身体障害者のスポーツについては、俺も5年前から障害者となり、山登りや山歩き、夏は太平洋での遠泳と、いろいろと自分で対応して遊び惚けているが、いつも想うことはなぜ?? 身体に障害を負って、ま~だ未練たらしく健常者のスポーツの猿真似を続ける必要があるのか?? そういうことだ。
単に金儲けの材料でしかなく、それで身売り切り売りして金が欲しいのならば、最初からそういう趣旨でやってます!とはっきり言うべきであって、そこをうやむやなまんま美化するような慈善事業は、哀れさ痛さしか見えない。
身体に障害をおったなら、障害者としてのスポーツ競技を考えるべきで、健常者の既存のスポーツ競技に未練たらしく前座の見世物・飾り物として登場してるのは、情けの無い話だ。
健常者だって深い思慮の出来ないものがほとんどだから、障害者なんて少数派では玩具にされてるのがオチだろう。
昔、女子プロレス全盛の頃、前座で小人プロレスやらがあったが、あれと同じ単なるヤラセの見世物だ。
俺ですらそうだが、すでに健常者よりも体力・精力は上回って戻ってしまった障害者は多く、それぞれにもっと凄い、障害を負った身体を使った遊びを続けているが、話題にすらならん。
パラリンピックなんざ、とっとと止めてしまうべきだ。
スポーツマン精神だとか、嘘くさい口上はもうエエから、金儲けにやってます!と、はっきり言うべき。
メンドクサイ猿ばかり。
冬の厳冬期に、○○の軍はこの峠を越え・・・とか、○○軍の何万という兵がこの山を越えて・・・とか、歴史にはいろいろと語られて飾られることは多いが、実際にそんな山々を何十年も登り歩いて検証も兼ねて遊び惚けてきた俺から言わしてもらえれば・・・机上の絵空事が真実に変えられて歴史はナニゴトも疑問も無く語り継がれる・・・という誇大妄想の性癖みたいなものが見えてしまう。
・・・売れればナンでも良いんだよ!・・・そういう含み笑いのヒソヒソ話には、
・・・あんたは実際に歩いてみたのか?・・・その一言で嘘はカタがつく。
カタがつく話の上に経年の目隠しという新雪が積もってゆくと、なんの考察もないまんまに、そのうえで歴史小説や伝説は人気を博し、ブームともなり、在りもしなかった歴史が真実のように義務教育の教科書にも載ってしまう。
阿呆ばかりやな。
・・・次に生まれたら、ナニナニになりたい! とか、これは今が後悔ばかりの欲求不満人間がよく口にする言葉で、あなたは次があったとしても、おなじことを言って生きて居る。
記録を残したい、思い出を残したい、モノを残したい、死んだ後に自分の爪痕を残したい人間もまた、おなじだ。
俺にはそういう感覚がまるでないから、今の自分がすべて、常に後悔しないようにといつも生きて居るから、明日ナニかをする約束などアテにはしないで、ならば今ここで始めよう! となる。
たいした用事もない癖に、それに今ここで即答できないのなら、お里が知れていると、サヨウナラ。
それが生きると言うことでもある。
その時その時を真剣に新鮮に生きてる人間は、根拠のあいまいな常識や良識やモラルなんてものは持ち合わせてなくて、生きてる自分は今しかないということを知っている。
魚の生息を観察する観測船が、電波を発し続けてることで、魚の生態が変わってしまってる。
お魚を探して研究する奴らのおかげで、お魚たちは大いに迷惑をしているという結末。
こういう人類の余計なお世話が、地球上の人間いがいの動植物の生態を変えてしまってる例は、枚挙に暇がない。
人間社会でも、こういう自作自演劇ばかりになってしまってるから、オジサンは退屈で退屈で、屁もでない。
そこでは愛護と称して動き出す詐欺師も多く、その為に予算と資金集めに蠢く政治家も多く、民間企業を抱き込んで、大きな詐欺話を作ってるのが国際機関という奴だ。
住めなくなった原因を作った連中が、移民を募って船に乗せ、受け入れしない国家を人道的に? 批難したり、国が経営破綻に陥ると、いろんな詐欺を始める訳だ。
貧しいアフリカの子供たちの、援助を待つストーリーなどは、すでにカビが生えてる自作自演劇。
今回のコロナ騒動は、メディアあげての自作自演とやらせの嘘が世界的に大暴露される前に、慌てて作り上げた壮大な自作自演劇だが、世界の覇権交代劇と資本主義経済の大転換が同時進行に進められている。
・・・もう、飽いたでよ~
ここの神は一匹で絶対の神だから、人間社会のことなんざ、屁みたいなコケ脅し、この頃はすべて興味なし。
金儲けも、コロナ不況の中でもせっせと作り上げたバブルでひと儲けして、いまは飽いてしまって興味も無い。
・・・ということで、とっとと雪のおりた氷点下の奥山を、のんびり歩き登ってくるわさ。