山田風太郎の「戦中派不戦日記」の冒頭・まえがきに「汗牛充棟」の文字が出てきた。
そこには、「汗牛充棟の敗戦記録に私のこんなものを加えるのは、どれだけ意味があるのか・・・」とある。
文章の流れから、本か記録のことだろうとは思った。
角川の国語辞典によれば、
「 車に積めば牛、が汗をかくほどの重さ、家に積めば、棟まで届くほどの量の意味。蔵書の多いことの意味。」とある。
「絆」の項でも書いたが、言葉や文字の意味は正確に知り、正確に使いたいと常に思っている。
まして、ブログという形で、人様の目に留まる以上、恥をかきたくないと言う感情もある。
従って、辞書は常に座右に置く。
その辞書は、子供が中学高校で使ったおさがりである。その程度の質と量でよいとも負っている。
あまり高度なものでなくてよい。
「汗牛充棟」という言葉が目に留まった理由は、つい最近読んだ池上彰の「伝える力」の中にあったからだ。
わかりやすく伝えると言う中に、
若い人に対しては四字熟語を使わない方が良い。
その例として挙げられていた。
単に量が多いと理解しただけで、それ以上は追及しなかった。
「充棟」は家の中一杯とイメージできたが、「汗牛」は単に汗をかいた牛としかイメージできなかった。
日常生活で、汗をかきながら重い荷物を載せた車を引く牛を見る機会が全くないからだろう。
池上はそのほかに、「隔靴掻痒」、「一朝一夕」、「意気消沈」、「起死回生」、「浅学非才」等を上げている。
現代の若い世代にとっては、昭和20年、30年代に書かれたものは、既に古典であろう。
私自身も昭和初期の文章を読む機会は少ない。
従って、難しい漢字に遭遇すると戸惑う場合も多い。
昭和史を再確認しようと思ったのも、「昭和は遠くなりにけり」の感、多き故でもあろう。