列車が名古屋駅を出発すると間もなく、大
きく半円を描くようにして、列車の先頭部分
を南に向けていく。
ここは紀伊半島の根っこ。
わたしの頭の中に、小学校高学年の頃によ
く見た日本地図の一ページが浮かんだ。
六十年経った今でもそれは鮮やかで、何も
見ずとも、その地形をあらかた一筆書きする
ことができる。
「鳥が羽を広げてるみたいやね」
と、母に告げたことを思い出す。
志摩半島。
伊勢はその羽のふところ深くまで行かない。
羽の先にちょこんととまった小鳥を連想さ
せる。
昔ながらの借家。
それが子どもの頃のスイートホームだった。
傘の付いた電球が天井からぶらさがってい
て、淡いオレンジ色が四畳半の部屋を照らし
ていた。
箪笥の上に一台のラジオ。
聞こえたり、聞こえなくなったり。
真空管ラジオの性能は今ひとつだった。
「お母ちゃん、ここやで伊勢湾ていうのは。
なんやしらんけど、えびがにの大きいのみた
いなのが、うんととれるんや、と」
「そうや、そうや。あまさんいうてな。薄
い肌着みたいなのひとつ身につけただけで、
えらい深いとこまでもぐらはんねやで」
「あまさん?それって、お寺のぼんさんと
ちゃうの?」
「ちがうねん。酸素入りの道具を身につけ
んで、さざえなんかとらはる女の人や。どれ
見せてみ。あれっ、ここってお父ちゃんとな、
結婚した時に行ったとこやないか」
母はなつかしそうにそのページを見つめた。
地図の上の鳥の羽のはじを、人差し指でほ
らとさし示した。
「しんこんりょこうちゅうんやね。お母ちゃ
ん、そのとき、どんな気持ちやった?うれし
かった」
「あほ。おませなこという。親ことおちょ
くっとったら、しょうちせえへんで」
母はそう言い、わたしのひたいを小突いた。
彼女は三十代後半。
働き盛りで、あと三、四年もすれば、オリ
ンピックが開かれる頃だった。
ふいに列車がガクンと揺れた。
かろやかに走っていた列車が、ふいにスピ
ードを落としたのだ。
立っている客が、前のめりになる。
思い出にひたっていたわたしも、現実にひ
き戻された。
「これって、ほんとに快速かな。なんか乗
り心地がいまいちや」
せがれが前方を向いたまま、言った。
「しっ、あんまり大きい声で言うたらあか
ん。周りの人が気にしやはるやろ」
思わず関西弁が口から出てしまい、自分で
も驚く。
だが、せがれはほほ笑んでいる。
父親のふるさとが関西である。
自分ではしゃべらずとも、ほとんど違和感
を覚えないらしい。
わたしは後ろを向いた。
友人Wはすわったまま、わたしをじっと見
つめていた。
親子水入らず。
できるだけ私たちのじゃまをしたくないの
だろう。
彼はどうしてもわたしに会いたい、と島根
からはるばる出て来てくれた。
特急で岡山まで出て、そこで新幹線に乗り
継ぐ。
長い道のりである。
彼は大の旅行好きらしい。
最近、つとに出不精になったわたしにとっ
て、彼は偉大な行動派のひとりに思える。
停車駅は、津だった。
名古屋から六つ目の駅。
それまでに停車したはずの五つの駅の記憶
はどこへ行ってしまったのだろう、ひょっと
して年のせいでどこかへぶっとんでしまった
のか、と、いぶかしんだ。
煙突が多かった四日市は、空気に刺激臭が
まじっていたから、若干覚えがあった。
津。
ここは、何度か、弟と来たことがある。
残暑きびしいお盆ちゅうだった。
海辺からの投げ釣りで、キスがたくさん釣
れた。
せがれが五歳、わたしが三十代前半。
次々に浮かんでくる、昔の思い出。
いったい、わがさびつき始めた頭脳のどこ
に、それらがこれまでしまわれていて、数十
年の間のおびただしい記憶の中から、どんな
拍子に、それだけぽかりと浮かんでくるのか。
その仕組みはどうなってるのだろう。
なんとも不思議である。
松坂。
わたしはその時、この言葉を聞いて、おい
しい牛肉のことしか頭に浮かばなかった。
あとで調べてみると、この街はたいそうな
歴史がある。不勉強きわまりないことだ、と
しきりに反省することになった。
海沿いの土地は、とにかく気候が温暖。
人のこころに豊かさをもたらすに、相違な
かった。
二時間以上かけ、ようやく列車が伊勢市駅
に到着した。
きく半円を描くようにして、列車の先頭部分
を南に向けていく。
ここは紀伊半島の根っこ。
わたしの頭の中に、小学校高学年の頃によ
く見た日本地図の一ページが浮かんだ。
六十年経った今でもそれは鮮やかで、何も
見ずとも、その地形をあらかた一筆書きする
ことができる。
「鳥が羽を広げてるみたいやね」
と、母に告げたことを思い出す。
志摩半島。
伊勢はその羽のふところ深くまで行かない。
羽の先にちょこんととまった小鳥を連想さ
せる。
昔ながらの借家。
それが子どもの頃のスイートホームだった。
傘の付いた電球が天井からぶらさがってい
て、淡いオレンジ色が四畳半の部屋を照らし
ていた。
箪笥の上に一台のラジオ。
聞こえたり、聞こえなくなったり。
真空管ラジオの性能は今ひとつだった。
「お母ちゃん、ここやで伊勢湾ていうのは。
なんやしらんけど、えびがにの大きいのみた
いなのが、うんととれるんや、と」
「そうや、そうや。あまさんいうてな。薄
い肌着みたいなのひとつ身につけただけで、
えらい深いとこまでもぐらはんねやで」
「あまさん?それって、お寺のぼんさんと
ちゃうの?」
「ちがうねん。酸素入りの道具を身につけ
んで、さざえなんかとらはる女の人や。どれ
見せてみ。あれっ、ここってお父ちゃんとな、
結婚した時に行ったとこやないか」
母はなつかしそうにそのページを見つめた。
地図の上の鳥の羽のはじを、人差し指でほ
らとさし示した。
「しんこんりょこうちゅうんやね。お母ちゃ
ん、そのとき、どんな気持ちやった?うれし
かった」
「あほ。おませなこという。親ことおちょ
くっとったら、しょうちせえへんで」
母はそう言い、わたしのひたいを小突いた。
彼女は三十代後半。
働き盛りで、あと三、四年もすれば、オリ
ンピックが開かれる頃だった。
ふいに列車がガクンと揺れた。
かろやかに走っていた列車が、ふいにスピ
ードを落としたのだ。
立っている客が、前のめりになる。
思い出にひたっていたわたしも、現実にひ
き戻された。
「これって、ほんとに快速かな。なんか乗
り心地がいまいちや」
せがれが前方を向いたまま、言った。
「しっ、あんまり大きい声で言うたらあか
ん。周りの人が気にしやはるやろ」
思わず関西弁が口から出てしまい、自分で
も驚く。
だが、せがれはほほ笑んでいる。
父親のふるさとが関西である。
自分ではしゃべらずとも、ほとんど違和感
を覚えないらしい。
わたしは後ろを向いた。
友人Wはすわったまま、わたしをじっと見
つめていた。
親子水入らず。
できるだけ私たちのじゃまをしたくないの
だろう。
彼はどうしてもわたしに会いたい、と島根
からはるばる出て来てくれた。
特急で岡山まで出て、そこで新幹線に乗り
継ぐ。
長い道のりである。
彼は大の旅行好きらしい。
最近、つとに出不精になったわたしにとっ
て、彼は偉大な行動派のひとりに思える。
停車駅は、津だった。
名古屋から六つ目の駅。
それまでに停車したはずの五つの駅の記憶
はどこへ行ってしまったのだろう、ひょっと
して年のせいでどこかへぶっとんでしまった
のか、と、いぶかしんだ。
煙突が多かった四日市は、空気に刺激臭が
まじっていたから、若干覚えがあった。
津。
ここは、何度か、弟と来たことがある。
残暑きびしいお盆ちゅうだった。
海辺からの投げ釣りで、キスがたくさん釣
れた。
せがれが五歳、わたしが三十代前半。
次々に浮かんでくる、昔の思い出。
いったい、わがさびつき始めた頭脳のどこ
に、それらがこれまでしまわれていて、数十
年の間のおびただしい記憶の中から、どんな
拍子に、それだけぽかりと浮かんでくるのか。
その仕組みはどうなってるのだろう。
なんとも不思議である。
松坂。
わたしはその時、この言葉を聞いて、おい
しい牛肉のことしか頭に浮かばなかった。
あとで調べてみると、この街はたいそうな
歴史がある。不勉強きわまりないことだ、と
しきりに反省することになった。
海沿いの土地は、とにかく気候が温暖。
人のこころに豊かさをもたらすに、相違な
かった。
二時間以上かけ、ようやく列車が伊勢市駅
に到着した。