ここ数年続けた車での里帰り。
それもようやく、昨年夏で終わった。
春の陽射しがぽかぽか当たる縁側に腰かけ、
種吉はこくりこくりとし始める。
彼の膝の上には、一匹の三毛猫。
種吉の左手がうごくたび、彼女は目をほそ
め、もっともっとと言わんばかりに、みずか
らのあごを思いきりのばす。
「ごろごろごろ、よう鳴るのどやなあ。生
きてる証拠や。死んだらあかんで。生きてて
なんぼや」
ふと種吉のまぶたが開いた。
白目が紅い。
目じりに、じわりとわきだしたぬくもりの
あるしずくが、たちまち大きくなり、ほほを
つたって流れ落ちる。
ふたりの弟、それにふた親の顔が、種吉の
脳裡に次々にうかんでは消える。
ともに過ごした昭和三十年代をなつかしむ。
(なんにもあらへん、おやつ言うたら、さ
つまいもふかしてもろうたり、ふつうは小遣
いが一日、五円。十円ももろたら万々ざいやっ
た。ほんま貧乏やったけど、人の気持ちがあっ
たかかったなあ。せやけど、きょうだいげん
かようしたな、原因はおかずの取りっこだっ
たり、いつだったか、兄貴かぜ吹かして弟こ
と上手投げくらわしたことあったな、かんべ
んしてくんろな)
そんな文句がぞろぞろ喉まで出てきてしま
い、種吉はぐっと歯を食いしばった。
「これでな、みんなみんな、いってしまい
よったな。おれひとり、この世に残してしま
いよって」
嗚咽をこらえて種吉がぽつりと言ったとた
んに、たまが顔をあげてみゃああと鳴いた。
「全部で五度くらい往復したかな。ほとん
ど三男とおれだけで運転やったから。行きと
帰りで高速を使って、およそ三十時間の道の
りやったから。ええ加減、しんどかったなあ。
でもな、あちこちのパーキングで止まったか
ら、いろいろと人間模様を見られたのがよかっ
た。コロナがなけりゃ、混みあってる食堂に
入って食べたんやけど。パンやコンビニ弁当
ばっかりで……」
ふいに種吉がたまを抱き上げ、彼女の体を
ぎゅうっと抱いた。
たまは爪をのばし、種吉にかるい傷をつけ
て逃げ去ってしまった。
ふた親が健在のうちは、めったに実現する
ことのなかったマイカーでの里帰りだった。
「危ないから、決して、車で帰ってきたら
あかん、絶対やで」
孫の安否を気づかうおふくろに反対するわ
けにはいかない。
若い頃の盆暮れの帰省は、ずっと新幹線頼
みだった。
(六十を過ぎてから、おれもよう、あれだ
けの道のり、運転でけたもんや)
お日さまが大きめの白い雲に隠れてしまい、
種吉が立ち上がろうとした。
「よう、たねきっつあん、久しぶりにはさ
み将棋でもどうだい」
声をかけてきたのは、となりのご主人。
隣家との境にある塀は、ブロックふたつ分
くらいの高さしかなかった。
ひょいとまたげば、種吉宅の庭先に届いた。
それもようやく、昨年夏で終わった。
春の陽射しがぽかぽか当たる縁側に腰かけ、
種吉はこくりこくりとし始める。
彼の膝の上には、一匹の三毛猫。
種吉の左手がうごくたび、彼女は目をほそ
め、もっともっとと言わんばかりに、みずか
らのあごを思いきりのばす。
「ごろごろごろ、よう鳴るのどやなあ。生
きてる証拠や。死んだらあかんで。生きてて
なんぼや」
ふと種吉のまぶたが開いた。
白目が紅い。
目じりに、じわりとわきだしたぬくもりの
あるしずくが、たちまち大きくなり、ほほを
つたって流れ落ちる。
ふたりの弟、それにふた親の顔が、種吉の
脳裡に次々にうかんでは消える。
ともに過ごした昭和三十年代をなつかしむ。
(なんにもあらへん、おやつ言うたら、さ
つまいもふかしてもろうたり、ふつうは小遣
いが一日、五円。十円ももろたら万々ざいやっ
た。ほんま貧乏やったけど、人の気持ちがあっ
たかかったなあ。せやけど、きょうだいげん
かようしたな、原因はおかずの取りっこだっ
たり、いつだったか、兄貴かぜ吹かして弟こ
と上手投げくらわしたことあったな、かんべ
んしてくんろな)
そんな文句がぞろぞろ喉まで出てきてしま
い、種吉はぐっと歯を食いしばった。
「これでな、みんなみんな、いってしまい
よったな。おれひとり、この世に残してしま
いよって」
嗚咽をこらえて種吉がぽつりと言ったとた
んに、たまが顔をあげてみゃああと鳴いた。
「全部で五度くらい往復したかな。ほとん
ど三男とおれだけで運転やったから。行きと
帰りで高速を使って、およそ三十時間の道の
りやったから。ええ加減、しんどかったなあ。
でもな、あちこちのパーキングで止まったか
ら、いろいろと人間模様を見られたのがよかっ
た。コロナがなけりゃ、混みあってる食堂に
入って食べたんやけど。パンやコンビニ弁当
ばっかりで……」
ふいに種吉がたまを抱き上げ、彼女の体を
ぎゅうっと抱いた。
たまは爪をのばし、種吉にかるい傷をつけ
て逃げ去ってしまった。
ふた親が健在のうちは、めったに実現する
ことのなかったマイカーでの里帰りだった。
「危ないから、決して、車で帰ってきたら
あかん、絶対やで」
孫の安否を気づかうおふくろに反対するわ
けにはいかない。
若い頃の盆暮れの帰省は、ずっと新幹線頼
みだった。
(六十を過ぎてから、おれもよう、あれだ
けの道のり、運転でけたもんや)
お日さまが大きめの白い雲に隠れてしまい、
種吉が立ち上がろうとした。
「よう、たねきっつあん、久しぶりにはさ
み将棋でもどうだい」
声をかけてきたのは、となりのご主人。
隣家との境にある塀は、ブロックふたつ分
くらいの高さしかなかった。
ひょいとまたげば、種吉宅の庭先に届いた。