日々の生活から

毎日の生活で感じたこと・考えたこと

おつかれさまでした

2005-10-23 20:16:18 | 日常
親父が自営でやっていた仕事を畳んだ。
20年近く、自分一人で事業をして、私と妹を県外の大学にやってくれた。
「おつかれさまでした」ということで、家族で伊良湖へ。
一人1万5千円ですが、エビ・大アサリ・カニ・クロダイの生き造りに・イセエビの生き造りと、充実の夕食
帰りは蔵王山と田原市民まつり、道の駅「めっくんはうす」に寄って帰宅。
お父さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

夏の庭 / 湯本香樹実著 / 徳間書店

2005-10-23 20:11:55 | 
映画スタンド・バイ・ミーは友情の夏だが、この本は「生(せい)の夏」だろう。
クラスの女の子に顔を赤くする少年もいれば、白いポロシャツのおねえさんのこと考えてる少年。このくすぐったくなるような感覚を久しく忘れていた。

「もしおじいさんだったら、なんて言うかなって」
(略)
ぼくも、『もしおじいさんだったら』ということをあいかわらずよく考える。すると、自分ひとりでくよくよ考えているよりずっと、すっきり答えが出てくるのだ。それは、『思い出の中に生きている』なんていうのとは、ちょっと違う。もっとたしかな、手ごたえのある感じだ。

これこそが、生きていること、生きていたことの証だろう。
自分も、たくさんの人から多くのことを伝えてもらっている。それを使えさえすれば良い。

人生は廻る輪のように / エリザベス・キューブラー・ロス 著 / 角川書店

2005-10-23 20:10:59 | 
「死ぬ瞬間」の著者の自叙伝。
こんなにも壮絶な人生を送った人だとは思っていなかった。
最近でこそ、スピリチュアル・カウンセラーを名乗る人物がテレビに登場するなど、環境が変わりつつあるのかもしれない。
しかし、「魂」を語る時、私は慎重なる。誰にでも気軽に話すことははばかられる。
それを40年前から、医療現場で、世界中で著者は、生を死を魂を語ってきたのだ。
時に騙されることもあった。それでも著者は人生に「イエス」と言った。
その根底には国際義勇軍での献身的な活動と、そこで見た「生」だったのだろう。

毎朝、川で洗濯をしながら、痛ましいほどにやせ細った白血病末期の娘からポーランド語を教わった。短い生涯を苦痛と悲惨のうちに送ってきたその娘は、なお自分の置かれた状況が最悪だとは考えていなかった。むしろ、その逆のようにも思えた。娘は愚痴ひとつこぼさず、他人を責めることもなく、淡々と運命を受容していた。娘にとっては、それがそのまま人生であり、少なくとも人生の一部であった。いうまでもなく、わたしはその娘から外国語以上のものを学んだ。

「生」とは病院で決められるものではない。ポーランドでの活動では

医療器具も治療薬も麻酔薬もなかった。にもかかわらず、驚異的なことだが、わたしたちはそこで大胆かつ細心な手術を数多く成功させた。手足の切断をした。爆弾の破片を摘出した。赤ん坊をとりあげた。あるとき、グレープフルーツ大の腫瘍ができている妊婦がやってきた。開腹して膿汁を排出し、無我夢中で腫瘍を摘出した。胎児の無事を告げると、妊婦は起きあがり、歩いて家に帰った。
村びとたちの回復力は無限とも思われるものだった。かれらの勇気と生への意思は、わたしに強烈な印象をあたえた。回復率を高くしているものは生への強い決意だけだと思わざるをえないことが何度もあった。人間存在の本質、生きとし生けるものの本質はただ生きること、生存することにあるのだと気付いた。


ホリー・ガーデン / 江國香織 著 / 新潮社

2005-10-23 20:06:52 | 
しっかり者の静枝と、かわいげと不安定さを持つ果歩の、友情とそれぞれの恋物語。
大きな事件が起きるわけでもなく、淡々と二人の世界が綴られる。
女性の友情というのは、お互いを気にかけていても、時に、相手の一言が深く刺さり過ぎたり、時に、的外れだったり、それでも、相手の言葉で元気になったり、そういうものなのだろうか。
女性の心が少しでもわかればと読んだけど、私にはわかりきらないということがわかったのかも。