「死ぬ瞬間」の著者の自叙伝。
こんなにも壮絶な人生を送った人だとは思っていなかった。
最近でこそ、スピリチュアル・カウンセラーを名乗る人物がテレビに登場するなど、環境が変わりつつあるのかもしれない。
しかし、「魂」を語る時、私は慎重なる。誰にでも気軽に話すことははばかられる。
それを40年前から、医療現場で、世界中で著者は、生を死を魂を語ってきたのだ。
時に騙されることもあった。それでも著者は人生に「イエス」と言った。
その根底には国際義勇軍での献身的な活動と、そこで見た「生」だったのだろう。
毎朝、川で洗濯をしながら、痛ましいほどにやせ細った白血病末期の娘からポーランド語を教わった。短い生涯を苦痛と悲惨のうちに送ってきたその娘は、なお自分の置かれた状況が最悪だとは考えていなかった。むしろ、その逆のようにも思えた。娘は愚痴ひとつこぼさず、他人を責めることもなく、淡々と運命を受容していた。娘にとっては、それがそのまま人生であり、少なくとも人生の一部であった。いうまでもなく、わたしはその娘から外国語以上のものを学んだ。
「生」とは病院で決められるものではない。ポーランドでの活動では
医療器具も治療薬も麻酔薬もなかった。にもかかわらず、驚異的なことだが、わたしたちはそこで大胆かつ細心な手術を数多く成功させた。手足の切断をした。爆弾の破片を摘出した。赤ん坊をとりあげた。あるとき、グレープフルーツ大の腫瘍ができている妊婦がやってきた。開腹して膿汁を排出し、無我夢中で腫瘍を摘出した。胎児の無事を告げると、妊婦は起きあがり、歩いて家に帰った。
村びとたちの回復力は無限とも思われるものだった。かれらの勇気と生への意思は、わたしに強烈な印象をあたえた。回復率を高くしているものは生への強い決意だけだと思わざるをえないことが何度もあった。人間存在の本質、生きとし生けるものの本質はただ生きること、生存することにあるのだと気付いた。