過日、ほんの数秒に過ぎないテレビ映像が
わたしに衝撃を与えた。
それらは、もうとっくに忘れ去っていたと
思っていた少年時代の記憶を、もののみごと
に掘り起こしてくれた。
一人の年配の男性が腰あたりまである長い
ゴム製の靴をはき、ゆったりした川の流れの
中で釣り糸をたれている。
たったそれだけの、別になんということも
ない英国の田園風景。
こんな光景が、わが国のいずこかで見られ
るだろうか。
写真やビデオで撮ればひとめでわかるけれ
ども、わたしは文章修行ちゅうの身、それら
を画面にのせる方法も知らないから、わたし
なりのやり方で感じたことをあらわす。
わたしが十歳だったころ最寄りの川でよく
釣りをした。
タナゴだろう。きらきらした小さな魚が入
れ食い。一本のはりにごはん粒がついている
だけだった。
確か昭和三十代の中ごろのこと。
その川の水がどれほどきれいなものだとい
えばいいだろう。
工場や家庭からの汚水がまったく流れ込ん
でまじっていない。川岸はあやめや水草のた
ぐいが繁茂する。魚たちや他の生き物たちが
巣をつくり、卵を産みつけたりするのに最適
な場所を提供していた。
もっと前にさかのぼろう。
五歳のころ、わたしは苗間にいた。
半ズボンをはかせてもらい、両手を、さか
んに水の中につけている。
大川からの水を苗間に取り込む、水口から
何か黒い小さなヒシのごときものが、水と一
緒に次から次に流れ込んでくる。
それらはごくごく小さな手足を懸命に動か
し、流れに逆らって泳ぐ。
だが、たいていはむだに終わり、押し戻さ
れてしまう。
この生き物がおわかりになるだろうか。
苗間の真ん中あたりには、一本の桃ノ木が
植えられている。
その実で野良仕事の疲れをいやそうという
のだろう。
幼いわたしのわきで母や親せき縁者が、苗
をザブザブと両手で抜いては束にし、一本の
わらでくるりと縛る。
わたしが転げでもしないかと思うのか、と
きどき美代がわたしを見つめた。
五月のお日さまにきらめく水面がなんとま
あ、まぶしかったこと。
それから六十年以上経った。
わたしは今、とある北関東の山あいに住ん
でいる。
田舎の暮らしのこと、歩みののろい亀のご
ときもので、長く住んでも大して変わり映え
がしないかというと、そうでもない。
ラジオどころかテレビがある。スマホやパ
ソコンでインターネットの世界につながろう
とすれば可能になった。
ワープロが発明され、わたしも勇んで買い
求めた昭和六十年代がなつかしい。
自分の視界の範囲で、何が一番変わったと
いえるだろう。
長い年月をかけ山が切り崩された。それか
ら大川の岸がコンクリートで固められた。
これはつい二年前、大きな雨台風がこの地
方をおそい、越水、果ては土手が崩れ、低地
になっている地区が水浸しになった。
身近なことでは、大小を問わず、堀っこに
U字溝が伏せられ、田んぼに水を入れるのに
苦労がいらなくない。
一本しかない大通りを砂利を積んだダンプ
カーがひんぱんに通るわが町。
若者がおんでてしまい、住民はほとんどが
お年寄り。彼らの運転はのろのろしたもの忙
しいダンプカーにいつだってせかされる。
ゲリラ豪雨とやら、山々に降った大量の雨
水がいっとき谷間を流れくだり、岸辺をむざ
んにけずりとる。
おかげで、市が気象緊急事態宣言を発出せ
ざるをえない状況に追い込まれた。
もう一度、英国の田園風景にたちかえって
みたい。
昭和五十年の初めには、わたしたちの町に
もかような風景が残されていた。
堀っこをのぞくと、ぎんぎょやうなぎ、し
じみやカラス貝、いもりやさわがにが生息し
ていた。
自然と経済の両立が、いかに困難か。
子や孫の代のために何らかのやり方で、も
う一度豊かな自然を取り戻したいものだ。
「堀っこに網をもって行っても、めだかが
一匹もいない。カエルさえろくにいないんで
すよ」
近所のお年寄りの言葉である。
削り取られた山からの濁水、それに大量の
殺虫剤や除草剤の散布。
人間は彼らにとって、とんでもない殺し屋
に見えるだろう。
わたしに衝撃を与えた。
それらは、もうとっくに忘れ去っていたと
思っていた少年時代の記憶を、もののみごと
に掘り起こしてくれた。
一人の年配の男性が腰あたりまである長い
ゴム製の靴をはき、ゆったりした川の流れの
中で釣り糸をたれている。
たったそれだけの、別になんということも
ない英国の田園風景。
こんな光景が、わが国のいずこかで見られ
るだろうか。
写真やビデオで撮ればひとめでわかるけれ
ども、わたしは文章修行ちゅうの身、それら
を画面にのせる方法も知らないから、わたし
なりのやり方で感じたことをあらわす。
わたしが十歳だったころ最寄りの川でよく
釣りをした。
タナゴだろう。きらきらした小さな魚が入
れ食い。一本のはりにごはん粒がついている
だけだった。
確か昭和三十代の中ごろのこと。
その川の水がどれほどきれいなものだとい
えばいいだろう。
工場や家庭からの汚水がまったく流れ込ん
でまじっていない。川岸はあやめや水草のた
ぐいが繁茂する。魚たちや他の生き物たちが
巣をつくり、卵を産みつけたりするのに最適
な場所を提供していた。
もっと前にさかのぼろう。
五歳のころ、わたしは苗間にいた。
半ズボンをはかせてもらい、両手を、さか
んに水の中につけている。
大川からの水を苗間に取り込む、水口から
何か黒い小さなヒシのごときものが、水と一
緒に次から次に流れ込んでくる。
それらはごくごく小さな手足を懸命に動か
し、流れに逆らって泳ぐ。
だが、たいていはむだに終わり、押し戻さ
れてしまう。
この生き物がおわかりになるだろうか。
苗間の真ん中あたりには、一本の桃ノ木が
植えられている。
その実で野良仕事の疲れをいやそうという
のだろう。
幼いわたしのわきで母や親せき縁者が、苗
をザブザブと両手で抜いては束にし、一本の
わらでくるりと縛る。
わたしが転げでもしないかと思うのか、と
きどき美代がわたしを見つめた。
五月のお日さまにきらめく水面がなんとま
あ、まぶしかったこと。
それから六十年以上経った。
わたしは今、とある北関東の山あいに住ん
でいる。
田舎の暮らしのこと、歩みののろい亀のご
ときもので、長く住んでも大して変わり映え
がしないかというと、そうでもない。
ラジオどころかテレビがある。スマホやパ
ソコンでインターネットの世界につながろう
とすれば可能になった。
ワープロが発明され、わたしも勇んで買い
求めた昭和六十年代がなつかしい。
自分の視界の範囲で、何が一番変わったと
いえるだろう。
長い年月をかけ山が切り崩された。それか
ら大川の岸がコンクリートで固められた。
これはつい二年前、大きな雨台風がこの地
方をおそい、越水、果ては土手が崩れ、低地
になっている地区が水浸しになった。
身近なことでは、大小を問わず、堀っこに
U字溝が伏せられ、田んぼに水を入れるのに
苦労がいらなくない。
一本しかない大通りを砂利を積んだダンプ
カーがひんぱんに通るわが町。
若者がおんでてしまい、住民はほとんどが
お年寄り。彼らの運転はのろのろしたもの忙
しいダンプカーにいつだってせかされる。
ゲリラ豪雨とやら、山々に降った大量の雨
水がいっとき谷間を流れくだり、岸辺をむざ
んにけずりとる。
おかげで、市が気象緊急事態宣言を発出せ
ざるをえない状況に追い込まれた。
もう一度、英国の田園風景にたちかえって
みたい。
昭和五十年の初めには、わたしたちの町に
もかような風景が残されていた。
堀っこをのぞくと、ぎんぎょやうなぎ、し
じみやカラス貝、いもりやさわがにが生息し
ていた。
自然と経済の両立が、いかに困難か。
子や孫の代のために何らかのやり方で、も
う一度豊かな自然を取り戻したいものだ。
「堀っこに網をもって行っても、めだかが
一匹もいない。カエルさえろくにいないんで
すよ」
近所のお年寄りの言葉である。
削り取られた山からの濁水、それに大量の
殺虫剤や除草剤の散布。
人間は彼らにとって、とんでもない殺し屋
に見えるだろう。