油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

そうは、言っても。  (12)

2021-02-21 23:18:21 | 小説
 つぶらな瞳に弱いのは、だれでも同じ。
 澄んだ眼でみつめられると、まるで神さま
に見つめられているように思える。
 その子の身内であろうがなかろうが、守っ
てやりたくなるのが人情というものだろう。
 しかし昔と比べたら、最近は世の中がぐん
とドライになったから、種吉の考えが通用す
るかどうか、疑わしかった。
 「おじいちゃん。ねえ、じいちゃんったら」
 種吉のそばで女の声がした。
 種吉は、その言葉を発している人間のほう
を、あえて見ようとはしない。
 半ばふざけている。
 種吉は、相手が誰だか、見当がついたから、
即座に返答しないでいた。
 それどころか、幼子がパンを食べ始めたの
で、彼がのどをつめないよう、種吉は注意し
て見ていなければならなかった。
 小さな子どもをまねた、かの人は、なにを
思ったか、種吉の両肩を、もみはじめた。
 「うん?どなたさまか知らんが、殊勝な心
掛けで。いたみいります」
 種吉はぺこりと頭を下げた。
 右肩をもむ手がやんだとたん、種吉の頭め
がけて、かるい平手打ちが、ぴしゃりと飛ん
できた。
 それでも種吉は、知らぬぞんぜぬを決め込
み、されるがままだ。
 よほど腹をすかしていたのだろう。
 男の子は、菓子パンを包んだ袋を、ろくに
開けないまま、小さい口を思いきり開け、パ
ンにかじりついた。
 もぐもぐもぐと数秒、口を動かしていたが、
ふいに彼の表情がくもった。
 顔がみるみる赤くなり、あちこちしわを寄
せて、わんわん泣き始めた。
 「うん?どうしたんだ、ぼく?のどでもつ
まえたのかい」
 種吉は、あれこれと気をもむが、幼児のあ
つかいに慣れない。
 (ほんとに小さな男の子だから、口が思う
ようにまわらないのは当たり前だ、女の子の
ほうが、もっと……)
 あれこれ気をもんでしまい、種吉はどうし
ていいか、わからない。
 小さく、かわいらしかった口が、まるで一
個の生き物のようにふるまっている。
 男の子が、口を思いきり開けたものだから、
なかに入っている、半ばかみ砕かれた食べ物
が、みごとにあらわになった。
 「これこれ、ほら、ふくろごと、食べよう
とするからひどいことになる。おじさんがよ
く、食べ方を教えてあげる。ほら、ちょっと
ちょっと、泣くのをおやめ」
 種吉は、彼の口の中のものを、ふくろの断
片と食べ物のかけらとに、えり分けていく。
 時間のかかる作業である。
 すべて吐き出させればいいのだが、それで
は、よけいに騒がせてしまう恐れがあった。
 「よしよし、よく辛抱で来たな。ほらこれ
でおわりだ。これでもとどおりだ。もういい
かげんにきげんをなおしてくれないか、どう
だね、ぼく?」
 しかし、言葉をうまく理解できない子供に
おとなの理屈が通じるわけがない。
 いったん泣きやめたものの、再び、泣きは
じめた。
 「わあん、わあん」
 (こりゃ、困ったことになったわい。泣く
子と地頭には勝てぬ、か……)
 種吉は、昔、親から教わった、そんなこと
わざを思い出した。
 還暦を迎えてから、やたらと、種吉の口か
ら、ことわざが飛び出してしまう。
 同じような言葉しかでなくなったら、ひょ
っとして……。
 種吉は自分自身を、気づかってしまう。
 「ママ、ママア」
 男の子は歩きまわりながら叫ぶだした。
 背後にいた、かの人が、突然、種吉の前方
に出て、男の子をあやしだした。すると数分
も経たないうちに彼が泣きやんでしまった。
 「やっぱりわたしがいないとだめでしょ」
 「ああ、どうも。ありがとさん」
 だしぬけに白髪をふり乱した女性が、コン
ビニからとびだして来た。
 「何するんですか、あなた。うちの孫にっ」
 耳元で、鋭い叱責の言葉を耳にした種吉は
うろたえてしまった。
 どうやら、男の子の祖母らしい。
 「あのう、そのう、実は……」
 きついまなざしの同年配らしい女性に向か
って、種吉は、何か気の利いたことをしゃべ
ろうとするのだが、できなかった。
 口をもごもご、動かすばかりである。
 
 
 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二月二日に、豆をまく。   

2021-02-07 08:01:55 | 小説
 種吉は豆まきは三日とばかり思っていた。
 「お父さん、今年は一日早いんだよ」
 豆まき役の次男の言葉にあたふた。
 「そっ、そんなことあるか。昔から二月三
日が節分と決まってるじゃんかよ」
 こいつめ、どうかしたんじゃないかと、種
吉は、じいっと、せがれの顔を見つめた。
 「まったく、あんたはなんにも知らないん
だね。そんなふうに世間のことにうといから
近所のひとにばかにされるんだよ。わたしさ、
恥ずかしくって……」
 種吉の女房があきれたといった表情で、彼
の顔をのぞきこんだ。
 いかに婿さんとはいえ、子どもの前である。
 おれだって多少なりとも亭主の威厳がある
はずと、
 「ええっ?いったい何の話だい?豆まきと
関係あるのかい。よけいなことは、なるべく
いわんでもらいたい」
 と口をとがらせた。
 「ふん、なにさ。えらそうに。あんたのこ
と、近所のうわさになってるよ。いつまでも
おんなじジャケットを着てるってさ。ああい
やだ。わたしが笑われるんだよ、わたしが」
 「そんなこと、気にせんでいい。あの人ら
は暇なんだ、だから……」
 種吉は、左手で、頬杖をつき、右手の指で
電気炬燵の上のテーブルを、こつこつたたき
だした。
 「もういいわ。節分にけんかなんてしたく
ないからね。でもさあ、あんた、とっても威
勢がいいこと。なにかいいことあったのかし
らね、ううん?」
 かみさんは、にわかにくすっと笑い、
 「わたしにね、隠しごとしたってさ。すぐ
にわかるんだから」
 彼女は意味ありげなことを口走り、いささ
か首をすくめ加減にして、茶の間から出て行
った。
 気分がむしゃくしゃするのか、種吉は、戸
外の空気でも吸おうと、電気炬燵のおかげで
ようやく温まりだした足を、むりやり、そこ
から引き出した。
 身に着けていた袢纏の襟を、きっちり胸の
ところで合わせながら玄関に向かった。
 「ふくはあ、うちい」
 次男の大声が、台所で、響きだした。
 (やれやれ、これじゃまるでおれが鬼みたい
じゃないか)
 引き戸をそっと開け、庭先を見つめる。
 いつの間にか、日は暮れていた。
 ガレージわきや植え込みの暗がりが一段と
濃くなっている。
 ほとんど闇に近い。
 (もしやあのあたりに、鬼やもののけがひ
そんでいるんじゃあるまいか)
 種吉はぼんやりそう思った。
 玄関の三和土の上である。
 「おとう、そこ、ちょっとどいてよ。わる
いね」
 種吉は、はいはいと素直に答え、せがれの
ために場所を空けた。
 凍てつく寒さである。
 棚吉のからだが、ふいにぶるっと震えた。
 「おお、さむ、こさむ」
 歌うように言い、種吉は茶の間にもどった。
 家族四人で夕餉を囲んでから、木のマスに
入った、煎り大豆を食べはじめた。
 「歯がわるいからな。七十ぜんぶ、とても
くえないよな」
 種吉がぼそりと言うと、みなが声を上げて
笑った。
 「あんた、入れ歯はどうしたん?」
 「どこへ行ってしまったんだか?今度ばか
りはまったく姿をみせねえやい」
 「入れ歯が歩いて行ったとでもいうんかい。
まったくあんたって人は……」
 ふたりのやりとりを聞いていたせがれふた
りは、あははと笑った。
 「それにしてもコロナだよな。鬼さんは。医
療にたずさわるお医者さまや看護師さんたち
大変なご苦労さんだよ」
 「あんたも、そんなこと考えてるんだ。え
らいじゃないの」
 「あったり前だ。それにしても、差別がひ
どいな。コロナに感染した人にも、その家族
にまでさ。こんなんでいいのかな。世の中が
いつまでも良くならないわけだ。おまえたち
もおれを見習え。見ろ。おれちゃんとな。こ
んなときでもな。マスク、あごにひっかけて
るぞ」
 (人さまが苦労してがんばってるってこと
を、みながちゃんと認めなくては。こんなこ
ともできないから、人のこころに、ときどき
鬼がしのびこむんだ)
 種吉は、その昔、発生した少年Aのしわざ
を思い出していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする