
「超」発想法
野口悠紀雄著 講談社 P94より引用
ISBN4-06-209991-8 1600円+税
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2 発想から逃げる人々
◆「そこそこ」の満足とマン
ネリズム
「そこそこ」という表現があ
る。これは、小市民的満足感
の表明である。社会全体があ
る程度の豊かさを実現すると
「社会の片隅でそこそこの生
活ができれば、それ以上のも
のを望まない」という考え方
に陥ってしまう人が多くなる。(略)
日本が将来に向かって最も憂
慮すべきことは、若い世代が
「そこそこの生活」に満足し
て、ハングリー精神を失うこ
とだ。これは、現実に生じつ
つある危険である。子供の時
には、欲しいものは何でも親
が買ってくれた。受験の際に
は偏差値を見て確実に入れる
学校を選択した。そして、卒
業してもモラトリアム状態に
陥って就職しない。(略)
ポイント 小市民的満足やマン
ネリズムに陥ると、発想の意
欲が無くなる。
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▼子供のためには何でも無理
を聞くのが親の務めのように
買い与える風潮があります。
↑の発想を妨げるのが「そこ
そこ」思想ですね。これでは
何かを発想しようという意欲
も湧かないのでは?常にハン
グリー精神が発想の原点です
ね。何時のまにか失敗が許さ
れない試行錯誤のない変な世
間になってしまいました。未
曽有の事象が起こったとき前
例主義では何でも便利な言葉
で「想定外」のことで処理さ
れることになってしまいます。
ジョブズ氏はいっています。
「ハングリーであれ」でも
今の時代ハングリーはなかな
か無理かもしれませんね。

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