油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

そうは、言っても。  (10)

2021-01-19 19:09:11 | 小説
 種吉が思ったとおり、五指に満たない飲食
店はどれも、ほぼ満員。
 客の列がドアの外までつづく。
 どの人も思い思いのソーシャルデスタンス
をとろうとする態度はいい。
 しかしこれでは誰かひとり倒れたら、さな
がらドミノ倒しになってしまうではないかと、
危ぶんでしまった。
 「やっぱりか。思ったとおりや。こらあか
ん。みんな、コンビニや、コンビニさがそ」
 種吉は、表面に丸まった糸くずがいっぱい
付いたマスクを、あわてて口元まで引き上げ
ると、早足で歩きだした。
 「おとうはね、きっとふるさとに近づいた
せいだろね。あんなに関西弁を使うのは」
 Мが兄二人にひそひそ声でいうと、兄ふた
りはうんうんと答えた。
 「そんなに急いで、あんたさ。あてあるの。
どこにコンビニなんてあるのよ」
 種吉のかみさんは、かん高い声でいった。
 種吉に従って歩きながらも、なんども後ろ
をふり向く。
 「まあ、おれにまかしときなね。おれの目
は節穴じゃねえ。車がここに入って来るとき
に、なにがどこにあるかってな。よおく見て
いたんだから」
 「へえ、おどろいたわ。あんたって、うち
だけじゃないのね。おまわりさんでいるのは」
 「おまわりさんって?どういう意味でしょ
うか」
 「紛失物があったら、あんたに訊けば、す
ぐにその在りかがわかるって、評判だよ」
 「ちぇ、喜んでいいのか、悲しむべきなの
か、わかんなくなった」
 「いいじゃないか。子年の習性なんだろか
ら。みんなに頼りにされて。そんなに年老い
たったってさ」
 「年老いたって?ああ、まったく、あんた
ってお方は一言多いんだから」
 「だって、ほんとのことじゃないか。しわ
は多いし、背中は丸まってるし。どう見たっ
てじいちゃんだよ。それともなに?若いつも
りでいるのかい」
 「はああ、もう、あんたにかかっちゃ、何
も言えないわい」
 数分後、家族のすべてが、欲しいものを買
い求めた。
 かくして風采の上がらぬ老人ひとり。そし
てカラフルな服装のおばあさん。それに壮年
になった団子三きょうだい。
 さっさと歩けば一分くらいで済む道のりに、
彼らは何倍もの時間をかけた。
 広いサービスエリア。
 ひとつらなりの建物の外れに、マッチ箱を
大きくしたような店がひとつあった。
 その看板の上には、英語の横文字がいくつ
か並んでいて、イニシャルがL。
 「ロー、なんとかだろ。ほらほらなっ、お
れだって、まだまだ役に立つだろ。ここで買
おう。パンだって、ご飯ものだって、大抵の
ものはそろってるぞ」
 種吉は、まっさきに店内に入り、お気に入
りの菓子パンと飲み物を購入するやいなや、急
ぎ足で店を出た。
 店の隣は、小さな公園になっている。
 高速道路は高台を走っている。遠くの山々
や街並みが、一望のもとにのぞめた。
 「まあ、きれい」
 種吉のかみさんはひと声、感嘆の声をあげ
ると、公園のはじに設置されたガードフェン
スまで歩いた。
 彼女は、右手に、おにぎりやパンなどの食
べ物でいっぱいのビニル袋をふたつ、しっか
り握っている。
 もちろん、団子三兄弟は、子どもの頃のよ
うに、彼女のあとを追った。
 種吉は空きのベンチをさがした。
 だが、あいにくベンチはすべて占領されて
いた。
 しかたなく、彼は植木をガードしている円
形のコンクリの上にすわった。
 「さあてといただくとするか。ここは野外
だからな。コロナだって来れまいて」
 種吉は、袋の中で、行儀よく五つならんで
いるあんパンのビニルカバアを、舌なめずり
しながら、パリパリとやぶった。
 一番はじの丸パンをひとつ、右手でつまみ、
ひょいと持ち上げると、口をああんとばかり
に開けた。
 大きいばかりで歯が大して残っていない口
に、それを持っていこうとした。
 そのとたん、ふいに小さな手が種吉の服の
袖をつかんだ。
 種吉はぎょっとして、わきを見た。
 三歳くらいの男の子が、まん丸の二つの目
で、種吉の顔を見あげていた。
 周囲に、彼の親らしき人の姿がない。
 (やれやれ、なんて行儀のわるい。けども
な、子どものやること。むげなことはできん)
 「ほら、とりなさい。甘くておいしいぞ」
 種吉はその男の子に、あんぱんを勧めた。
 

 
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そうは、言っても。  (9)

2021-01-14 15:28:32 | 小説
 滋賀県に入った。
 (もうすぐ琵琶湖が見えるはず、その湖畔
には彦根のお城も……)
 そう思うだけで、種吉のこころは、真綿の
つまったふとんの上で寝ころんでいる気分に
なった。
 異郷の地に長く居続けてきたせいだろう。
 種吉はいつだって、ふるさとに近づけば近
づくほど胸がわくわくした。
 「おとう、このパーキングに寄って行くか
らね。もうすぐお昼だし」
 一瞬の沈黙のあとで、
 「ああ、いいね」
 種吉の返事がはずんだ。
 「ねえ、あんた、なんだかうれしそうじゃ
ないの。久しぶりに見たよ。そんな顔」
 種吉の真うしろに陣取っていた彼の妻は、ぐ
っと上体を前に倒すようにしていった。
 「ひぇ、ああ、びっくりした。でっかいト
ラの首が、立派なひげをたくわえた大きな口
が……」
 「なんだって、もう一回いってごらん。あ
んたはいつだって、わたしのこと、そんなふ
うにわるく言うんだね。ちょっと被害妄想な
んじゃないの。あんたのこと、ほんとに思っ
ているのにさ」
 「あっ、ごめん。き、きゅうに、首を、前
に突き出すからさ。おどろいたんだ。ひとが
たまにいい気持ちでいるからって、おどかす
なよ」
 「おどかしてなんていやしない。いい気持
ち?たまに、かい?うちじゃ、わたしといっ
しょじゃ、いい気持にならないんだね」
 種吉はうつむき、黙りこんだ。
 あまり素直に、自分の思いを、人前でひけ
らかすものじゃないと反省する。家族の前で
あってもである。
 「母ちゃん、ほらほら、もう着いたんだし。
多賀のサービスエリアだって。せっかくみん
なで、旅に出てるんじゃないか。うちにいる
ような気分でしゃべられたんじゃ、おれたち
いやだかんね」
 Мがいさめるように、言う。
 「ごめん」
 「おれがいい気持ち、って言うのはね、ほ
ら見て。あんなに夕焼けがきれいじゃないか。
あれを見てたら誰だって……」
 「またごまかして。夕焼けなんて、いくら
でもどこでも見られるだろに、あんた。若い
頃はそんなにおしゃべりじゃなかったのにね。
ここ十年ばかり何やかやとものを書いてきた
せいかぺらぺらと……」
 「そんなこと関係ないさ。そう思うんなら
勝手にしな。おれはいつだって平常心さ」
 「ふううん。へいじょうしん、か。うまい
言葉知ってるね」
 ふいに種吉の腹がグググッと鳴った。
 「あんた、おなかで返事するんだ。まった
く正直というか素直というか」
 種吉の妻があきれたという表情で、下りる
準備をはじめた。
 「ものを書くのがわるいのかな。A中学校
創立五十六年とやらで、PTAから頼まれた原
稿だって、お前の代わりにおれが書いてやっ
たんだよな、忘れたろうけど」
 種吉がつぶやいた。
 「うん?あんた、なんか、今、聞こえたん
だけど。わたしの空耳かな?」
 「おれ、知らないよ」
 「あらそう、そりゃ良かった」
 車が本線をはずれ、左方向に進入して行く。
 急激に速度が落ちた。
 まわりの様子が次第に良く見えてくる。
 人や車で混んでいる。
 Мが白い線で描かれた枠の中に車を入れ、
車のエンジンを停めた。 
 「さあ、着いたよ。車がどんどん入ってく
るから、気を付けてね。おとうさ、朝昼兼ね
たごはんがおにぎりふたつじゃ、おなかもぺ
こぺこだよね」
 Мが種吉に救いの手をさしのべた。
 かみさんの両親は、ふた親とも、七十くら
いまで生き、病を得て亡くなった。
 祖父母と暮らした経験が、種吉の三人の子
どもを優しくしたようだ。
 Мの兄たちふたりは、弟にまかせっきり。
 どうやら一目置いているようだ。彼がしゃ
べっている間じゅう、ずっと黙っていた。
 (はてさて、ここでのコロナ対策をどうする
か。満員の飲食店にだけは、絶対に入るわけ
にいかないぞ)
 種吉はそう決心した。
 

 
 
 
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そうは、言っても。  (8)

2021-01-03 10:46:25 | 小説
 数百キロも離れている実家と婿入り先との
間の往来。
 当然ながら、新幹線をはじめとする交通機
関を利用するのが一番楽だった。
 「万一途中で事故にでもあったら、しょう
がないやろ。孫がおる。お金はなんぼかかっ
てもええ。絶対、新幹線で帰ってくるんやで。
車で来るっていうんやったら来んでもええ」
 三年前に亡くなったおふくろの、若い頃か
らの言い草だった。
 私はよく働いた。
 「よう働くむこさんやなあ」
 そうおっしゃるひとがいるほどだった。
 さいわいにも私を見込んで仕事を与えてく
ださる、徳のある方にも恵まれた。
 働いただけ、それに見合うだけの収入があっ
たから、種吉は子どもにひかり号に乗せてや
ることもできた。
 子どもは大喜びだった。
 ところが、今は晩年。
 七十歳に達し、身体があちこち痛みはじめ
た。それなのに、自ら運転して帰郷するはめ
になっている。
 自らの運命を呪いたくなり、種吉はその思
いを振り切ろうと、大げさに首を横にふった。
 「えらいすまんな。大変やろ?よう、標識
見とかんと、うまいこと名神に乗れへんな」
 種吉がМの横顔をちらりと見て、いう。
 「ああ、むずかしわ。車線の変更がな。やっ
ぱり連休ちゅうとこや。車が多い。気をつけ
んとレーンに入れへん。神経つかうわ、ほん
まに」
 種吉はわが耳を疑ったが、これは紛れもな
くМの言葉。彼は関東生まれ。関西生まれの
種吉がなまるのは少しもおかしくない。彼は
年老いれば老いるほど、ふるさとの言葉が出
てしまうものだからだ。
 子どもはなんたって、母ちゃんがいい。言
葉から常日頃のくせに至るまで、彼女に似て
いた。
 (カルチャショックやったやろ。おれの子
どもはみんな、そう……)
 「もう少しで、環状線を出られるよ」
 たくまずして、Мの言葉が喜びをふくんだ。
 「そうか、良かった。お疲れさん。そした
らすぐに運転代わってやれるから」
 バルルルーン。
 ふいに一台のバイクが、我々の乗っている
ワゴンの右わきをかすめた。
 車間距離をあまりとらず、そのままスピー
ドを上げていく。
 「あいつ、あほちゃうか。あぶないことし
よるな。もうちょっとで、突っころばしてし
まうとこやったで」
 「命知らずが多いから、困ったことや。単
車と車のぶつかりっこじゃ、なんてったって
こっちの分がわるい」
 「物損だけで済まんもんな。人身になって
しもたら終わりや」
 それにしても、もう少し老後のことを考え
ておくべきだったと種吉は反省する。
 種吉はすっと、ジャケットの内ポケットに
手を差し入れた。たまには家族におだいじん
のようなぜいたくをさせてやりたいと思うよ
なと、やせてうすっぺらのパンくずのように
なった札入れをなでた。。
 四十年ほど前、農家を支援するかのように、
養子として他人さまの家庭に入った。初めは、
農家も実入りが良かった。いちごとこんにゃ
く、それに麻。それらが、その頃の換金作物
だった。
 種吉が入った家では、米とこんにゃくが主
流。当時こんにゃくの半俵で、およそ一万円。
 割合、高い値段で取引された。
 ふいにぐるぐる目が回る予感がして、種吉
は目をしっかりと開けた。
 Мが懸命にハンドルを切っている。
 「一番最後にでけた子がもうこんな大人に
なってくれとる。おれは子年、こちょこちょ
動きまわるばかりで、なあんも残らへんかっ
たな」
 種吉の頭の中は、ぐちとも嘆きともとれそ
うな思いでいっぱいになり、思わず口をひら
いた。誰にもわからない程度に、それらを言
葉に変えた。
 名古屋の環状線を出たところで、Мと運転
を代わった。
 種吉は、つもりにつもった憤懣をどこかに
ふっとばすような勢いで車を走らせた。
 太陽が金色の濃さを増しながら、西へ西へ
と傾いていく。
 太陽を追いかけるようにしてまっすぐ、平
坦なハイウエイが西へ西へとつづいた。
 「おいおい、父ちゃん。大丈夫かい、そん
なにスピード出して。ほらほら、しっかり前
向いて。いつまで追い越し車線に収まってる
つもりや。ぼやぼやしてたらあおられるで」
 野太い声で叱咤するМの言葉に、種吉ははっ
として、ようやく自分をとりもどした。
 
 
 
 
 
 
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