6月4日の衆議院憲法審査会で参考人とされた3者の憲法学者が安倍政権の安全保障制度を違憲とした事から、安全保障制度はどういったものかというよりも単純に合憲か違憲かばかりに意識は向けられる様になってしまっている。
政府・与党は砂川判決によって集団的自衛権は容認されていると主張するが、野党は憲法審査会で参考人が安保法制を違憲と発言しているし、NHKの日曜討論観ていると社民党の吉川議員が最高裁の砂川判決は砂川事件を判決したものであり、集団自衛権などには触れていないと語っていた事を覚えている。
ブロゴスに載っていたが民主の長島議員は15日の衆院安全保障特別委員会で、最初に参考人の発言を吐いた後に最高裁の砂川判決「の位置付けについて、「裁判で問われたのは、駐留米軍が憲法9条2項に言う戦力かどうかだ。駐留米軍の合憲性については、統治行為論で判断回避したもの。この最高裁判決は、自衛隊の合憲性、自衛権の内容、ましてや集団的自衛権についても判断していない。法学を勉強してきた者には、一般常識にも近い理解だ」として、砂川判決で集団的自衛権が根拠付けられたのかどうかを横畠内閣法制局長官に質問した」らしい。
裁判では事実審と法律審の2種があり、第一審と二審は事実審に辺り、最高裁は事実審では無く法律審とされているらしい。
一審、二審で行われる事実審は民事、刑事訴訟共に訴えられたことの事実と関する法律を審理する物であり、法律審は事実の審理は行わず法の審理だけを行うとされている。
一審、二審の民事では口頭弁論や証人が証言を行う事が出来るだろうし、刑事訴訟でも証人が証言する事ができるだろうが、法律審だけを認められている最高裁では口頭弁論などは基本的に行われる事は無い。
最高裁の役目は一審、二審の判決が正しい法により下されたか否かを審理する事であり、誤った法により判決が下されているのであれば差し戻しする事になる。
砂川事件とは何だったのだろうか。日米安保改定への反対運動が大きな要因だった様だが、1955年から57年までの東京都砂田町の米軍立川基地拡張の為に特別調達庁東京調達局による土地拡張の測量が私有地で実施されていた時に、日米安保反対派がデモ行為を起こし、滑走路北端付近の境界柵を数10メートルに渡って破壊し、基地内へ進入してしまう。数名逮捕されるが、その中より7名が旧日米安保条約3条に反するとして提訴される事となる。
東京地方裁判所は第一審を行い、判決を下す。主文・理由は、
-前略-
憲法9条により日本は「国家の政策の手段としての戦争、武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄したのみならず、国家が戦争を行う権利を一切認めず、且つその実質的裏付けとして陸海空軍その他の戦力を一切保持しないと規定している。即ち同条は、自衛権を否定するものではないが、侵略的戦争は勿論のこと、自衛のための戦力を用いる戦争及び自衛のための戦力の保持をも許さないとするものであつて、この規定は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」(憲法前文第1段)しようとするわが国民が、「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想(国際連合憲章もその目標としている世界平和のための国際協力の理想)を深く自覚」(憲法前文第2段)した結果、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を維持しよう」(憲法前文第2段)とする、即ち戦争を国際平和団体に対する犯罪とし、その団体の国際警察軍による軍事的措置等、現実的にはいかに譲歩しても右のような国際平和団体を目ざしている国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等を最低線としてこれによつてわが国の安全と生存を維持しようとする決意に基くものであり、単に消極的に諸外国に対して、従来のわが国の軍国主義的、侵略主義的政策についての反省の実を示さんとするに止まらず、正義と秩序を基調とする世界永遠の平和を実現するための先駆たらんとする高遠な理想と悲壮な決意を示すものといわなければならない。」として、日米安保による米軍駐留を「合衆国軍隊の駐留と憲法第9条の関係を考察するに、前記のようにわが国が現実的にはその安全と生存の維持を信託している国際連合の機関による勧告又は命令に基いて、わが国に対する武力攻撃を防禦するためにその軍隊を駐留せしめるということであればあるいは憲法第9条第2項前段によつて禁止されている戦力の保持に該当しないかもしれない。しかしながら合衆国軍隊の場合には、わが国に対する武力攻撃を防禦するためわが国がアメリカ合衆国に対して軍隊の配備を要請し、合衆国がこれを承諾した結果、極東における国際の平和と安全の維持及び外部からの武力攻撃に対するわが国の安全に寄与し、且つ1又は2以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起されたわが国内における大規模な内乱、騒じようの鎮圧を援助する目的でわが国内に駐留するものであり(日米安全保障条約第1条)、わが国はアメリカ合衆国に対してこの目的に必要な国内の施設及び区域を提供しているのである(行政協定第2条第1項)。従つてわが国に駐留する合衆国軍隊はただ単にわが国に加えられる武力攻撃に対する防禦若しくは内乱等の鎮圧の援助にのみ使用されるものではなく、合衆国が極東における国際の平和と安全の維持のために事態が武力攻撃に発展する場合であるとして、戦略上必要と判断した際にも当然日本区域外にその軍隊を出動し得るのであつて、その際にはわが国が提供した国内の施設、区域は勿論この合衆国軍隊の軍事行動のために使用されるわけであり、わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ虞は必ずしも絶無ではなく、従つて日米安全保障条約によつてかかる危険をもたらす可能性を包蔵する合衆国軍隊の駐留を許容したわが国政府の行為は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起きないようにすることを決意」した日本国憲法の精神に悖るのではないかとする疑念も生ずるのである」とし、「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、日本国憲法第9条第2項前段によつて禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるを得ないのである。」とし、日米安保条約は憲法違反であり、米軍の駐留は許されないし、日本国が自衛権を持つことも違憲としている。また、日米安保条約に反するとする提訴は認められず被告人は無罪とするとされている。
検察側はこの判決を法に反しているのでは無いかと判断し、控訴では無く跳躍上告したのだろうな。
検察側の上告趣意は前提として「原判決は、憲法の解釈を誤り、不当に法律を憲法に違反すると判断した違法があつて、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないものと思料する。」とされるが、その他数々の事が書かれてある。
最高裁での法律審の主文と理由は田中耕太郎裁判官が読んだ様だが、田中裁判官を含む8名の裁判官が意見を述べている。
判決の主文・理由は憲法9条であり、憲法9条を、
-前略-
「9条1項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条2項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。」と語り、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」としている。
続き日米安保に関し、
「安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和27年4月28日条約5号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約6条(a)項但書には「この規定は、1又は2以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される2国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国60箇国中40数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。」
更に、
「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」とし、政治的法審理は内閣法制局に委ねられているとされていると思われる。また、「駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあたかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。」
としながら、
「「駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあたかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。」」としている。
最後に「この判決は、裁判官田中耕太郎、同島保、同藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同河村大助、同石坂修一の補足意見および裁判官小谷勝重、同奥野健一、同高橋潔の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。」と占めている。
河村大助裁判官の補足意見
「次に安保条約が国際連合憲章に抵触するときは、憲章優位の原則により(国際連合憲章103条)憲法98条2項違反の問題をも生ずるものと考えられるので、右憲章と安保条約との関係についても、ここに簡単に触れておく。安保条約と同日に締結された日本国との平和条約によれば日本国は国際連合憲章に基く義務を受諾し(5条(a))かつ「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する」と定められている(5条(c))。そして安保条約は右平和条約で認められた安全保障取極を締結する権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、合衆国軍隊の駐留を希望することによつて締結されたものと認むることができる(前文3、4項)。その後日米両国は駐留軍隊の軍事行動は、すべて国際連合憲章に反しない範囲においてなさるべきものである趣旨を確認している(昭和32年6月21日発表の内閣総理大臣と大統領の共同声明及び昭和32年9月17日付日米安全保障条約と国際連合憲章との関係に関する外務大臣とアメリカ大使間の日米交換公文)。-後略-」
第一審では日米安保条約は違憲であり、米軍駐留は憲法9条に反しているとしているし、自衛権を持つ事も許されてはいないとしている。
だが、最高裁の法律審では日本には国家固有の自衛権があるとしている。国連憲章51条に自衛権が示されているが、個別的または集団的自衛が存在するとされている。これを個別的自衛権だけを認めているんだとする者が多いが、自分には理解出来ない。
また最高裁の砂川判決は砂川事件に関する判決であって、集団的自衛権とは関わり無いとする者が多いが、砂川事件に関する判決を行ったのは第一審と差し戻しで行われた東京高裁での裁判であり、最高裁は第一審が法を正確に扱ったかを審理したのであって、砂川事件そのものの裁判を行っていなかった事は間違い無い。
だが後に「機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。
まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた[1]。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約から日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定[2]。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開した[3][4]。
また田中自身が、マッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと[5]、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたこと[6]が明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという[7]。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした[8]。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている[9]。」(Wikipedia)などが発覚したとして、最高裁の判決は大きな批判を受ける事となっている。
第一審の判決は誤りであった事は明らかでは無いかと思えるのだが。もしも、それを肯定し日米安保条約を解除し自衛権を持たない国となってしまってしまい、平和主義を掲げるだけの国となってしまっていれば日本の安全は果たして守られていたのだろうか。
当時には韓国との対立もあったし、冷戦時代であり日米安保が無ければソビエトが大きな驚異となっていた筈だ。
もしも隣国に侵略される様な事があり、どこも防衛協力に積極的でなかった場合には侵略されていたのかもしれない。特に李承晩ラインなどを張り竹島進入まで行った韓国など、何を行っていたか分った事では無い。
そして、日本では集団的自衛権は認められてはいなかったと野党などは強く主張するが「憲法第 9 条と集団的自衛権―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―」を読めば、吉田内閣で西村熊雄外務省条約局長が1951年第10回国会参議院外務委員会の質疑で「一つの武力攻撃が発生した場合に、その武力攻撃によって自国の安全に対する被害を受ける国が数多くある場合には、その数多くの国はおのおの国際法上当然自衛権を行使し得るわけであるが、これらの国が自衛権をいわゆる共同して行使するという場合、そこに集団的自衛権というものがあると解釈するのが一番穏当かと思われる」と答弁している。
また、西村熊雄外務省条約局長朝鮮戦争さなかの第12回国会では、岡本愛祐議員が、当該戦争を背景にして、日本におけるアメリカの基地が爆撃された場合に、同盟国アメリカとの間で集団的自衛権が生じ、その帰結として、アメリカ軍は国際連合軍として朝鮮に出ているのだから、その自衛の必要上、我が国の警察予備隊も朝鮮の戦線を守ってもらいたいという要求が出てきた場合にどうするのかという質問を行った。これに対しては、「日本は憲法第 9 条によって厳として軍備を持たない、また交戦権を行使しないという国家の性格を明らかにしている。いかなる要請が国連ないしアメリカ政府から出ても、日本としては、この憲法を崩すようなことは断じて許されない」と答弁している。
更に、参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会での質疑では「日本は独立国なので、集団的自衛権も個別的自衛権も完全に持つ。しかし、憲法第 9 条により、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段である軍備を一切持たないことにしている。だから、我々はこの憲法を堅持する限りは、御懸念(=警察予備隊を国外の軍事行動に使用する)のようなことは断じてやってはいけないし、また他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる」と答弁している。
鳩山内閣となってから集団的自衛権の答弁は消極的となる。が、岸内閣となってから積極的となり、60年に日米安保条約改定が締結される前後に59年第31回国会参議院予算委員会で林修三内閣法制局長官が「外国の領土に、外国を援助するために武力行使を行うということの点だけに絞って集団的自衛権が憲法上認められるかどうかということを言えば、それは今の日本の憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」と集団的自衛権に制限を設けた発言を行っている。
60年第34回国会衆議院予算委員会で林修三内閣法制局長は「集団的自衛権というのは、いろいろと広い意味にも狭い意味にも使われているが、端的に言えば、他国を自国と同様に守るということであり、それが中心的な観念と考えられる。これに対し、自分の国を守るということは、これは個別的自衛権である。自分だけで守る力が不足であるから他の国の協力を得て守るということは集団的自衛権の発動ではない。まさに個別的自衛権の発動である。」と答弁しているが、自国(例えば日本)が自国を守ることを他国(例えばアメリカ)と共同して集団的に行うことは集団的自衛権の発動には当たらない旨の重要な答弁とされている。
また、「例えば、現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない」といった答弁も行っている。
そして、60年第34回国会参議院予算委員会で岸首相は「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられている締結国や特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における集団的自衛権は、日本の憲法上は持っていないと考えている」と発言している。更に「最も典型的な、最も重要視せられるもの」とより強調する様に答弁している。
池田内閣でも集団的自衛権は認められているとされているが、佐藤内閣より変化する様になる。
69年第61回国会参議院予算委員会で佐藤内閣の高辻正巳内閣法制局長官は「我が国と連帯的関係が仮にあるとしても、他国の安全のために我が国が武力を用いるというのは憲法第 9 条の上では許されないだろう。(中略)我が国が集団的自衛権の恩恵を受けているのはともかくとして、我が国が他国の安全のために兵力を派出してそれを守るということは憲法第9条のもとには許されないだろうという趣旨で、集団的自衛権は憲法第 9 条で認めていないだろうというのが我々の考え方である」と集団的自衛権を否定している。
そして田中内閣が72年第69回国会参議院決算委員会提出資料で「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている。(中略)我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」として、日本は集団的自衛権を実行する事は許されないと決定している。
この田中政権の憲法解釈が現在の日本の自衛の基本を成しているのではないのだろうか。
更に81年鈴木内閣(94回国会衆議院稲葉誠一議員提出の質問主意書に対する答弁書)「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第 9 条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」と専守防衛を主体とする自衛の定義を定めている。
だが、集団的自衛権に関しては、98年小泉内閣で第98回国会衆議院予算委員会で角田禮次郎内閣法制局長官が「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思う」と発言をしているが。
集団的自衛権は吉田内閣の時より認められており、鳩山内閣では否定的にはされていたが岸内閣が国外での活動も許されるが、制限あるものとしていた。池田内閣でも容認されているとされている。
だが、佐藤内閣より集団的自衛権は否定される様になり、田中内閣で完全に否定され、鈴木内閣で現在の自衛の定義が定められた。だが、憲法改正が必要とされているが集団的自衛権は完全に禁止されている事では無い。
現在の国会やマスコミなどはこれまでの日本では集団的自衛権は認められていなかったなどと強調しているかと思われるが、完全な誤りだ。岸内閣から、佐藤内閣まで認められていた事は事実で、全く認められていなかったという事などは無い。
岸内閣などが認めていた集団的自衛権は、日本を防衛する為の自衛権行使の為であり、あくまでも国民の生命、安全、幸福の追求感が目的とされていたのではないだろうか。
民主党は現在の国会で集団的自衛権は必要内と激しく主張し、日本の自衛は憲法9条に於ける専守防衛であり、武力攻撃を受けた時に必要最小限度の武力行使を行う事が日本の自衛だと強調する。
日本国だけでは無く、国民の生命や安全を無視した自衛の主張であるとしか思えない。
何より集団的自衛権は必要ないと主張しているが、民主党政権の時にはどうだったのだろうか。
鳩山、管の時には出ていなかったかもしれないが、野田の時には出ていた。野田元首相は国家戦略会議の報告書を基に集団自衛権への憲法解釈も含めた政策を行おうとしていた様であり(朝日新聞2012/07/07)、当時の幹事長であった細野豪志も「集団的自衛権を認め、米軍と自衛隊は同時に行動し、米軍が攻められれば当然自衛隊は米軍を応援すべきだ」(ブログ・夜光虫)と言い切っていた様だ。
民主党政権が自衛隊をPKOなどでどの様に活動させていたのかを書いているブログがあり、現在の国会で自衛官の安全とリスクを強調するが、そういった事を意識していたか否か疑問に思えてくる。(目が覚めて思うこといろいろ)
野田政権が集団的自衛権をどの様にしようとしていたのかを語っている動画もある。
「民主党政権時「集団的自衛権行使すべきだ」「特定秘密保護法」→反対なし」
最後に本日行われた予算委員会で自民の小野寺五典委員が平和安全法制整備法に関し非常に納得できる質疑をやってくれたのではないかと思える。
複数の新聞、テレビの電子版が早速記事にしているが、書いているのは安倍首相の言葉の一部だけ。小野寺委員の質問などは何も書いてなどいない。
この質疑で重要なのは小野寺委員の質問だったのではないかと思えるのだが。
「衆議院予算委員会・小野寺五典(自由民主党)」