夕食の宴を終え、部屋にもどろうと先に立っ
て歩いたはいいが、道に迷った。
ホテルが半島の突き出た岩盤の上に築かれ
たせいで、構造が複雑になっている。
「しょうがないな、お父さん。こんなこと
もわかんないんだ。こっちだよこっち。ほら
さっき見た看板があるじゃない」
「ああ、そうだったけな」
四十年経てば、こんな具合に主従が入れか
わるのか、とわたしは苦笑。
せがれが、さきだって歩きだす。
車で目的地に向かうとき、行きと帰りで風
景が変わる。
そんな迷い方である。
せがれは若いだけにもの覚えがいい。
このぶんじゃ、彼が健康をとりもどすのも
時間の問題か、と親の欲目でそう思う。
これも伊勢の神さまのおかげさまです。
わたしは、声には出さずに礼を言った。
ふたりしてまっすぐ歩いては、左右どちら
かに曲がる。
それをいくどかくり返し、やっと部屋まで
直通のエレベータ乗り場にたどりついた。
シューッと扉が両脇にひらく。
廊下に出たとたん、急に暗くなった。
わたしはなぜか恐怖を感じ、辺りをきょろ
きょろ見まわした。
通路を歩く人が誰もいない。
部屋番号が記された扉が、等間隔でずっと
先までつづいている。
それだけでわたしは充分に不気味さを感じ
てしまう。
それほど怖がりなのだ。
部屋に入り、あがり口にしばらくたたずむ。
戸締りを完全にやるためだ。。
カチャリ。
最後にその音を聞いて、わたしはほっとし
た気分になった。
とにかく、旅先での宵が苦手なのだ。
ぐっすり眠るまで、さてどうやって時間を
つぶすか。
せがれは観たいテレビ番組があるらしく、
リモコンをいじりだした。
夕餉のすきに仲居さんがふとんを敷いてく
れていた。
浴衣に着がえたわたしは、その上にごろり
と横になった。
きょう起きたことをふり返る。
東京駅で、あやうく、列車に乗りそこなう
ところだった。
わざわざ遠方から来てくれた友に、見事に
出会えた。
せがれが伊勢の神さまに、お礼を言えた。
ごちそうをたらふく頂戴した。
いいことづくめである。
だが、問題はこれから。
今から朝までどのように過ごすか。
寝床に入ればそれでいいことじゃん。
そんな言葉が聞こえてきそうだが、わたし
は泊まる部屋が怖い。
今までに宿泊した人々、めいめいの運命に
思いをはせてしまう。
なかには、運の悪い人もいたろう。
ええい、お祓いだ、とばかりに、わたしは
いつも旅に出るとき、家から塩をひとつまみ
ラップに包み、旅行鞄の隅にしのばせる。
「お父さん、なんだか関東とちがうね。チャ
ンネルが」
ころころとチャンネルを変えていたせがれ
が不意に言う。
「ああ、そうさ。四チャンネルが毎日放送
で、六チャンネルが朝日放送だったかな。エ
ヌエイチケーは、っと二チャンかな。おまえ
だって若い頃はお父さんの実家で世話になっ
たことがあるんだから、少しはわかるだろ?」
「うんまあでもずいぶん前のことだし、何
がなんだか忘れちゃった。いいやテレビはよ
くわからないから、もう寝る」
そう言って、せがれもふとんに横たわった。
よほど疲れたのだろう。
せがれは間もなく、寝息をたてだした。
これからがひと苦労だった。
わたしは、自分よりずっと重いせがれのか
らだをどうにかこうにか動かし、かけぶとん
を彼の体にかけた。
持参した塩のくるまっているラップを、わ
たしの枕もとに置いてから、わたしは立ち上
がり、天井のライトの照度をよわめた。
決して真っ暗にはしない。
部屋を見とおせる淡い明るさ。
「伊勢の神さまたちよ。どうぞ、わたしたち
親子を雑多な霊から守りたまえ」
わたしはそうこころの中で祈った。
ゴーゴーゴー、ウガガガッ。
間もなく、せがれの高いびきが始まった。
こりゃすごい。早く眠りに落ちないと朝まで
眠れなくなる、とわたしは両手で耳をおおった。
て歩いたはいいが、道に迷った。
ホテルが半島の突き出た岩盤の上に築かれ
たせいで、構造が複雑になっている。
「しょうがないな、お父さん。こんなこと
もわかんないんだ。こっちだよこっち。ほら
さっき見た看板があるじゃない」
「ああ、そうだったけな」
四十年経てば、こんな具合に主従が入れか
わるのか、とわたしは苦笑。
せがれが、さきだって歩きだす。
車で目的地に向かうとき、行きと帰りで風
景が変わる。
そんな迷い方である。
せがれは若いだけにもの覚えがいい。
このぶんじゃ、彼が健康をとりもどすのも
時間の問題か、と親の欲目でそう思う。
これも伊勢の神さまのおかげさまです。
わたしは、声には出さずに礼を言った。
ふたりしてまっすぐ歩いては、左右どちら
かに曲がる。
それをいくどかくり返し、やっと部屋まで
直通のエレベータ乗り場にたどりついた。
シューッと扉が両脇にひらく。
廊下に出たとたん、急に暗くなった。
わたしはなぜか恐怖を感じ、辺りをきょろ
きょろ見まわした。
通路を歩く人が誰もいない。
部屋番号が記された扉が、等間隔でずっと
先までつづいている。
それだけでわたしは充分に不気味さを感じ
てしまう。
それほど怖がりなのだ。
部屋に入り、あがり口にしばらくたたずむ。
戸締りを完全にやるためだ。。
カチャリ。
最後にその音を聞いて、わたしはほっとし
た気分になった。
とにかく、旅先での宵が苦手なのだ。
ぐっすり眠るまで、さてどうやって時間を
つぶすか。
せがれは観たいテレビ番組があるらしく、
リモコンをいじりだした。
夕餉のすきに仲居さんがふとんを敷いてく
れていた。
浴衣に着がえたわたしは、その上にごろり
と横になった。
きょう起きたことをふり返る。
東京駅で、あやうく、列車に乗りそこなう
ところだった。
わざわざ遠方から来てくれた友に、見事に
出会えた。
せがれが伊勢の神さまに、お礼を言えた。
ごちそうをたらふく頂戴した。
いいことづくめである。
だが、問題はこれから。
今から朝までどのように過ごすか。
寝床に入ればそれでいいことじゃん。
そんな言葉が聞こえてきそうだが、わたし
は泊まる部屋が怖い。
今までに宿泊した人々、めいめいの運命に
思いをはせてしまう。
なかには、運の悪い人もいたろう。
ええい、お祓いだ、とばかりに、わたしは
いつも旅に出るとき、家から塩をひとつまみ
ラップに包み、旅行鞄の隅にしのばせる。
「お父さん、なんだか関東とちがうね。チャ
ンネルが」
ころころとチャンネルを変えていたせがれ
が不意に言う。
「ああ、そうさ。四チャンネルが毎日放送
で、六チャンネルが朝日放送だったかな。エ
ヌエイチケーは、っと二チャンかな。おまえ
だって若い頃はお父さんの実家で世話になっ
たことがあるんだから、少しはわかるだろ?」
「うんまあでもずいぶん前のことだし、何
がなんだか忘れちゃった。いいやテレビはよ
くわからないから、もう寝る」
そう言って、せがれもふとんに横たわった。
よほど疲れたのだろう。
せがれは間もなく、寝息をたてだした。
これからがひと苦労だった。
わたしは、自分よりずっと重いせがれのか
らだをどうにかこうにか動かし、かけぶとん
を彼の体にかけた。
持参した塩のくるまっているラップを、わ
たしの枕もとに置いてから、わたしは立ち上
がり、天井のライトの照度をよわめた。
決して真っ暗にはしない。
部屋を見とおせる淡い明るさ。
「伊勢の神さまたちよ。どうぞ、わたしたち
親子を雑多な霊から守りたまえ」
わたしはそうこころの中で祈った。
ゴーゴーゴー、ウガガガッ。
間もなく、せがれの高いびきが始まった。
こりゃすごい。早く眠りに落ちないと朝まで
眠れなくなる、とわたしは両手で耳をおおった。