24日に同時に注文した品が
同時に 先ほど届きました。
CD と 本
宇多田ヒカル と 佐藤愛子
ミスマッチのようだが
私にとっては
どちらも 大好き。
ヒッキーを聴きながら 愛子さんのエッセーを読むなんて
我ながら 贅沢・・至福の時(^O^)/
アルバム発売日は確か明日のはずだが
1日早く届きました。
24日に同時に注文した品が
同時に 先ほど届きました。
CD と 本
宇多田ヒカル と 佐藤愛子
ミスマッチのようだが
私にとっては
どちらも 大好き。
ヒッキーを聴きながら 愛子さんのエッセーを読むなんて
我ながら 贅沢・・至福の時(^O^)/
アルバム発売日は確か明日のはずだが
1日早く届きました。
青函連絡船には 何回となく乗っていたので
当時のことはうろ覚えであるが記憶がある。
函館駅や 青森駅に着くと ものすごいスピードで皆走るのだ。
弟をおぶって荷物を持った母は走り出す。
そのあとを
一生懸命に追いかけるが 到底大人の足には及ばない。
しまいには泣きながら ついて行くのである。
ちゃんとついておいで と言いながら
子供が泣いても母はスピードをゆるめない。 何故なら~
現在のように指定席とかあるわけでないので
早いもの勝ち で乗船するためにである。
定員がいっぱいになると 次の船になってしまうので皆必死。
よく泣いてる私を知らないおじさんが 母の所に連れて行ってくれたもの。
子供が泣いてるのに とおじさんに母が叱られていた記憶もかすかにある。
とにかく
今のように 青函トンネルなんて出来ていない時代
乗り物は いつも人でいっぱいだったが
青函連絡船は その中でも群を抜いていたような気がする。
おはようございます♪
火曜(9月27日)の朝。
曇り空・・あとから晴れるのかな?
昨日は
日本海難史上最大の惨事 洞爺丸が沈没した日である。
昭和29年の事。
ニュースでそれが流れたとき
昔、亡母に聞いたことのある話を思い出した。
青函連絡船洞爺丸沈没のニュースが流れたとき
生きた気がしなかったよ。
〇ちゃん(=私の事)と ばあちゃんが
てっきり乗ってると思ってたからね。
千歳に住んでいた私をおぼあちゃんが迎えに来て
二人で 新潟に帰る途中だったとの事。
乗った汽車からして ちょうど洞爺丸に乗るような時間だったとか。
しかし 実際は函館で洞爺丸より早い連絡船に乗ったので
何事もなく 無事に家にたどりついたとのことでした。
その当時は電話もない時代 おそらく母達は電報で仔細を知ったのだろう。
両親の心配をよそに
おそらく祖母と私はきょとんとしていたことと思われる。
(祖母と同じ干支のため どことなく性格が似てます。)
万が一 洞爺丸に乗っていたら・・・
現在の私はいないわけで そうすると 勿論子供たちも
孫たちも 存在はしないということなんですね。
函館駅で連絡船に乗るため
駅に着いたとたん 皆ものすごいスピードで走るのが常であった。
きっと 祖母は身軽な人だったので おそらく私の手を引っ張って
とてつもない速さで 連絡船(洞爺丸より一つ前の船)に乗ったのだろう。
間一髪のところで命拾いした私・・不思議な気がする。
昔々 62年前のお話です。
おはようございます♪
月曜(9月26日)の朝。
雲り空。
昨夜は久しぶりに寝苦しくて中々寝付かれなかった。
1時過ぎになって シャワーを浴びたりしたが
それでも 寝付かれず 結局眠ったのは3時少し前。
4時50分には 起きだしたので
睡眠不足で 頭がボゥーっとしている。
今日は お弁当がいらないので
朝食、洗濯とボゥーと、しながらもやり終える。
このところ 涼しい日が続いたので
少しの蒸し暑さでも 体が嫌がってる風。
私の体は 本当に暑さに弱い。
おそらく 生まれ育った環境のせいだと思う。
新潟生まれで 3歳~6歳まで北海道育ちなんです。
幼いころに育った 気候風土が私の元のベースらしく
関東地区の夏は 実に苦手だ。
どんなことをしても 1晩中エアコンで快適な
温度と湿度を保っていない限り 眠れない。
一人部屋、一人暮らしの時は
思えば 確かに一晩中 エアコンを付けて快適な夜を過ごした。
涼しくしすぎて 毛布を掛けたりしても そのほうがいい。
また数日 30℃近い日が続くらしい・・・恐怖だ!