油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

天網恢恢、疎にして漏らさず。

2024-04-30 16:14:09 | 随筆
 ブロ友のみなさま。
 あしたから五月ですね。
 「新しい朝」
 そんなあしたがこの世にやってくる予感にかられ
ました。
 
 ようやく、といった感じです。
 しかし相変わらず、自死する方が非常に多い。

 新しい朝って?
 どこがどうして?
 タイトルとどんなかかわりがあるの。
 そう訊ねられそうです。

 ラジオ体操の歌の文句の中にありましたよね、こ
の言葉。

 テレビやラジオから流れてくるニュースを聞いてい
まして、今朝ほどふっとそんな想いがわいたのです。

 何をして、新しいと思うのか。
 それは、読者さまたちのお考えにおまかせしたいと
思いますが……。

 インターネットでつながっている。
 そんな中で、こうやって、ひと言述べるのはとても
気をつかいます。
 どなた様が読んでいらっしゃるかわからないから当
然ですよね。

 ところで、お釈迦さまが亡くなられてのちどれくら
いの歳月が過ぎ去ったのでしょう。

 もはや、釈迦の御威光が届かなくなってしまい、世
は乱れに乱れる。
 いわゆる末法思想が人の世に広まってから、どれく
らいの星霜を経たでしょう。

 科学技術の発達はめざましいものがあります。
 しかし、人間の精神面での進歩はいかがでしょう。

 紀元前のギリシャのアテナイの人とどれほどの違い
があるでしょうか。

 わが国内のみならず、外国でも容易にそんな事象を
かいまみることができます。

 弱肉強食。
 人間界が虫けらやけもの世界と同じでは何やら情け
ないですね。

 戦争は政治の延長とばかりに、力でもってごり押し
する。

 実は、人間の脳の中には、いまだに原始の脳が厳然
として存在している。
 いわば荒ぶる存在です。

 歴史の上で、大量虐殺に走ったリーダーの例をあげ
るのはたやすいことですね。
 問題は、それがただ単に、その人だけの所業ではな
かった。
 
 時の勢いが、期が熟したのでしょう。
 その人をして、指導者にかつぎあげたのです。

 しかしそうであるならば、なおさら、比較的新しい脳
である前頭葉を活き活きとさせる。
 そのことをとおして、人がたやすく暴力に走ることを
妨げることができる。

 たとえば長年、塾で子らを観てきた立場から言わして
もらえば、小学生の内から国語の教科書を、十分間音読
させる。
 そのことで、根気を養うことができる。

 そういった具合に、幼い頃から大脳心理学に沿って、脳
を育てることが必要なのです。

 体育はからだを鍛える。
 脳育は頭を鍛える。
 これがさらに重要なのです。


 わが拙作「忘却」のテーマは何だったと思われるでし
ょう。

 漫画みたいでなんだかわからなかったでしょう。

 かの龍は一体、何をしたのでしょう。
 どんな役回りだったのか。

 瀕死のドラゴンの口から、ぽろぽろこぼれ落ちた球が
一体何だったか。

 ちょっとでも読まれた方がお考えくだされれば、筆者
として、それにまさる喜びはありません。
 
 もう一言。
 この世は、おおかたの人が抱いている考えで動いてい
るようにみえます。
 時代精神といいましょうか。

 資本主義の世だから、金を持っているものが偉い。
 これもそのひとつ。
 人を区分けして考えてしまう。

 わたしなど、もともと貧しい家庭で育ったものですの
でそう指摘されれば、ああそうなんだと自分を卑しめた
ことが幾度もありました。

 捨てる神あれば、拾う神ありです。

 人身事故のニュースはとても痛ましい。

 どうかご自分のいのちをたやすく捨てないでください。
 いまだこの世のどこかに、自分が助かる道が残されて
いないか。

 どうぞいま一歩、踏みとどまり、考えてください。
 この世は乱れに乱れ、もはや救いようがないように見
えますが、観ている人は観ている。

 互いに手をたずさえ、生きていきましょう。 

 
 
 
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忘却。  補遺

2024-04-24 00:15:39 | 小説
 それからどれくらい経っただろう。
 冬の日は短く、間もなく、漆黒の闇が辺りを包みこもう
としていた。

 件のサイデリアの奥まった駐車場。
 その片隅に、何やらおもちゃの蛇のような細長いものが
最寄りの街灯のもとでほの白く輝いていた。

 よく観ると、それは今はやりの精巧にできた恐竜のミニ
チュアに酷似していた。
 足が四つあるのが、気になる。

 しかし、もっと現実味のあるもので、首から尻尾にかけ
て、からだの表面に、あちこち赤っぽいペンキがまだらに
付いていた。

 時折、ひくひくと動く。
 裂けた口から、何やら数珠状の黒っぽい玉がころがり出
ている。

 米英では蛇はスネイク、トンボをドラゴンフライと呼ぶ。
 ふたつの目玉で、かっとにらまれれば、いかなつわもの
でも怖気づいてしまうだろう。

 その小さな蛇は自ら、渾身の力を尽くし、物影に自らの
体を隠そうと試みたあげく、ついに力尽きた形跡があった。

 その証に、赤い染みが点々と駐車場のコンクリートの上
に残されていた。

 もっともっと驚かされたことには、いかなる衣服も身に
付けていないマネキン状のものが、駐車場のフェンスに背
をもたせてじっとすわっていた。

 生きているのか、死んでいるのか分からない。

 固い平板なからだは、薄いシャツ状のものがひと切れくっ
ついているだけで、それが男性用のマネキンであることを
物語っていた。

 よく観察すると、頭部に黒っぽい毛状の細かなものがい
くつも散見される。
 いずれも火に当たったようでちりちりに焼かれていた。

 突然、駐車場の上を、北風がひゅうっ通り過ぎていく。

 ふとフェンスにもたれたマネキンが動いた。
 動きは連続している。

 両手をコンクリの床につき、上体をなんとかして起こそ
うと試みた。

 「ふうう、どうなってるんだ。うっ寒い。わからんなまっ
たく……、あっ、かみさんは、かみさんはどうした?」

 もう一陣の北風がそのマネキンをして、活き活きと動く
のに力を貸した。

 ふらつきよろめきながらでも、歩いて行く。
 途中、彼はさっきの蛇状のものを見つけた。

 「おれはおれは……、こいつのせいでとんでもない夢を
みせられてしまった」

 それは、首から下へとどす黒いうろこがびっしりと寄
り集まっている。
 そのさまは何やら、観るものを圧倒してしまうほどの
凄みがあった。

 「これじゃまるで竜だろ」
 彼はふうっと息を吐いてから、その蛇を遠い夜空に向け
て投げあげた。

 この店はけっこう人気があり車の出入りが激しいが、ほ
とんどの客は道路よりに車を停める。

 だから、奥で何が置かれていても、また何が行われてい
ても知らぬ客が多い。

 ふらつきよろめきながらも、彼は玄関のドアをひとつふ
たつと開けた。

 店内に入ったとたん、彼は何かを思い出したらしい。
 ぎょっとして立ち尽くした。

 「ひとりふたり、さんにん……」
 六人まで数えた。
 それからめいめいの体をなでたりこすったりした。

 見る間に彼ら六人はふうっと息を吐き、動きだした。
 厨房の中で働いていたはずの三名のスタッフも、店内に
ゆらりゆらりとあらわれ出てくる。

 マネキン男はひとりの女性のもとに歩み寄ると、ポンポ
ンと彼女の右肩をたたいた。

 彼女はうっとうめいて、目を覚ました。
 「あっあんた。今までどこに行ってたのよ。さびしかった
わ。なんだか変な夢。ぐわっと口を大きく開けた動物に食
われるのっ。怖くて呻いていたわ」
 「そ、それがな……」

 「わっ、あっ。あんたちょっとちょっと、それって一体?」
 そして声をひそめて、
 「ほとんど身に何もまとってないわ……」

 「とにかく、さあこれ」
 自分の足まで届く厚手の上着を、彼に渡すと、彼は腰をか
がめ、すばやくそのコートを羽織った。

 「おれだってな、いま自分がどうなってるか、わからん」
 「ついにボケたんだ」
 かみさんはうんざりした表情になった。

 「あちこち痛むわ。でも不思議にどこも傷ついてないの」
 「そうなんだ。あれくらい暴れたんだ。その程度で済んで
良かった」

 「えっ、なんの話?」
 「あっへへへっ、なんでもない、なんでもないさ。さあう
ちに帰ろう。裏の駐車場で、赤いインサイトが寂し気に待っ
てるよ」
 「そうね」

 「これからはさ。何はなくともいい。穏やかに暮らそうな」
 と、ほほ笑みながら言った。
 
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忘却。  エピローグ

2024-04-22 18:42:13 | 小説
 「あんた、どうすんのよ。げっぷばかりして。あたし、ふたりで
お茶するの、楽しみにしてたのよ」

 めったに言わない言葉を、思わず、口にしてしまい、かみさんが
ほほを染めた。

 「ううん、そうだなあ。お茶だけでいいのか」
 「食料いっぱい買い込んだけど、これは明日からの分でいいわ。今
晩はどこかで食べたいわ」
 「ふうん、そうさなあ」

 おれは腹ぐあいを確かめるつもりで、ハンドルから左手を離した。
 のの字を書くように、腹の上で左手を動かす。

 「ちょっとだけ、大丈夫みたいだぞ。食後のデザートの用意もでき
てるし」
 「デザートって?」
 「いやなに……、なんでもない」

 「いやだわ。男のくせに、一度言いだしたことをひっこめるなんて」

 安上がりでいいわとかみさんが言うので、ふたりしてサイデリアの
ドアを通る。

 (先ずはドリアドリア、コインみっつで食べられる……)

 思い起こせば、ミラノドリアはせがれの大好物だ。
 フォークとナイフを上手に使い、こげ茶の皿の中に、いまだに残り
かすが付着しているとみれば、スプーンのふちを器用に使い、きれい
に平らげる。

 ファミレスの飲食物に詳しく、それなりに口も肥えている。
 幼い頃からしばしば、かみさんの女きょうだいふたりとともにファ
ミレスに通った。

 かみさんは若いときは、親の手伝いがとても忙しかった。
 野良仕事である。
 「おまえは長女だから、あとっとりだぞ」
 父親にそう言われつけてきた。

 言葉が人を創るもので、自らも、ああそうなんだと、いつしか納得
してしまったらしい。

 「いらっしゃいませ」
 ウエイトレスのひとりが、ようやく、厨房から出て来て、
 「おタバコはお吸いになりますか」
 とつづけた。
 「いいや」
 おれは右手を上げ、一度横に振った。

 彼女の腰のあたりで、ぴっちりと巻き付いているものが気になってし
まう。
 それはエプロンに違いないのだが、おれにはまったく異なった生き物
に見えてくるから不思議だ。

 彼女は若いだけに、豊満な体だ。
 思わず、おれは空腹をおぼえ、腹がぐぐぐぐっと鳴った。

 小さな紙切れに注文番号を書き付けてからテーブルの隅に置いてある
呼び出しボタンを押した。

 「ミラノドリアふたつですね。お飲み物はどうなさいますか」
 「ドリンクバー、ひとつ」
 「かしこまりました」
 
 立ち去って行くウエイトレスに、おれは言わずもがなの一言を放つ。
 「この前来たときのドリア。ちょっとぬるめだったんだよな」

 ウエイトレスは、踵を返し、まじめな顔で、
 「わかりました」
 と、頭を下げた。

 「まったく、あんたって人は……、そんなにうるさかったんだっけ」
 「おまえに似てきたよね」
 「うそおっしゃい。また人のせいにして」

 俺の意思とはうらはらに自らのからだに起きている変化。
 おれはそれについて行けそうもない。

 筋肉といい、皮膚といい。うずうずごわごわしている。
 おれ自身が、どんどん、どこかに追いつめられていくようだ。

 ふと複数の人の気配を感じ、あたりを見まわす。
 しかし、誰もいない。

 熱いドリアがふたつテーブルの上にのせられるのに時間がかかった。
 「やっぱり、あったかいドリアっておいしい」
 かみさんが目を細めて言った。

 (うんうん、おいしいもので腹を満たすといい。おれは願ったり叶っ
たりだ)

 今度は鋭い視線だ。
 それもひとつやふたつじゃない。
 それらがおれの体を突きさす。

 店内にいるのは、男女の二人連れが、三組ばかりである。
 彼らは誰ひとり、おれを見つめてはいない。

 「ごちそうさまでした」
 かみさんの声と、それに伴った笑顔。
 おれはそれらを、全力で覚えておかなければと思った。

 ひとしきり長すぎるからだを振り回してからおれは、おれの四本の
鋭い爪をたよりにして、平たく硬い天井にとどまることに成功した。
 喜びとか怒り。楽しみとか悲しみ。
 そういった感情が、するすると、おれの頭の中から抜け出ていく。

 こうしちゃいけないとか。ああすべきだとか。
 そういった知恵のたぐいも、すんなりどこかに消えてしまいそうだ。

 おれはあえて口を開けない。
 口は開けたほうが楽だったが、この世の最後のご奉公とばかりにぐっ
とこらえた。
 おれの両目から、血の涙がぽとぽと垂れる。

 イタリアの街を思い起こさせる心地よい音楽が店内に響きわたる。
  
  
 
 

 
 
 
 
 
 
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喉もと過ぎれば……。

2024-04-17 15:39:38 | 日記
 こんにちは。
 ブロ友のみなさま。
 いかがお過ごしでしょうか。

 わたしは、このところ、あまり元気が
 ありません。なぜかといえば、詐欺メ
 ールに、見事なまでにひっかかってし
 まったからです。

 どうやって、彼は、わたしのクレカの
 詳細を知るのでしょう。

 どうしたら、わたしのいのちの次に大
 切なものを抜き取ることができるので
 しょう。

 彼なりに必死に考えたのでしょう。

 敵は手ごわい。

 クレカについての知識を、充分に認識
 しています。

 異変は三月の半ばにありました。
 PCの画面に、明らかに、詐欺だとわか
 るくらいの画像が現れました。

 わたしは直ちに鹿沼ケーブルに電話。
 「この画像を削除するにはどうしたら
 いいでしょう」
 「では、こうしてください」

 この判断は正しかった。
 即座に、正確な処理のしかたを教えて
 いただき、事なきを得ました。

 問題はこのあとでした。
 発信元が不明のメールが相次いで放た
 れ、わたしのページにとどくようにな
 りました。
 
 実に、まぎらわしいメールでした。

 わたしの使用しているクレカ会社から
 とみられるようなメールが、頻繁にと
 どきだしたのです。

 四件から五件あったでしょう。
 バカなことに、そのうちの数件をクリッ
 クしてしまった。

 「ログインしろ、ログインしろ」
 の一点張り。

 IDやパスワードを、いくども、打ち込
 ませるようにしむけました。
 
 信頼できる方、あるいは友人が必要な
 のは、その際でした。

 わたしもあまりにぼんくらではありま
 せんでした。
 ただちに、フィナンシャル会社さまに
 連絡を入れました。

 「そんなメールは、当社では、いっさい
 よこしません」

 いっとき、損害を弁償する覚悟をしま
 したが、
 「保険がかけられていました」
 とのこと。

 おかげさまで自腹を切ることはなかっ
 たものの、今回わたしのせいで、他人さ
 まに多大なご迷惑をおかけした。

 「このメールどう?ひょっとして危な
 いメールじゃないかな」
 「うん、そうだな。おれもちょっと調
 べてみるから。そのメール、決して開か
 ないようにしていてっ」

 こんな具合に、何でも話せる、信頼
 のおける友を持つことです。

 いま思えば、この三月末あたりから
 発信元の不明なメールがわたし宛に送
 られてきていました。

 四月十七日。
 きょうもまた、それが届きましたよ。

 一度も二度も味をしめていますから、
 ちょっとやそっとじゃ、あきらめない
 のでしょう。

 もう二度と、不審なメールにクリッ
 クなんてするもんですか。

 すばらしいインターネット・セキュ
 リティを施していても、自らクリック
 してしまったら、もうアウト。

 ああそれとね。
 決して油断してはなりません。
 怪しげなサイトを開かないこと。

 敵はわたしたちそれぞれの心の隙間
 を狙い撃ちしてきます。

 十数年前、ブログを始めた頃、一度
 詐欺にやられました。

 せっかく書いた記事がすべて、他人
 のものになりました。
 糸が切れた凧のように、どこかに飛
 んで行きました。

 桜が咲いた。
 つつじが咲いた。
 暖かくなったと喜んでばかりはいら
 れません。

 ブロ友のみなさま。
 どうぞ、ご用心、ご用心。
 
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忘却。  (4)

2024-04-13 22:45:06 | 小説
 かみさんの小言は、スーパーの玄関を出る
際にもつづいた。

 いつの間に降り出したのだろう。
 白いものがちらつく。

 (またまた始まったか。かみさんの愚痴。まっ
たくいつまで続くのやら……)

 おれは思わず、あらぬ方を見つめた。
 その瞬間、ふっと何かが、おれの視界を横
切った。

 年輩の女の人らしかった。
 割烹着を草色の着物の上に重ねていた。

 雪のかけらが、割烹着の白に、とけこんで
しまう。

 横顔がどこかで見たことが……と思ったら、
もうこの世にいないはずのおれのお袋に似て
いた。

 (おれを心配して、お袋は、自分の若いとき
の姿で出て来てくれたのだろうか、あれは白
昼夢だったんだ。そうに違いない)
 おれはしばらくしてから、そう思った。

 かみさんの小言は、まるでしとしとと降っ
てはやみ、降ってはやみする、菜種ツユのよ
うだった。

 ぶつぶつと小声で言っている。
 そのぶんエネルギーの消耗が小さい。
 だから、ねちねち、ねちねちと長引いてし
まうように思われた。

 おれが少しでも、その小言に対して、文句
を言ったりしたら、かみさんは興奮してしま
ったろう。

 積もりに積もった日頃のうらみつらみと今
回、食料でふくらんだ紙袋ひとつを失くした
こと。
 それらをいっしょくたにして、一気に感情
を爆発させてしまったことだろう。

 ぐぐっと感情の固まりが、おれの喉元まで
出かかったのは一度だけじゃなかった。

 その時はよっぽど、かみさんを一喝してや
ろうかと思った。
 だが、歯を食いしばってこらえた。

 今のおれが感情を爆発させたら、とんでも
ないことが起きそうな気がしたからである。

 うらみつらみのおおもとの原因は、おれの
月々の手取りが、若いときに比べ、決定的に
少ないことだ。

 六十を過ぎ、国民年金だけの暮らしになっ
てしまったのだから当たり前である。
 介護保険料やら差し引かれては、月々五万
に満たない。

 「もういい加減、小言にやめにしてくれない
か。おれ気分がわるくなってきた。へどが出
そうだ。なあ、頼むからさ」
 猫なで声でいう。

 「ふん、知らないわ。あんたが作ってよ。お
料理。この一週間、なんとかやりくりするの」
 「へえ、そんなことおれができるかな」
 「できるわよ。あたしだってね。嫁に来た頃
は、おさんどんがいやでいやで。泣きそうだっ
たわ」
 「そりゃ、気が付かないでわるかったな」
 おれはハンドルから離した左手を、かみさん
の右脚のパンツの上にのせた。

 「だあめ。あなた、一袋ぶんの食料、勝手に
自分のおなかに入れちゃうんだもの。それく
らいのこと、やってくれたっていいでしょ」
 「まだ言ってる。わたしにはまったく憶えの
ないことです」
 「うそばっかり。口の周りべとべとにしてさ」
 「とにかくもういい。減らず口たたくの。そ
の代わり、おれ、働くから」

 おれは若い頃世話になった製材所に、パート
で働かせてもらえないかと頼んだことを唐突に
思い起こした。
 「ああいいよ。だけど、材料が入るっていうか、
仕事があるときだけだ、かんね」
 「はい。ありがとうございます」

 大鋸が材木を切る。
 切られて細かくなって出てきたものを、両手
でかかえ、わきの荷置き場にのせる。
 ただそれだけの仕事である。

 一日中それをやっていると、どうしてもから
だに負担がかかる。
 右利きのため、切りだされ細かくなって出て
きた材木を、右わきでかかえてしまう。

 はなっとり。
 そう、呼ばれる仕事である。
 右わき、左わきと、交互に持ちかえていたら
良かったのだろう。そうすれば、今に至って骨
盤がゆがむような症状は出なかったかもしれな
かった。
 若いときと違い、無理がたたった。

 要するにかみさんは、おれの手取りがきわめ
て少ないことが、面白くなかった。
 一度ぜいたくを覚えたら、人間は忘れないも
のらしい。

 若い時なら、いざ知らず。もはや七十まじか
の老骨に鞭打っても、所詮は駄馬のごとき者。
 決しててきぱきと動けるものではなかった。
 社長に文句を言われつづけた。
 
  
 
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