油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ゆめゆめ、ご油断し給うな。

2022-05-27 23:02:24 | 日記
 コロナ禍や 人のうわさの 恐るべし

 オミクロン かかりしものが すべて知る

 これくらい 負けてたまるか オミクロン

 ふいの熱 子を助けんと 運転す

 コロナ禍で 家族の絆 ふかまりぬ

 ウイルスも 自然の一部と 度胸すえ

 経済も 回さないとと お上言い


 自宅療養が解除なって、ほぼ一か月。
 家族全員、おかげさまで体調が回復しつつある。
 わたしはアレルギー体質のため、アナフィラキーショックを恐れて、
ワクチンを一度も打たないでいた。
 症状が出て三、四日は37度からまりの発熱、それに激烈な喉の痛
み。保健所で検査を受けると、陽性ですとの報告。
 高齢のため入院を勧められ、一泊二日するが、コロナ対応の点滴を
受けず、薬ものまない。
ただポカリスエットに似た成分の点滴を受けただけだった。

 七十を越えたじぶんの年齢を考えると、これくらいで済んだ原因は?

 詳しくはわからないけれども、幼い頃から今日まで受け続けてきた
様々な予防接種にくわえ、軽いものやら重いものやら、たくさん風邪を
ひいた。はしかやおたふくかぜにかかったりも。ほかにもヘルペス等々、
ウイルスによる病気があったろう。

 それらを通じて獲得し続けてきた抵抗力。
 その力がわたしを助けてくれた。
 
 自然は科学だけでは解き明かせない。
 新型コロナウイルスだって自然の一部。

 たまには大いなる力を信じてみよう。

 大丈夫、大丈夫だと、じぶんに言い聞かせると良い。
 先祖さまが見守ってくださったと言い換えてみてもいい。

 ほかの新型コロナウイルスに比べ、感染者が極端に多いオミクロンも、
その勢いがいくぶん弱まってきたようだ。
 だが少なくなったとはいえ、罹患される方はいまだ尽きない。

 マスクをはずす、はずさない。
 どちらがいいか。

 その答えは、感染された方にたずねるのが一番。
 しかし、彼らは黙して語らない。

 差別あつかいを恐れるからである。 

  

 
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花あわれ。

2022-05-23 23:59:53 | 日記
 なるべくことをあらだてない。
 いつの頃からか、それがわたしのモットー
になった。
 若さを失くしたせいだけだろうか。
 人さまの想いは、なかなか、こちらの思惑
どおりにはいかないものである。

 
 境界の はざまに咲きし 花あわれ

 白き花 なぜにあしたは 色を変え

 雨上がり 妻が抜き取る しおれ花

 いかり顔 見せまいとして 涙ため

 こぼれ花 運のわるさを 嘆くべき


 人の欲には切りがない。
 わずかな土地で、権利を主張し合う。

 花のいのちの短さを考えてやれない
のだろうか。
 
 互いの気持ちを考え、おだやかに日
々を送りたいものである。   
 
 

 
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五七五にまとまらず。

2022-05-21 15:09:23 | 日記
 じぶんが感動したようなことを、なんとか
五七五にまとめようと試みるのですが、うま
くいかない。

 むずかしいものですね。
 基礎的なことに、うといせいでしょう。
  
 縁側にすわり、花たちを眺めたり、ときた
ま降りて来る小鳥を観察するのにあきてしま
い、そうだ、人間が描かれてないとだめだと
思いました。

 小説と同じく、観察が大切と、スケッチし
ようと町に飛び出してみました。

 最寄りの図書館に行き、まずは俳句の会の
存在を確かめる。

 残念ながら、コロナ禍で、会が開かれてい
ないのでしょう。
 会報が見あたらない。

 ちょっと足を延ばしたさくら市。
 図書館の隅に置かれていましたよ。

 俳誌 「麦兆」 228号
 
 35ページにものぼる立派なもの。
 さすが歴史ある、足利氏ゆかり喜連川なら
ではと、感じ入った次第です。

 はてさて、ここからはどうぞ読み飛ばして
くださいね。
  
 老いの小道と名付けて、ひとつふたつひね
り出そうとしました。
 お笑いください。

 春先だったでしょうか。
 五歳になったばかりの孫むすめを観て、ひ
とつ。

 もみじの手 今や鉛筆 にぎりしめ
 
 くねくねと まがりし字でも ご満悦

 米粒を 器用につまむ ほそき指

 あいうえお 書けてうれしい じじの顔


 軽トラの車検が近づきました。
 梅雨の走りの季節ですね。

 自動車修理専門店でいそがしげに立ち働
く若い従業員を目にして、

 息きれて 若いからだの あとを追う

 あのころは じぶんだってと なつかしむ 

 タイヤの根もと部分のボルトが錆びつい
ていますよ。
 そんな指摘を受け、男の方のあとについ
て作業場に入ろうとしましたら、ちょっと
した突起物につまづいたことでした。  
 
 
 
 
 
 
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芭蕉に手をひかれて。

2022-05-14 08:52:44 | 日記
 山路来て 何やらゆかし 菫草

 若い頃から、芭蕉は近江を愛した。
 生まれは伊賀上野。
 少年の時分から、天賦の才につき動かさ
れたのであろう。
 琵琶湖のほとりに住んでいた北村季吟に
俳句をおそわりたくて、険しい鈴鹿の峠を
八度も越えたという。

 近江は昔、俳句が盛んだった。
 それは近江商人に負うところが大きい。
 彼らの教養のひとつとして、俳句に親し
んだからである。 
 大津市湖南市に芭蕉の碑がある。

 
 行く春を 近江の人と 惜しみける


 980句のうち近江で詠んだのは89句。
 彼がどれほど近江の地を好んだか知れる。
 芭蕉を好んだ作家・司馬遼太郎。
 彼が近江ファンになったのは、芭蕉のおかげ
である
 
 わたしが短歌や俳句に興味をもったのは、中
学二年生。
 国語の教科書にいくつか載っていた室生犀星
や与謝野晶子の短歌にこころ揺さぶられた。
 小林一茶の俳句をふたつみっつと読んだ。

 わが次男が中学生のとき、一茶ゆかりの炎天
寺のコンテストで、入選したことがあった。

 かっこうの 声聞きながら お茶をのむ

 教えてもいないのに、わたしに似ている。
 明治生まれの、わたしの母方の祖母も俳句が
好きだった。
 里芋の葉っぱに、雨露がたまり、ころころし
ているのを見て、小さいときに、俳句にしたた
めたらしい。

 彼女の句は忘れてしまったが、
 「尋常小学校の先生にほめられたやで。わた
しの母さんは大和小泉藩の奥女中だったんや。い
つも朱鞘の懐剣をふところにしてね。おまえも
がんばりや」
 いくども、少年だったわたしに言い言いした
ことである。
 
 血は争えないものである。
  
 栃木に住むことになってからは、「奥の細道」
が目の前にあった。
 宇都宮市の北部に白沢街道がある。
 黒羽市には、雲巌寺。

 芭蕉が門人曽良と歩いたと聞き、一度は彼ら
の足跡をたどろうと思ったことがある。

 俳句はまったくの素人。
 ここで一句むりやりひねろうと思ったが、やめ
にした。

 これから、基礎を学ばせていただく。
 

 
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態度がこころだ。

2022-05-12 18:45:20 | 随筆
 こうして物語を紡いでいると、登場人物のこころの内にもっと踏み込むことはでき
まいかと思うことがしばしばである。

 むろん物語は、作りごと。
 現実に、彼あるいは彼女が、この世に存在しているわけではない。

 力を尽くして、考えに考え、それぞれのキャラクターを造りあげる。
 それしか方法がない。
 肉眼で見ることができないのだから。
 いやたとえ、見えたとしても、本当のところをとらえるのはむずかしい。

 見えるものと、見えないもの。

 夢や言葉は物のように存在してはいないけれども、ある。
 (ひょっとしたら、幽霊だって……)

 人が今、一体、何を思い、考えているのか。ほんとのところは、判りようがないよ
うに思える。
 しかし、想像することでおおよそのことは察しがつく。

 たとえて話すと、わかりやすい。
 今、全世界の人々がロシアの大統領のプーチンさんのことを考えている。
 一体、彼はどうしたのだろう。
 どうして、あんなむごいことができるのだろう。

 それは、日々、テレビを観ていたり、実際に彼がやっていることを観察すれば、お
およそのことはわかる。
 戦車やミサイルを駆使し、隣国ウクライナを侵略、そこに住む人々を戦車でひき殺
したり、彼らの住居に砲撃したりしている。

 プーチンさんの態度からは、思いやりとか優しさといった気持ちが伝わってこない。
 その片鱗さえあれば、こういった事態が起きることは、当然なかった。

 「思いや考えが現実をつくっている」

 そうおっしゃった、我が国の女性哲学者池田晶子氏がおられた。
 残念ながら、彼女は15年前に亡くなられた。
 生きておられたら、今回のロシアによるウクライナ侵攻を、どのように語られたで
あろう。

 国家は、人が暮らしていくのに便利なように作り出されたもの、すなわち一種の作
りごとである。

 たまたまそこに生まれたから、日本人とかロシア人と言うだけのことである。
 作りごとのために、戦争するなんてまったく愚かである。
 個人の争いなら、けんかしてるで済むだろうが、集団になるとひどいことになる。

 「今や第三次世界大戦のさなかである」

 ある外国の政治評論家は、今日の事態をそうとらえる。
 二月下旬、突如として、プーチン大統領率いるロシア軍がウクライナに侵攻した。
 数年前、新ロシア派の人々を助けるとの名目でクリミア半島に侵攻し、またたく間
にロシアに併合したのとほぼ同じやり方である。
 違ったのは、特別軍事作戦といい、戦線をウクライナ全土にひろげたことだ。
 これに対し欧米はウクライナを支援、多量の軍事物資などを供給しはじめた。

 おだやかな暮らしが、突然、奪われてしまったウクライナの人々の嘆きはいかばか
りであろう。
 誰もが、他国の人々の生活を踏みにじることなどできない。
 どんな理由があろうともである。

 現実であろうが、絵空事であろうが、物事を観察し、認識するのは、じぶん自身
である。
 じぶん自身の感性に基づいて、じぶんの想像のつばさを全力で羽ばたかせてみよう。

 地球上に存在するヒトはみな、こころの奥底でつながっているのだから。

 「初めに言葉ありき」
 人間が言葉を語っているのではなく、言葉が人間において語っているのだ。
 言葉はそれ自体が宇宙である。

 言葉が人間をつくる。
 
 プーチンさん、反省するに遅いということはありませんよ。
 即刻、侵攻を止めてください。

 人を喜ばすことで、じぶんも幸せになれるのですもの。
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