 種吉のかみさん、若い頃とくらべ、すいぶ
ん張り切っている。
 「高校も大学も出なかった分、わたしは勉
強するのよ。そして稼ぐの。今まではあんた
がいっぱい働いてくれたし」
 「へえ、おれを評価してくれるんだ。それ
はえらい、えらい。だが大変だぞ。金儲けは
な」
 へそまがりの種吉と違い、彼女は根っから
の素直な性格。
 他人の言うことをストレートに受け入れる。
 どこで習い覚えたのか、ブレークスルーな
る言葉にほれ込んでしまい、心情を同じくす
るひとの集まりに足しげくかよう。
 「いっぱい授業料はらったけどね」
 目からうろこ、とばかり、彼女は、格段に
進歩した。
 彼女は積極的に社会にあゆみ入り、果敢に
他人と口論をかさねた。
 直情径行。
 わが道を行った。
 おれの言うこと、もっと信じてくれよ、と
種吉は言外ににおわせたり、それでも通じな
ければ、口に出したりしたのだが、まったく
彼女はとりあおうとしなかった。
 「おとう、父ちゃんよ。つぎのパーキング
で運転代わってくれよな」
 三男のМが、気をきかして、口をはさんだ。
 いつの間にか、車は名古屋の環状線に乗っ
かっている。あと少しで、名神高速に入ると
ころだった。
 「あいよ。わかった。長いこと運転してく
れて、ありがとう」
 種吉が後ろを向くと、三男のお兄ちゃんた
ちふたりが下を向いた。 
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうは、言っても。  (6)  

2020-12-03 18:02:00 | 小説
 それから数時間、車は故障も事故もなく、
秋色を見せはじめた山あいを淡々と走りつづ
けた。
 運転する種吉といえば、鼻歌まじり。
 時には、片手でハンドルをにぎっているこ
ともあり、同乗する家族をひやひやさせた。
 それまで、久しぶりの帰郷だから、はめを
少しは外したって、と大目に見ていた彼の妻
はこらえきれず、
 「やめてよね、もういい加減な運転はっ。
事故ってケガするのはあんたひとりじゃない
の。どうすんのよ、一体?あんまり気楽に運
転されると、かえって不安になってしまうじゃ
ないのよ。いい加減にしてっ、片手運転はっ」
 彼女は眉間にしわを寄せ、声高に言った。
 「はい、わかりましたっ」
 と言うなり、種吉はびくりと体をふるわせ、
すぐさま両手運転に切りかえた。
 「うれしい時はうれしいように、かなしい
時はかなしいようにね。あんたって子どもの
時からそんなふうだったんだって。感情に振
りまわされちゃって、もういいご老体が。そ
んな性格、こかに吹き飛ばしちゃってよ。あ
んたのお母さんから、もうずうっと前によお
く聞いて知ってるわ」
 かみさんの言うことは、ごむりごもっとも。
 種吉はがくりとこうべを垂れ、黙り込んで
しまった。
 「おいおい、どうすんのよ。運転してるん
だぜ、おやじ」
 助手席の三男がにやりとし、右手を横にの
ばすなり、種吉の胸のあたりで、くるりと手
のひらを上に向け、種吉のあごをひょいと持
ち上げた。
 種吉はにやっと笑い、
 「えらい、世話かけます」
 ぺこりとかぶりを振ると、種吉の顔がしわ
だらけになった。
 「どういたしまして。いつものことで」
 まるでふたりは漫才師のようだ。
 実際、種吉は上方出身。
 少年の頃から、いとしこいしや、横山えん
たつ花菱あちゃこの名漫才などを耳にして育っ
た。
 そんな名を聞いても、おそらく今の若いひ
とは、かいもく、見当がつかないだろう。
 関西人はおもろいのだ。
 半面、彼らの内面はひゅうひゅう北風が吹
きまくっている。
 豊臣秀吉が隆盛を極めたころの堺の商人を
例にとるまでもない。
 関西地方に住む人々はいちがいに、むだを
きらう。吝嗇でもある。
 けちんぼうなのだ。
 「一円もまけまへんで」
 商人はあきないに厳しい眼を持っているの
だが、一歩商いの外に出れば、大盤ぶるまい。
 商売相手が驚くほどに、豹変し、饗応する。
 かみさんのきつうい一言で、意気消沈した
種吉だが、再び、元気を取り戻しはじめ、そ
れと比例して、車のエンジンが軽やかな動き
を見せ始めた。
 数年前、種吉の母が逝去した際にも、同じ
コースをたどり奈良市内に入っている。
 あきれるほど長い恵那のトンネルをくぐり
ぬけると、中山道も、残すところ、あと少し
となった。
 三男と運転を代わり、種吉はほっと一息い
れることにした。
 助手席にふかぶかとすわり、ちらと車窓を
眺めた。
 紅い果物が目に付く。
 リンゴ畑の連続だった。
 (わが国土ってほんとに山と川ばかり。ほ
んの数時間走れば、こちらの海から向こうの
海に行きついてしまう。こんな狭いところで
一億を越えるひとたちが住んでいる。思い起
こせば、北関東が第二のふるさとになったの
はたまたまのこと……)
 北海道や沖縄だけでなく、種吉が行ったこ
とのない土地がいくつもある。
 これから先、自分はどれくらい生きられる
かしれないが、できるだけあちこち旅したい
ものだと思った。  
 名古屋の街が近づいて来た。
 松本方面に向かう車が徐々に渋滞しはじめ
ると、種吉は平静ではいられなくなった。
 いつなんどき、自分たちの車も同じ目にあ
うやもしれない。
 そんな思いが、種吉の脳裡にふとわいた。
 彼なりの杞憂ぐせである。
 まだ起こりそうもない事柄について、あれ
これと心配する。
 これじゃ、おれは、おふくろの二の舞では
ないかと思ったとたん、彼女の落ちくぼんだ
ふたつの目を思い出した。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする