油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

かわいいお客さま。  (2)

2022-11-21 17:17:18 | 小説
 心臓がバクバク言っている。

 それが私を幼い日の想い出に導いてしま
う。

 戸外を吹きすぎる風の音をこわがったり、
安心感を得るために、母の乳首に、赤子の
弟とともに吸いつき、しまいに唐辛子で撃
退されたりした。

 「ほんまにお前はなんぎな子や。おっき
なったら、じぶんの子に笑われてしまうで」
 
 つかの間のためらいのあとで、襖の向こ
うにたたずんでいるはずの人影に声をかけ
た。

 「誰かいるのかい」

 声に出すことで、いくらかでも恐怖心が
がおさまることを期待してしまう。

 なんらの返答もない。

 (ひょっとして、さっきの足音は幻聴だっ
たのかも……、たぶん寝ぼけていたんだろ
う。きっとそうだ)

 そう割り切りたいじぶんがいるのに気づ
き、わたしはかすかに笑った。

 このところの体調のわるさに、辟易して
いた。

 それが春先にコロナに感染したせいだと
思わないでもない。
 新型ウイルスだ、と専門家は喧伝する。

 それが人体にとりつけばどうなるか。
 誰にも予想がつかないのである。
 体力の強い弱いもあるから、症状は人に
よりけりである。

 (おれは皮膚が弱いから、ウイルスはそ
の部分にわるさするに違いない。体力が落
ちたとき、決まって左目のふちにヘルペス
症状が出る。さて新型コロナはいかなるわ
るさをおらの身体に働くのか……)

 打て打てと推奨されるワクチンだが、い
まだに一度も打ったためしがなかった。

 だが、悔やんではいない。アレルギー体
質だからだ。ワクチンを打ったら、かえっ
てコロナに感染しやすいかもしれない。

 どうなってもじぶんの身体である。責任
はとる。
 覚悟はできている。

 近ごろもの忘れが多くなり、そのたびに
老境の身を嘆いているじぶんにしては、大
したできではある。

 じゅうぶんに息をするのさえこらえ、か
すかな吐息さえ聞き逃すまいと身がまえた。
 しかし、なんらの応答もない。

 わたしはそっと、襖を開けた。
 階下から、こわれた楽器が発するような
せがれのいびきが聞えてくるばかりだ。

 「なんだ子どもって、孫娘でも来たと思っ
たのか」
 そう、じぶんに問いかける。

 二番目のせがれがとなりの部屋で就寝中
である。

 大きな声を出し、朝五時に起床し、家族
のみんなに迷惑かけぬよう仕事に出かける
腹づもりの人間を起こすわけにはいかない。
 
 目を細め、わたしの部屋や踊り場の暗が
りをさぐってみるが、まったく人の気配が
しなかった。

 一瞬、後ろから誰かに冷たい水をあびせ
かけられた気分になり、ああいやだいやだ、
気色のわるいこっちゃと、あわててふとん
にもぐりこんだ。

 (神さま、あしたも、つつがなく、目を
開けられますように)
 一度、大きく深呼吸してから、そう心の
中で言い、両目をつむった。

 間もなく、枕元で、ごろごろごろと音が
して、何かがもぞもぞと動いた。

 わたしは無意識に、左の肩にかかってい
るかけぶとんを、右手で上にずらしていた。
 
 
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かわいいお客さま。  (1)

2022-11-16 08:43:55 | 小説
 このところ、体の調子があまり良くない。
 とりわけ生来の皮膚の弱さがたたり、ぬく
もると、足といわず手といわず、たちまちか
ゆくなってしまう。

 すり傷、切り傷はご法度だ。
 ひどい時は、湿気の帯びた個所が、かびに
やられたりした。

 わたしは暇さえあれば、まるでお天道さま
にたよろうとするかのように、縁側にすわり
こんだ。
 「日向ぼっこかね」
 となりの奥さんに、よく笑われた。

 ある日の夜、どうしたことか、とりわけ寝
つきがわるかった。

 目を閉じても、わるい夢ばかり見る。
 (起きて、本でも読んだほうがいい)

 わたしはそう思い、ベッドの上でゆっくり
体を起こした。

 ゆうべから冷たい雨がトタン屋根をたたい
ていた。
 秋から冬へと季節が、確かな足取りで、め
ぐりだしていた。

 夜半はめっきり肌寒い。

 二枚のかけぶとん、ずいぶんと軽い。
 それらを一枚ずつ、両手でつかみ、足もと
に寄せると、ていねいに折りたたんだ。

 トントントン、トントン。
 ふいに子どものものと思われる足音を耳に
し、わたしは一瞬からだをこわばらせる。

 寝室わきに踊り場がある。
 その子がそこにのぼり着いたのか、かろや
かな音がやんだ。

 (今ごろ、誰だろう。階下の家族おとなふ
たりはすでに眠っているはず)

 それがあかしに、時おり、一番上のせがれ
の高いびきが二階まで響いていた。

 孫はいるが、車で二十分以上もかかる市街
地に住んでいる。

 理屈の通らない突然のできごとに、わたし
は恐れおののいた。

 ぴっちり閉められたふすまの向こうに、誰
かが立っている。
 そう思うとやたらと、胸がさわいだ。

 最近、今ひとつ、物事を判じられなくなっ
た。この音はこうであると、容易に断じるこ
とができない。

 しかたなくわたしは老眼鏡のかけない、あ
たりのよく見えない眼で、わきにある置き時
計を観ようとした。

 天井を見上げ、腰を浮かす。
 右腕をぐっと突き上げ、垂れ下がっている
紐を、やっとの思いで引っぱった。

 豆電球が淡い光が消え、間もなく、蛍光灯
二本分だけ部屋が明るくなった。

 両目をほそめ、わきにある机の上の置き時
計を眺めた。

 細長い針が音もたてずに、半径が五センチ
くらいの円を描いている。
 長針と短針が、ちょうど午前二時を、形づ
くっていた。

 よしっとかけ声をかけると、わたしはパジャ
マ姿のまま、ふすまを開けようと歩きだした。
 
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