その日のうちに根本洋子との恋の勝ち負け
を決めなくてはと、修は思う。
修がこれほどイロコイに夢中になったこと
はかつてない。じぶんでもどうかしたんじゃ
ないかといぶかるほど。胸のあたりがやたら
ともやもやする。心臓の鼓動が高まってきて、
なかなか収まらない。
しかし、不思議なことに、洋子を見ている
とそんな体調がすっかり収まってしまう。
まだ会ったばかりなのに、俺はなんてざま
なんだと、修は自分自身にあきれた。
洋子は定時で仕事を終える。そのとき、な
んとかして、洋子をつかまえよう。
修はそんなことばかり考え、ほとんど仕事
が手につかないでいた。
たまたま、席を外していた大塚部長がじぶ
んの席に立ち戻った。
「ちょっとちょっとね、西端課長、どうし
てそんなにそわそわしてんのよ。わたしまで
どうかしちゃうわ。とにかくね、今度ね、出
店予定のB店の件だけど……」
「えっ、はい。なんでしょう」
「どの部署に誰を配置するとか、おおよそ
のところをね、話、聞いてる?」
「ああ、いいえ、まっ、そうですね。あそ
こは競合店が多いから、激戦になりそうです。
しっかりした者を送らないと……」
「そんなことわかってるわ。店の客だって
わかるようなコメントを口にしないで。もっ
と具体的に話してみて。誰さんが適任だとか
さ」
「はあ、そうですね……」
「何が、はあそうですよね、よ。あなたね、
ちょっと真剣みが足りないじゃないの。世の
中、食うか食われるかなの。サバイバル。生
き残りをかけた闘いなの。わかってる?競争
に負けたらごはんの食いあげ。明日から路頭
にまようことになるの。そのことよくわかっ
てるの?」
「ええ、わかってます。でもお言葉ですが、
そんな極秘情報、部長が最初に言ってくれな
いと、俺なんかの耳にはですね、なかなか届
きませんよね、ちがいます?」
「そりゃあ、そうよね。あなたの言うとお
りね。それじゃ教えてあげるから、いっしょ
に考えましょ、いいこと?」
「わかりました」
修は、大塚のもとへ、なかなか近づこうと
はしない。
「どうしたの。わたしが待ってるのに」
「はあ、別に。なんとなく近寄りがたいだ
けです」
「まあ。いやだわ。なんだかわたし、毛嫌
いされてるみたいね。もういいわ。またの機
会でいいから。それにしても、あなたってど
うしてそうのんびりしてられるのかしらね。
その歳になるまで、ずうっとひとりで生きて
らっしゃってね。なんていうかいつだってじ
ぶんひとりくらい、何したって食ってけるっ
て思ってるんでしょ。なんか知らないけどさっ
きだって誰かさんのこと、じいっと見つめて
るし……」
ふいに大塚が巻き舌になった。
大塚部長が興奮するといつもそうだ。じぶ
んが何を言ってるかさえ、わからなくなって
しまう。誰かさんって、いったい、ひょっと
してさっきドアの隙間からのぞいていたのは
大塚部長だったかもしれない。
修はそう直感した。
大塚自身、修と同じ立場。なにか訳があっ
てずっとずっとひとりで暮らしている。
ふと、修は、そんな大塚がかわいそうに思
えた。
「部長は大したものですね。いつの間にか
わたしより出世なさって……」
急に大塚が押しだまった。
「なんで、なんでそんなこと言うの。余計
なお世話よ、あなただって……」
彼女の両目が紅い。みるみるうちに瞼がう
るんだ。
「同類、相哀れむ。部長、今度、どこかに
飲みに行きましょう」
ひょいと修の口からそんな言葉が飛びだす。
「別にい、そんな気をつかわないでいいの。
とにかく、あなたね、もっと実を入れて仕事
してちょうだい」
そう言い終えると、大塚は、彼女の上体を
机の上に突っ伏してしまった。
くくっと喉の奥からしぼりだし、上体をふ
るわす。
(ふだん強そうに見えて、けっこう、じぶ
んをいつわってるんだな)
修はかわいそうに思い、じぶんの右腕をそっ
と大塚の肩にのばした。
午後五時になった。
日は長く、まだまだ人目につきやすい。
それを承知で西端は、会社の裏口からそうっ
と抜け出していく根本洋子をとらえた。
すうっと近寄るなり、洋子の肩を、ポンポ
ンとたたいた。
ふり向きざま洋子は、えっ、なあにと、顔
で不審の念をあらわにした。
だがすぐにまた、口もとに会心の笑みをた
たえた。
「 やっと、その気になっていただいたわ」
洋子はかすかに言い、修の肩に頭を寄せた。
洋子の髪から、かぐわしい香りが立ちのぼっ
てくる。
修は我を忘れそうになったが、ぐっと歯を
くいしばって耐え、
「用があるんだけど、ちょっと付き合って
くれないかい」
と言った。
を決めなくてはと、修は思う。
修がこれほどイロコイに夢中になったこと
はかつてない。じぶんでもどうかしたんじゃ
ないかといぶかるほど。胸のあたりがやたら
ともやもやする。心臓の鼓動が高まってきて、
なかなか収まらない。
しかし、不思議なことに、洋子を見ている
とそんな体調がすっかり収まってしまう。
まだ会ったばかりなのに、俺はなんてざま
なんだと、修は自分自身にあきれた。
洋子は定時で仕事を終える。そのとき、な
んとかして、洋子をつかまえよう。
修はそんなことばかり考え、ほとんど仕事
が手につかないでいた。
たまたま、席を外していた大塚部長がじぶ
んの席に立ち戻った。
「ちょっとちょっとね、西端課長、どうし
てそんなにそわそわしてんのよ。わたしまで
どうかしちゃうわ。とにかくね、今度ね、出
店予定のB店の件だけど……」
「えっ、はい。なんでしょう」
「どの部署に誰を配置するとか、おおよそ
のところをね、話、聞いてる?」
「ああ、いいえ、まっ、そうですね。あそ
こは競合店が多いから、激戦になりそうです。
しっかりした者を送らないと……」
「そんなことわかってるわ。店の客だって
わかるようなコメントを口にしないで。もっ
と具体的に話してみて。誰さんが適任だとか
さ」
「はあ、そうですね……」
「何が、はあそうですよね、よ。あなたね、
ちょっと真剣みが足りないじゃないの。世の
中、食うか食われるかなの。サバイバル。生
き残りをかけた闘いなの。わかってる?競争
に負けたらごはんの食いあげ。明日から路頭
にまようことになるの。そのことよくわかっ
てるの?」
「ええ、わかってます。でもお言葉ですが、
そんな極秘情報、部長が最初に言ってくれな
いと、俺なんかの耳にはですね、なかなか届
きませんよね、ちがいます?」
「そりゃあ、そうよね。あなたの言うとお
りね。それじゃ教えてあげるから、いっしょ
に考えましょ、いいこと?」
「わかりました」
修は、大塚のもとへ、なかなか近づこうと
はしない。
「どうしたの。わたしが待ってるのに」
「はあ、別に。なんとなく近寄りがたいだ
けです」
「まあ。いやだわ。なんだかわたし、毛嫌
いされてるみたいね。もういいわ。またの機
会でいいから。それにしても、あなたってど
うしてそうのんびりしてられるのかしらね。
その歳になるまで、ずうっとひとりで生きて
らっしゃってね。なんていうかいつだってじ
ぶんひとりくらい、何したって食ってけるっ
て思ってるんでしょ。なんか知らないけどさっ
きだって誰かさんのこと、じいっと見つめて
るし……」
ふいに大塚が巻き舌になった。
大塚部長が興奮するといつもそうだ。じぶ
んが何を言ってるかさえ、わからなくなって
しまう。誰かさんって、いったい、ひょっと
してさっきドアの隙間からのぞいていたのは
大塚部長だったかもしれない。
修はそう直感した。
大塚自身、修と同じ立場。なにか訳があっ
てずっとずっとひとりで暮らしている。
ふと、修は、そんな大塚がかわいそうに思
えた。
「部長は大したものですね。いつの間にか
わたしより出世なさって……」
急に大塚が押しだまった。
「なんで、なんでそんなこと言うの。余計
なお世話よ、あなただって……」
彼女の両目が紅い。みるみるうちに瞼がう
るんだ。
「同類、相哀れむ。部長、今度、どこかに
飲みに行きましょう」
ひょいと修の口からそんな言葉が飛びだす。
「別にい、そんな気をつかわないでいいの。
とにかく、あなたね、もっと実を入れて仕事
してちょうだい」
そう言い終えると、大塚は、彼女の上体を
机の上に突っ伏してしまった。
くくっと喉の奥からしぼりだし、上体をふ
るわす。
(ふだん強そうに見えて、けっこう、じぶ
んをいつわってるんだな)
修はかわいそうに思い、じぶんの右腕をそっ
と大塚の肩にのばした。
午後五時になった。
日は長く、まだまだ人目につきやすい。
それを承知で西端は、会社の裏口からそうっ
と抜け出していく根本洋子をとらえた。
すうっと近寄るなり、洋子の肩を、ポンポ
ンとたたいた。
ふり向きざま洋子は、えっ、なあにと、顔
で不審の念をあらわにした。
だがすぐにまた、口もとに会心の笑みをた
たえた。
「 やっと、その気になっていただいたわ」
洋子はかすかに言い、修の肩に頭を寄せた。
洋子の髪から、かぐわしい香りが立ちのぼっ
てくる。
修は我を忘れそうになったが、ぐっと歯を
くいしばって耐え、
「用があるんだけど、ちょっと付き合って
くれないかい」
と言った。