金(ゴールド)が2000ドルを超えて伸びている。
これは人類にとっては、悪い意味で、とんでもない時代に突入してるという証でもある。
20年以上も前の安い時に仕込んで、あとはコチョコチョと間抜けなブーム人間が参入することで小遣いを作ってきてるが、世界の経済だけでなく、あらゆる情勢を観察する訓練にはなっている。
人類を動かしているモノ、それがはっきりと見えてくると、経済ゴッコでも損は出なくなる。
当座の損はあっても、慌てるようなことでもなく、じきに倍返しになって戻って来る。
そう、愚かな人間を見抜いておれば、2~3年後の本格恐慌も、中東を舞台にする戦争開戦も、あるだろう。
そのための、いろんな些細な事件やトラブルが起きつつある。
日本はすでに世界覇権から降りようとしているアメリカにべったりのまんま、傀儡として参戦させられる。
コロナは予行演習にもならない線香花火、本格的な大玉が打ち上がるのは、もっと先の話だ。
すでにヨレヨレになっている連中は、もはや自分の足では生き残れない。
そこに昭和の甘ったれた情景などなく、感情が揺れることもない。
いまだに他人事のように過ごしてる大人社会を見ていると、駄目だろうな。
醜い豚舎でしかない。
ここは買い時、みなが弱ってる今は逆にガンガン行くとき、そんなド阿呆も蠢き始めてるが、なんども見て来た哀れ提灯な人間模様。
あんたらもまた、淘汰される側だ。
ちゃんちゃん。
店の改装をしているが、ソファーやテーブルや仕事用の椅子やらが届かないから、来られるお客さんたちとも店内で立ち話になっている。
賃貸の契約や売買の契約の予定が入ってきているが、キャンプ用の折り畳み椅子を並べて、折り畳みテーブルを出して、そこでやるかと笑ってる。
それならばどこぞの2000mの山の頂上で契約をするか? と言うと、皆さん・・・え~~・・・と乗り気でない表情、つまんね~な。
世間が休みに入る盆の時期に、悠々と売買契約をする予定で動いてる話もある。
メディアに踊らされて、脅されて、コロナ教の信者が増えれば増えるほど、自営の強靭なベテラン連中は笑っているのは何故か? よ~く考えてみようか?
相変わらず、不動産業経営という肩書は、社会の犯罪事件の数の上位にランク・アップされる職業だ。
一発屋という言葉は、この業界が発祥だ。
ヤクザの世界や不動産の世界から、いろんな言葉が生まれている。
賃貸専門の不動産営業のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、繁華街のスカウト・チンピラや黒服とナニも変わらないが、売買、しかも大きな地上げをキチンと行う周旋屋になってくると、その辺の弁護士や司法書士くらいの知識や戦闘の経験も豊富だし、トラブルになるような軽薄な人物は最初から絡まさないし、近寄らさない。
万が一、コソコソ絡んでくるようなことがあれば、徹底的に合法的に損害賠償で木っ端微塵にしてやる。
煽りや恫喝や暴力はいっさい通用しないし、どうしても・・・というのなら、気が付いた時には東京湾ではなくって、サメがいる太平洋で、俺と一緒に泳いでもらうことにしている・・・と、よく笑い話で言っておる。
気の荒い猪公や熊公がいる奥山でピクニックでも良い。
人間ばかりの世界でしか生きられない者は、しょせん気が狂うだけだろう。
俺はそういう世界で62年、生きて来てる。
人間の世界なんてチョロいもんよ。
そういう人間界に飽いてる愉快なオヤジも、結構いるのさ。
85歳になるという後期高齢者の爺様がやってきて、住んでるボロ賃貸が建て替えになるというので、とうとう追い出されるんだそうな。
・・・死ぬに死ねね~よ、死に場所探しも疲れたし、それでも死なないからさ・・・
区の福祉もお手上げ放置、それでまわりまわって俺のとこにやってくる。
今年も、多くの老人たちの世話をしてやってる。
俺自身も、おなじようなもんだが、まだ先を見て上手いこと生きてるだけのことだ。
おなじような生活保護や孤独な爺様たちが20数人も住んでいる、ボロアパート群なら2部屋位空いておる。
携帯も持たず、公衆電話を探して連絡してくる爺様との待ち合わせには、2時間も徘徊させられた。
銀座から40分、駅前の人混みの中からやっと見つけて徒歩7分の道を15分かけて歩いた。
薄暗くなった時分でなければ暑さに倒れてしまう。
それが真っ暗闇になってしまってた。
まだ内装前の汚い部屋に土足で上げてやって、1DKで45000円、トイレは共同、風呂は無し。
・・・これでいいよ、寝る場所があるだけマシだよ・・・
この春にはおなじような爺様が孤独死をした部屋の畳には、人型の染みが残っている。
1年も空けておいて、簡単な内装をしてまた貸す訳だ。
事情をキチンと明るく話してやると、おなじような爺様がいくらでも入ってくる。
・・・あんたも俺で、儲けてよ・・・
そんな関わり合った老人の埋葬までやっている俺は、実のところ大赤字の仕事になってる。
その為に、キリがないほどに稼ぎ続けている訳でもある。
そんな三途の川のような場所もある。
善良なる庶民の皆様方の知らない場所だが、皆さんのすぐ隣にある。
小石を積んでは母の為、小石を積んでは父の為・・・情緒とも言わない、そんな乾ききった歴史もある。
敏腕弁護士に呼ばれて、夫婦で破産したという老婆にもあった。
68歳だから、俺の少し上だが、家柄や育ちは頗る良かったようで、上品な雰囲気で痩せ細っていた。
むかしは銀座でも飲食店をやり、アメリカでも10年、日本食レストランをやり、英語も堪能。
破産とどうじに、離婚もしたいという。
プードル2匹と住める家はないか? との相談もあった。
夢を見ているような、俺の知ってる多くの凄惨な破産者とは違った、優雅な時間が流れていた。
厳しい現実を現実として、受け止めていないようだったが、現実たって、その人の受け止めようでどうとでもなる訳だから、こういう破産者もいるんだと、ちょっと驚いて一緒に弁護士の元を出た。
電車でもいろいろ話し、銀座の街を歩きながら昔話に笑顔があった。
俺はどういう関わり合い方をするのか? まだ解らない。
毎日のように、こういう話があちこちから舞い込んで来てもいる。
大きな地上げをコツコツ進め、いろんな売買契約を積み重ねておっても、これもまた俺の日常の仕事でもあり、疎かに出来るものでもない。
ゼニカネはしょせんはゼニカネ。
生きてる命は俺自身の生存の証でもある。
ややこしい仕事ばかりを抱えておっても、猛暑の中、毎日何万歩も歩くようにしている。
夜、下着の黒いシャツが、大汗が乾いて浮き出た塩で白くなっている。
そのまんま東京湾に飛び込んで泳いでやりたくなるが・・・。
これが生きて居るということだ。