郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

‘結果オーライ’

2013年08月01日 | 日記

 スポーツの中では"結果オーライ"(="All is well that ends well."「終りよければすべてよし」)がある。自分の思った方向に飛ばなくても、テニスで言えばサービスエースが取れたり、ゴルフで言えば土手に当たってグリーンに乗ったりしたときに"ラッキー"とは言わずに使う。自分に託すか、天に託すかの違いである。さらに言えば、自分の技術的ミスを認めるか、認めずに単純に喜ぶかの差となる。さらにさらに言えば、初めに戦略があったかどうかにまで遡ることが出来る。このように同じ偶然的結果でも言葉によってプレイヤーの考え方が深いか、浅いか読み取れる。言葉はよく選んで使わなければ自分自身に正確に伝わらないし、こういう時にはこういう打ち方でOKだったと肯定ができない。それによって次の行動が変わってくる。肯定すれば、次に本当のナイスショットが生まれる。また、失敗しても"What's the odds?"~《英国口語》 それがどうしたというのか(かまわないじゃないか)~と結果を受け入れ、肯定することも必要で、変に否定して(得意でないところで)技術や能力もないのに、リカバリー・挽回しようと思わないことだ(⇒失敗が失敗を呼ぶことになる)!。//最近感じたこと//

     自分を信じよう!
 そう言えば、会社生活時代においても「どんなことがあっても自分の判断を信じろ!そうなるように正しい判断を考えろ!」として遣ってきたことを思い出す。幼少の頃は皆と同じでないと不安だった。雨が降っていなくても皆が傘を持っていると傘を家に取りに帰ったものだ。しかし、成長するにつれて自我が芽生え、皆、顔が違うのと同じように考えも違うのが当たり前と思うようになったが、それでも他人のことが気になった。気にしながら大きくなった。優柔不断、よく言えば弾力的な考えで会社生活の初期まで過ごしてきた。が、自分を信じてあげなくて誰が自分を信じてくれるの?と思うように変化してきた。判断は行動に通じる。大きくぶれない自分が形作られた。しかし、その行動の結果まで肯定するまでには至らなかった。最善を尽くしたのだからと後悔せず、実績・結果は時の運・不運として天に託していた。これからは自分の判断から結果まですべてを肯定してあげると言う辛くしんどい道程に足を踏み入れたことになる。~常に自分を褒めてあげなければならなくなった。//成ると成らざるは天にあり。為すと為さざるは人にあり//⇒//為すと為さざるは人にあり。成ると成らざるも人にあり//


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