翌朝、早く目をさました。
午前五時を過ぎているが、辺りはまだ暗い。
わたしの左足を、ふいに何かがかんだ気が
して、急いで飛び起きた。
何ごとが起きたのかと、寝ぼけた頭で考え
てみるが、すぐには判らない。
右手を天井に向かってのばし、蛍光灯のス
イッチを入れようとした。
するとまた、急に左足が痛んだ。
(一体、何が起きてるんだ)
ゆうべのことを思いだそうとするが、なか
なか思い出せない。
またまた認知症の走りかと、情けなくなっ
てしまった。
若年性認知症というのがあり、人によって
は五十前後でかかるらしい。
じぶんの妻をコンビニまで車で送ったのは
いいが、すぐさま夫が帰宅してしまう。
妻が買い物を終えた妻が、夫の車を探すが、
駐車場のどこにも見当たらない。
そういった具合だ。
古希をいくつも過ぎた身である。
いつなんどき、認知症にかかってもおかし
くはない。
だが、わたしの左足がいつもより重いのは
気のせいなんかじゃない。
あれやこれやと、ゆうべの出来事をふりか
えってみる。
ともかく、左足が重い原因をつきとめよう
と、足首から指にかけた部分を、グイッと動
かしてみた。
とたんにちくりと来た。
左足のしめつけもきつくなった。
(やはり何かが食いついてるんだ。これ以
上うごかすと、相手をよけいに刺激すること
になってしまう)
わたしはその正体を見きわめようと、かけ
ぶとんの下にある毛布を、足もとまでそろり
そろりとめくった。
子猫がいた。
真っ黒なケモノが、その前足二本を、人の
手のように使い、わたしの左足を、とらえて
離さない。
かぶりをふりながら、耳もと近くまで裂け
た口を、あごが外れそうになるくらいに開け、
小さいなりにとがった牙で、靴下をはいたま
まのわたしの足指にかみついている。
ときどき、うしろ足二本を盛んにうごかし、
肉球からとび出た爪でやたらとひっかくので、
足の甲やらが痛くてたまらない。
このままにしておけないと、わたしはこの
子猫とたたかうことにした。
よく見ると、女猫である。
わたしは、ふふと笑った。
わたしが中学三年生だった、ある日の出来
事を思い出したからだ。
六十年も前のこと。
その日、わたしは、それまで長く飼ってい
た黒猫を捨てに行った。
奈良市佐紀町東にある、大昔の尊いお方の
お墓。前方後円墳のお堀わきの小道に、自転
車の荷台に載せた段ボール箱から、彼女を取
り出して、そっと道の端に置いた。
彼女はなんら抵抗する姿勢をみせない。
あわててどこかに行ってしまう素振りも見
せずその場にすわりこみ、わたしがその場を
立ち去って行くのを、まん丸な目でじっと見
つめるだけだった。
可愛がっていた黒猫だった。
この体験が、ある意味、わたしの「原罪」
になってしまった。
その後のわたしの人生航路の途上で、何か
トラブルがあるたび、この体験を思い出して
は悔やんだ。
「いやだ、絶対にいや。子だけでなく、親
までも捨てるなんて、ひどいんちゃうか」
命令したのは、すぐに手を出す怖い父親。
だが、たたかれてもなんでも、彼に向かっ
て叫べば良かったのである。
午前五時を過ぎているが、辺りはまだ暗い。
わたしの左足を、ふいに何かがかんだ気が
して、急いで飛び起きた。
何ごとが起きたのかと、寝ぼけた頭で考え
てみるが、すぐには判らない。
右手を天井に向かってのばし、蛍光灯のス
イッチを入れようとした。
するとまた、急に左足が痛んだ。
(一体、何が起きてるんだ)
ゆうべのことを思いだそうとするが、なか
なか思い出せない。
またまた認知症の走りかと、情けなくなっ
てしまった。
若年性認知症というのがあり、人によって
は五十前後でかかるらしい。
じぶんの妻をコンビニまで車で送ったのは
いいが、すぐさま夫が帰宅してしまう。
妻が買い物を終えた妻が、夫の車を探すが、
駐車場のどこにも見当たらない。
そういった具合だ。
古希をいくつも過ぎた身である。
いつなんどき、認知症にかかってもおかし
くはない。
だが、わたしの左足がいつもより重いのは
気のせいなんかじゃない。
あれやこれやと、ゆうべの出来事をふりか
えってみる。
ともかく、左足が重い原因をつきとめよう
と、足首から指にかけた部分を、グイッと動
かしてみた。
とたんにちくりと来た。
左足のしめつけもきつくなった。
(やはり何かが食いついてるんだ。これ以
上うごかすと、相手をよけいに刺激すること
になってしまう)
わたしはその正体を見きわめようと、かけ
ぶとんの下にある毛布を、足もとまでそろり
そろりとめくった。
子猫がいた。
真っ黒なケモノが、その前足二本を、人の
手のように使い、わたしの左足を、とらえて
離さない。
かぶりをふりながら、耳もと近くまで裂け
た口を、あごが外れそうになるくらいに開け、
小さいなりにとがった牙で、靴下をはいたま
まのわたしの足指にかみついている。
ときどき、うしろ足二本を盛んにうごかし、
肉球からとび出た爪でやたらとひっかくので、
足の甲やらが痛くてたまらない。
このままにしておけないと、わたしはこの
子猫とたたかうことにした。
よく見ると、女猫である。
わたしは、ふふと笑った。
わたしが中学三年生だった、ある日の出来
事を思い出したからだ。
六十年も前のこと。
その日、わたしは、それまで長く飼ってい
た黒猫を捨てに行った。
奈良市佐紀町東にある、大昔の尊いお方の
お墓。前方後円墳のお堀わきの小道に、自転
車の荷台に載せた段ボール箱から、彼女を取
り出して、そっと道の端に置いた。
彼女はなんら抵抗する姿勢をみせない。
あわててどこかに行ってしまう素振りも見
せずその場にすわりこみ、わたしがその場を
立ち去って行くのを、まん丸な目でじっと見
つめるだけだった。
可愛がっていた黒猫だった。
この体験が、ある意味、わたしの「原罪」
になってしまった。
その後のわたしの人生航路の途上で、何か
トラブルがあるたび、この体験を思い出して
は悔やんだ。
「いやだ、絶対にいや。子だけでなく、親
までも捨てるなんて、ひどいんちゃうか」
命令したのは、すぐに手を出す怖い父親。
だが、たたかれてもなんでも、彼に向かっ
て叫べば良かったのである。