目に見えなコロナに怯え、目に見える世界はちゃんと見ようともしない、人間の目は、いったいナニをするために? 鼻の上に二つも偉そうにくっ付いているのか??
人間の世界では、アクシデントがドラマを創る。
予防医学や予防接種、予行演習・予防訓練などばかりやってる現代では、アクシデントも新鮮には味わえないし、予防したつもりが余計なお世話で要らぬお節介、自然ではない歪んだアクシデントを引き起こし、不健康な世の中社会になることが多い。
地震予知が良い例で、世界最先端の地震予知ですら、当たる確率は1割も無いだろう。
それなのに予知を信じて余計な行動と準備ばかり、命の時間は永遠ではないのだから、無駄な時間を費やして、あげくにぜんぜん違ってた、では命の時間の浪費にしかなりはしない。
平和ボケした不感症の時代らしい。
ところで、俺のように予防や準備などいっさいせず、とりあえず首を突っ込む、関わってゆく、そんな行きあたりばったりな人生を63年も続けてくると、アクシデントは年中のことだが、そこで起こる喜怒哀楽な感情も、笑いばかりの愉しいことになってくる。
ナニをやっても可笑しい、ナニが起きても可笑しい、そんな感じ。
他人の死や、自分の死の話ですら、笑えるようになる。
泣いたり悲しんだり、悔しがったり怒ったりがなくなって、すべてが笑ってしまうようになって来る。
・・・さ、俺はまだ生きて居る
若い頃に取っ組み合いや殴り合いの喧嘩をたくさんやって来てると、親になって手を挙げるにしても、手加減というものをするようになるし、ちゃんと逃げ道は残してやるようになる。
フォローもキチンと倍返しにしてやる。
いまの若い親はそういう経験が足りず、対人関係でキッチリと自己主張もしてないから、相手を認めたうえでの論争すら、上手く出来ないのが多い。
一人や二人の子供しかいない訳だから、余計に独創的な育児などおっかなくてできないし、その親自身、自信がない。
言い捨て、怒り捨て、産み捨て、乱暴捨て、酷い幼児性だろう。
逆に爺さん婆さんまで首を突っ込んできて、過保護という名の愛の押し売り。
そういう親に育てられた子供らは、可哀相なことになってるが、子は親を選べないし、血は争えない。
親がいても子は育つ、俺の口癖だが、周囲にそれを補う大人でもいれば良いが、そうでないケースが現代では多い。
どいつもこいつも、自己救済だけでいっぱいになってる大人社会しかない。
そういう時代に強く生き抜いた子供や若者たちは、大人になって自分にも厳しく、他人にも厳しく生きて行けるようになる。
そう考えると、素敵な時代には違いない。
俺が育った戦後のグチャグチャでエコノミック・アニマルな酷い時代と、よく似ている。
親にいつまでも反抗する無駄な時間を過ごすくらいならと、早くから家を出て独立し、自分独りで色んなことをやり、若い頃は親なんざ顧みなかった。
親孝行とは、もらった命を後悔なく、目いっぱい生きてみることだと、自分で結論を出していた。
あれをあげた、これをプレゼント、ナニをしてあげた・・・チンケなメディア奴隷、自己満足など興味なかった。
おかげで40歳を過ぎて、困ってる親の借金を肩代わりし、いろんな面倒が見てやれるようになった。
思っていた通りの、後悔の無い人生後半に入っている。
コロナごときの同じ人間が創り上げてるお子ちゃま騒動なんざ、屁みたいなもんだ。
・・・怖がる大人など一人もおらんわいな、笑って好きに生きていけや!
そうして、俺は俺で今日も忙しい。