油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

会津・鬼怒川街道を行く  (4)

2020-07-26 13:54:06 | 旅行
 若松城の敷地はとても広く、複雑に入り組
んでいて、駐車場のひとつから城門にいたる
のにずいぶん時間がかかった。
 もちろん満開に近いさくら花が、はるばる
やってきたわたしたちの歩調をゆっくりした
ものにしたのは言うまでもない。
 「まあ、きれい」
 かみさんは驚嘆の声をあげ、じっと掘わり
の土手に咲くさくらを見つめた。
 見るからに古木である。
 なかには、うろをかかえているもの見受け
られた。
 時折、ピンク色の花弁が、ちらほらとかみ
さんの顔にかかる。
 わたしは先を急ぎたかった。
 催促してもいいのだが、下手に声をかける
と、逆ねじを食らう。
 どうしたものかと、せがれふたりともども、
あっちへ行ったり、こっちへ来たり。
 しばらくひまがかかるとふんで、わたしは
好物を求め、掘わりの界隈を歩くことにした。
 どこの城でもそうだが、わたしは、いくつ
もの巨石がきちんと積み重ねられているのを
見るたびに驚いてしまう。
 石の表面が滑らかに削ってある。
 この地までどうやってそれらが運ばれたか。
 どのようにしてそれらに細工を施したのか。
 大昔のことだから、簡素な造りの荷車にの
せ、牛馬に引かせるほかなかっただろう。
 それに、のみや金づちくらいはあったに違
いないが、と、掘わりを造った人々の底知れ
ぬ苦労に圧倒されそうになった。
 ふと団子の焼けるいい匂いがした。
 わたしは間もなく、ひとりの青年が汗水た
らして団子を焼いているのを見つけた。
 店の前は客が行列をなしている。
 ずうずうしくも、わたしは列を無視し、列
の先頭に出た。
 「あれれ、だめでしょうが」
 後ろのほうで、息子のひとりがわたしをた
しなめる声をあげたが、わたしはわざと聞こ
えないふりをした。
 「ちょっと急ぎなものだから」
 と、その青年に耳打ちした。
 とたんに、列を形作る人々の間からブーイ
ングが起きた。
 「まあいいじゃないですか。この方はよほ
ど急いでおられる。それにどうやら初めての
方みたいです。この団子を、このおいしさを
異郷の方に味わっていただきましょう」
 若いにもかかわらず、落ち着いたものごし
で言う。
 「でもね。子どもじゃないんだからちょっ
とだけ待っていてくださいね」
 「ええ、そりゃもう」
 彼はそれまでより、てきぱきした動作で仕
事をやりだした。
 パックに詰めた団子を、おとなしく並んで
待っていた客に渡していく。
 「はい、お待ちどうさま」
 あっと言う間にわたしの番が来た。
 彼はその団子を、白い発泡スチロールの容
器に入れると、とろりとした液体をじゅうぶ
んにかけてくれた。 
 わたしはさっそく食べはじめた。
 わたしは根っからの関西人。
 苦しいときに、とんちをはたらかせること
がある。大阪弁でしゃべったりしてしまう。
 まあ、それだけに誤解も多い。
 ふと気が付くと、目の前に黄色のパンツを
はいた細めの脚が二本ある。
 はて、どこかで見たことがあるぞ、と、わ
たしは団子をくわえたまま、ちらりと見た。
 「しょうがない人。まあた、こんなところ
で油を売ってたんだ。列を乱したんだって?
ほんと恥ずかしい。放っておいても別にかま
わないんだけどね。で、どうするの。ずっと
ここにいる?」
 せっかくの旅である。
 わるいのは、わたしに決まっている。
 わたしはきびすを返し、かみさんに従って
歩きだしたが、うしろ髪ひかれる想いにから
れた。
 ちょっとふり向いたとたん、売りっ人の青
年と目が合った。
 わたしがかるく会釈すると、彼もそれに応
じた。
 多分、どこかの高校生だろう。それにして
も動作がきびきびしていて、礼儀正しい。
 その尊敬にも似た気持ちが、会津の人々す
べてに波及するのに、さほど時間がかからな
かった。
 残りの団子をむりやりのどに押し込んだの
で、危うく窒息しそうになってしまった。
 歩くにつれ、わたしは異郷になじんだ自分
をとりもどし始めた。
 明治初年1868年、この辺りは、大きな
いくさの舞台となった。
 戊辰の役、会津戦争である。
 「お父さん、どうしたの。顔がさっきとぜ
んぜん違うよ。何かいいこと、あった?」
「ああ、まあな」
 と応じた。
 「それは良かった」
 今さっきわたしをたしなめたせがれは、大
の歴史好き。
 歩くにつれて、彼の口数が多くなった。
 
  
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会津・鬼怒川街道を行く  (3)

2020-07-17 23:48:47 | 旅行
 大きな山の端をめぐると、ふいに目の前が
ひらけた。
 左を見ると、幅の広い川がある。雪解け水
だろう、けっこうな水量だ。
 はるか平地に向かって、とうとうと流れて
いく。
 陽射しが急に強くなった気がして、わたし
はまぶしくて眼をほそめた。
 晴天のゴールデンウイークの一日。
 満開のさくらを二度観る幸運に恵まれたと
喜んだあとだけに、いっぺんに夏がやって来
たような周囲の変化に、わたしはついていけ
ないでいる。
 それに大内宿での独り暮らしのおばあさん
との出逢いが、わたしの旅のタペストリーに
微妙な色合いをつけていた。
 まるで生まれてからずっとこの地に住んで
いるような気がするのだ。
 その雰囲気は旅の間じゅう、ずっとわたし
に付きまとった。
 ここは会津田島の町はずれ。
 日光のイロハ坂を下るときに聞こえるキー
ンという耳鳴りは、ここでは体験しなかった
が、山王峠のある高地から車がくだって来て
いる。
 車がガスに巻かれ、うかうかすると谷底に
まっさかさまなんて危うい場所もひやひやす
る場面もあった。
 せがれも平地が近いと悟ったのか、アクセ
ルを踏む足に力をこめた。
 「おいおい、気をつけて運転しろよな。こ
んなところで速度超過なんてかっこわるいぞ」
 「だいじょうぶだよ。まだまだいなか道な
んだし、おまわりさんだって、こんな見通し
のいいところでねずみとりしてやしないさ」
 「わかるもんか。ほんと、初めて走るとこ
ろは要注意だ。おれはだてに年取ってないか
らな。免許をとったばかりで、不慣れな前橋
の街を走ったことがあるが、もうさんざんだ
った。若いおまわりさんに笛を鳴らされてさ。
心臓がどっきんどっきんだったよ」
 「おやじ、縁起でもないことを言ってくれ
るなよ。あんまり心配してると、ほんとになっ
ちまうから」
 ふいにものかげからドッジボールくらいの
大きさの玉っこが飛び出してきた。
 すぐに四歳くらいの女の子がひとり、道路
の中央にまで追いかけて来た。
 車が迫ってきているのがわかったのか、彼
女はどうしていいかわからず、ただぼんやり
とたたずむばかりだ。
 せがれは鬼のような形相で、思い切りブレ
ーキを踏んだ。
 寸でのところで、彼女は事故から逃れた。
 後続車がなかったのも幸運だった。
 「すみません、すみません。以後気を付け
ますから」
 女の子の母親らしい人が真っ青な顔で、盛
んに頭を下げた。
 「いえいえ、こちらももっとスピードを落
とせばよかったのですから」
 黙りこくっているせがれに代わり、わたし
が返事をした。  
 「すみません。鶴ヶ城にいきたいんですが。
まだまだ遠いんでしょうか」
 「つるがじょう?ああ、若松城ですね。あ
と三十分くらいかかりますかしら」
 彼女は車のナンバーをちらりと見やり、
 「宇都宮方面からおいでですね。山あいを
ぬけて来られたんじゃ大変だったでしょう?」
 「ええ、けっこう時間がかかりました」
 「ちょっと休んでいかれたらいかがですか。
お茶でも差し上げますから」
 せがれの車の中に、かみさんがいるのに気
づいたのだろう。
 彼女はほっとした表情になった。
 彼女の話によると、彼女はもともとこの地
の人ではない。
 首都圏から来たらしい。
 若い頃、夫と共に旅行で南会津にきて、こ
の地の自然に心を打たれたらしい。 
 そのうえ、町も県外から移り住んでくれる
人を募っていた。
 「会津は昔から学問には熱心だし、礼儀作
法を身に付けることができる。いっそのこと
空気のきれいなこの地で子どもを育ててみる
か」
 心身ともに、容易に東京から離れられない
身の上の彼女だったが、夫の熱意に動かされ
たようだった。 

 
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いかに生きるか。

2020-07-10 02:07:01 | 随筆
 鹿沼の市街地に向かって車を走らせていて、
東武日光線の踏切近くでふいの嵐にあった。
 時間にすれば、十分くらい。
 道路はたちまち川のようになり、ゆっくり
動かすしか方法がない。
 さもないと、事故になる。
 ワイパーをすばやく動かそうが、上からも
下からもフロントガラスに水が大量にかかっ
てしまい、ほとんど前方が見えない。
 むりに速く走ると、いろんなところに水が
入ってしまう。
 ブレーキがきかなくなったり、エンジンが
ストップする。
 道幅が広くなったところで、わたしは車を
左に寄せ、様子をみることにした。
 風が強かった。
 瞬間風速十五メートル以上あったろう。
 道路わきの畑。
 一メートル以上に生育したひまわりの群れ
がいっせいに風下にしなだれた。
 宇都宮の北部の工業団地では、風に巻き上
げられたトタンが電線にひっかかった。
 そのことを翌日の地方紙で知った。
 ゲリラ豪雨である。
 こんな事態は、昔はなかった。
 あるとすれば、台風がやってきたときくら
いである。
 (温暖化が進んだせいか。まあ、これくら
いはしかたない。球磨川の氾濫をみよ。介護
施設で暮らすお年寄りが、いちどきに命をな
くす災難にあわれたではないか。土砂がくず
れ、家のしたじきになられた年配の男性も)
 この数年のことをふり返ると、日本はまさ
しく災害列島である。
 ご存じのように、人の世も大変な雲行き。
 コロナ禍である。
 経済を回していかないといけない。
 そんな思惑が、どうやら第二波を呼んでし
まうことになりそうである。
 米国の感染者が三百万を突破した。
 東京も昼間の人口が一千三百万をこえるほ
ど多い。
 三密にならぬように、と、声高に叫んでも、
隅から隅までとどくわけもない。
 いやはや、まったく困ったことになったわ
いと、わたしなど団塊の世代の生き残りは眼
を白黒させてしまう。
 社会を変えれば、住みやすくなる。
 そう信じて、多くが政治に関心をもった。
 だが、それはまぼろしのようなもので、社
会は人の集まりにすぎぬのだから、ひとりひ
とりが賢くなるほかに良くなる道がないのを
さとった。
 スペイン風邪から、およそ百年らしい。
 新型コロナウイルスの蔓延が、日本社会を
そして世界じゅうの国々の様相を、一挙に変
えてしまった。
 人類の具合のわるいところを、いっぺんに
さらけ出した。
 第一波を一番さきに乗り越えたかの国を見
るがいい。
 他国が苦しんでいる間に、ここぞとばかり
にやりたいことをやりだしたではないか。
 そんな気持ちじゃ仕方がない、と、ばかり
に、世界のどの国も我も我もと自国の都合だ
けを考え始めた。
 今こそ互いに協力し合い、少しでも暮らし
やすい国際社会を築かなくてはならない時に
である。
 主義主張を方便に使ってはならぬ。
 自分だけの利益だけじゃなく、人類の幸せ
のためになるよう、正しく使ってもらいたい
ものである。
 互いに助け合うことのできる、せっかくの
チャンスをのがしてしまった。
 まことに心残りである。 
 しかし、ここで考えを変えよう。
 他人は他人。他国は他国。
 それぞれの思惑がある。
 これで良しと思い、行動しておられるので
ある。
 世界を観て聴いて認識しているのは、わた
し自身である。
 世界があるから、自分があるのではない。
 自分があってこそ、世界があるのだ。
 いかに生きるべきか。
 もう一度、若い頃のように考えてみること
にしよう。
 
 
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