堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

万年筆

2011年09月02日 | 日記

 近頃はテレビを録画する機会が多い、理由はいくつかある。
 一番多いのは、放送時間に他の用事で見ることができない時である。
 興味のある番組は、ノートに要点を筆記用にしている。速記能力は、明らかに低下してしまっている。
 聞き逃しや見逃しが続出する。そこで、ビデオが登場と言う事となる。

 私は生来悪筆である。
 そのために、和文タイプも独学で習得した。ワープロも現在のデスクトップほどの大きさで、モニターもダークグリーン、プリンターはA3で布製のリボン、音の凄いワイヤードット型と言う一番初期の段階から使っている。
 今、パソコンを使いこなすことができるのも、私の悪筆が遠因でもある。

 手紙をはじめとして、心を伝える文章は手書きで、しかも、万年筆に勝るものはない。
 このことは悪筆ゆえのコンプレックスとして、常に、頭の隅にこびりついている。

 半年ほど前、机の引き出しを整理していた時に、一本の万年筆が出てきた。
 現職時代に大変にお世話になった方から頂いたものである。

 その万年筆で、録画した番組の要点筆記に使っている。
 書かれている文字は相変わらず悪筆である。
 来年の年賀状には、少しでも心の思いが伝えらたらと、この万年筆で一筆書き加えてみたい。

 東日本大震災で、海外のメディアで伝えられている日本の素晴らしさの基本の一つに、相手を思いやるという、日本人の心根の優しさがあるのではなかろうか。
 万年筆で下手な字を書きながらふと思った。