今日の夕食は、
◆鯵のフライ ◆三つ葉の白和え ◆獅子唐縮緬 ◆白玉団子のスープ ◆ご飯
必要なのは傘、それとも希望?/勇気?
真っ黒な雲が空を覆い、激しい雨と風が吹き荒む。雨に打たれびしょぬれになり、風で吹き飛ばされそうになった。が、荒れ狂う嵐を遮るものは何もない。もう少し行けば冷えた体を休める家があるかも知れないと雨に気ぶる道を進む。そのような状況の中、大雨でびしょ濡れになった人に、お金の話や太陽は雨雲の上で輝いているなんて話をしても何の助けにもならない。今!必要なのは傘や雨合羽。厚い雲の上で、太陽はいつもと同じように輝いているなんて頭に浮かびもしない。でも、傘などない物ねだりしても仕方ない。
激しく辛い現実を前にして、私たちは「真実」が見えなくなってしまう。厳しい「現実」に理想も夢も希望も押しつぶされ、負けそうになる。雲の上には太陽が輝いているから、微笑を忘れず、希望を捨てなければ、きっと雨は止む。止まない雨はない。
そんな長講釈の論理よりも開き直って、当たって砕けろ的に無我夢中で一歩でも多く前に進む。その中で蟠〔わだかま〕っていた心が吹っ切れて勇気が出てくる。人は迷い、恐れ、考え過ぎる。いや、人だからかも知れない。
人は往往にして悩んでいる人に、今!手に入らぬものや、今!必要でないもの・ことをアドバイスする。長期的にはそうであるかもしれない。しかし、困っているのは、拘っているのは、一歩踏み出せないでいるのはそういう理由からではない。個々に理由は違っているから、先ずその人の話を聞いてあげることだ。一人であったらもう一人の自分に語りかけることだ。語ることで自分の頭の中が整理できて自分の決断すべき方向が見つかる。話を聞いてあげる人も変なアドバイスよりも整理しやすいように所々で「それはこう言うことなの?」と纏めてあげると話す人もより自分の考えを絞り込みやすい。押し付けでなく、自分で決断すれば、自分で実行する意志が芽生える。悩まずに相談する勇気が必要なのかも知れない。
25日は高槻上宮の天神さんです。毎年この日は雪が降ったりして寒いのに今年は如何したのでしょうか、コートを脱いでも良いほど外は暖かくなりました。散歩がてらお詣りに行って来ました。実は神社より百貨店横に出ている植木を見て回るのが楽しみの一つなのです。家の庭の柘植の木が枯れてきたので植え替えたいのですが、枝ぶりのよい年季の入った幹の太いものは欲しいけれど値段が高くて手が出ません。食べ物や金魚すくいの出店等もたくさん出ていますがお客が少なく店主は皆退屈そうにしていました。その後、百貨店で私の靴を見ましたが安くて履き心地の良さそうなものは見つからず、今度は家人の帽子を見に少し離れたスポーツ店へ行きました。20数個ほど頭に被って一番似合った白い帽子を買いました。テニス用の服も見ましたが家人は「恰好だけではボールは打てない」と買いませんでした。「恰好だけでも好くしない」と私は思いましたが…。家に帰る途中に城跡公園の梅を見ましたが、今年は花付きが悪く、あまり咲いていませんでした。今日はよく歩きました。
今日の夕食は、
◆はたはたの南蛮漬け ◆じゃがいものそぼろ餡かけ ◆天ぷら ◆三つ葉のゴマ和え ◆ご飯