先日、立川食品衛生協会の創立60周年の記念講演を聞いた。
講師は元NHKエグゼクティブアナウンサーの宮田修氏であった。
エグゼクティブアナウンサーとはNHKの中での局次長級のアナウンサーを言うらしい。
朝のニュースで見ていたので、顔は分かっていた。
阪神淡路大震災の報道を担当したということであるが、あまり記憶にない。
朝一番で見たときには、やや大きな地震が関西地方で起きたという程度であったが、朝早かったので、しばらくテレビから離れてしまい、しばらくたってから大変な地震であることが分かったという記憶はある。
地震発生から1週間後に現地を視察した。
宮田氏はその他多くのニュースの第一報を担当したということである。
講演が終わり、賀詞交歓会を兼ねた祝賀会では同じテーブルだったので、政治のこと等つについてお話しできた。
大変に面白かった。
次の予定があり、もう少しお話しできればと思いつつ早々に失礼した。残念であった。
セレモアつくばの執行役員でありロータリーのメンバーであるとのことであるので、又お会いできるのではないかと期待している。
ICレコーダーを試してみた。
スピーカーを通しての声なので、やはりクリアーな録音はできなかった。
ただ聞きずらいが、内容は分かる。
十分使えるものと判断した。
全てを聞くのには時間がかかり実行してはいない。
興味深いお話は多くあったが、今日はその一つについてだけ書く。
普段我々が気にしていない1分とか10秒という短い時間に気を使うという。
それが、千葉に転居した理由の一つだという。
具体的には1分間に300から350字の文字を読むという。
確かに、思い出せば、演説や挨拶の原稿を書くとき原稿用紙1枚、つまり400字で1分というのが目安である。
勿論、間の取り方や話す速度も、その内容によって変えるので、およその目安である。
仲人の挨拶や重要な場面での話の場合、今でも原稿を書くことはあるが、近頃では殆どメモ程度で済ませてしまう。横着になってしまったものである。
アナウンサーの場合、決まった時間の中に納めなければ、気まずい沈黙が生まれてしまい、秒単位の緊張が生まれるのであろう。
1分1秒について考えさせられた。