爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

孤立しない

2021-12-23 15:19:42 | 日記
沢山の人が、礼儀の作法をバカバカしい事だと、思う様になった。

近所の人にお辞儀をするのも億劫になって、すいすいと通り過ぎていく。

インターネットとメールとゲームさえ有れば、何も人間同士で頭を下げて、挨拶する事はないと思っている。

少し前の日本人は、そんなに深い交際はなくとも、ちょっと見知ってるだけで、笑顔を交わしながら「おはよう」「こんにちわ」と挨拶を交わした。

外国の人は、異口同音に「日本人は地球上で、最も礼儀正しい民族」と言っていた。

「礼を知らざれば、以て立つ事なきなり」と。

集団生活の中で、お互いが日常のさりげない礼儀を失うと、人は日毎に孤立化してくる。

れが出来ない人は、周囲の壁に囲まれ、孤立の辛さと苦しみに埋もれて、救いの無い人生を送る。

集団社会の中で、お互いが日常のさりげない礼儀を失うと、人は日毎に孤立化してくる。

社会がますます複雑化し多元化する中で、孤立化しても、その流れに器用に流れて行ける人はいい。

が、それが出来ない人は、周囲を壁に囲まれ、孤立の辛さと苦しみに埋もれて、救いの無い人生を送る。

集団社会の中に自分の人生を確立するには、まず「礼儀正しい」が鉄則である。

自分が人に嫌われるとは、人が自分から遠のく事である。

その時に、人と人との心の距離が遠のいてしまうのだ。

たとえ遠方にいても、心の距離がぴったりとくっついていれば、相手に好かれている。

たとえ、夫婦で近くにいても、心の距離が空いてしまうと、冷たくなってしまう。

冷たくなった人間関係を、劇的に変化させるのは、礼儀である。

自分が明るい声で「おはよう」と言えば、相手も挨拶してくれる。

周りが面白くない人ばかりだと思う前に、自分から笑って挨拶してはどうだろうか。






評価は自分で決める

2021-12-22 17:08:33 | 日記
恥ずかしい話である。

彼は若い頃、何とか自分の才能を、世の中の人に知って貰おうと思い、常に誇らしげに自慢をして、人からもてたい、誉めて貰いたいと彷徨い歩いていた。

人に認めて貰わないと、とても悲しかった、とても悔しかった。

いつも一番で居たかった。

人から見ると二番、三番どころか、最終ランナーで有ったにも関わらず、自分勝手で自分が一番だと思いたかった。

常に誰からも誉めて欲しかった。

誉めてさえ貰えれば、自分の貧弱な真価が判らないまま、益々驕り昂って他人を侮っていた。

若い頃の自分は、今から考えると「身の程知らず」で、我執高慢であった。

実力が無いくせに、他人に認められないと、すぐに腹が立って心が落ち込んだ。

孔子は、弟子たちにこう教えている。

「人の己れを知らざれるを思えず、己れの能(よ)くする事無きを思う」。

つまり、人が自分の事をよく評価してくれない事を恨み苦しむよりは、他人から高く評価される様な才能が、自分に無かった事を憂えて、自分の才能をしっかり磨く様にしなさい…と。

「明珠は掌にあり」ーこれは「碧厳録」にある禅語である。

私たちは小学一年生の頃から、他人の評価が良くなる様に、他人の評価に合わせて自分を改造しているうちに、自分の個性的な才能を見失ってしまっていた。

「明珠は掌にあり」とは、本当にキラキラ輝く宝の様な尊い才能は、自分自身の中にある、という意味だ。

自分の特性も宝である。

自分の健康も宝である。

自分の人柄も宝である。

他人の評価をあれこれ気にする前に、まず自分の宝を磨く。

脇目も振らず、まずは自分を完成していく事なのだが。








「頂きます」を忘れない

2021-12-21 07:50:24 | 日記
無差別の殺人、肉親殺し等の報道を見ていると、殆どが「えっ、あんなに真面目な人が?」「あんなに大人しい人が?」と、近所の人や友人がビックリしたと言う発言が多い。

真面目で大人しく、礼儀正しい人が、突然狂暴になってしまうのは、その真面目さの中に、大人しさの中に、礼儀正しさの中に、人を敬愛する心が無かったからなのだ。

彼らは生命の尊さなど、どうでも良かったのだ。

ただ、あまり口さえきかなければ、周りの人は、真面目で大人しいと思ってくれるから…。

頭さえ黙って下げていれば、礼儀正しい人だと言って、信用してくれるから…。

礼の外形はとっていたが、人を慈しむ「仁」の中身は何も無かった。

「礼をなして、敬せず」

今日に行われている礼の作法は、ご機嫌とりの形式だけに、終わっていないか。

礼にとってもっとも大事な事は、他人の生命を尊重する点にある。

カエルは虫を食べ、ヘビはそのカエルを食べる。

あらゆる動物は、自分の命を維持する為に、他の沢山の生物を食べる。

人の夕方の食卓にも、魚がある、豚がある、アサリがある。

そして、トマトも大根にも生命がある。

ことによると、人間が一番多くの生命を毎日三食頂いているのではないか。

人の体が、他の沢山の生命に依って養なわれている事を知っているのは、人間だけである。

その事を食事の度に感じていれば、絶対に突然狂暴になったりしない。









自由自在に生きる

2021-12-20 09:06:36 | 日記
孔子の一生はこうだ。

「我、十有五にして学に志す」
私は十五歳頃から、古典の人間学を勉強しようと決心した。

「三十にして立つ」
三十歳になった時に、私は天道や天徳について勉学する事を、一生のテーマにしようと決意した。

「四十にして惑わず」
四十歳の頃、名誉や地位、富貴についての惑いが襲い掛かって来たが、自分は自分の志した、天道や天徳の学問への研修を不動のものにした。

そして、五十歳…「五十にして天命を知る」

孔子は学問と瞑想によって、ついに天命を感知したのである。

天命とは、天徳であり天道である。

つまり、孔子は宇宙の根本的な生命の心理を、悟ったのである。

「六十にして耳順(した)がう」
天命を知るとどういう事になるか。

何を聞いても「ああ、そうか」と頷けるし、世の中の善悪の評価に心が動じなくなった。

「七十にして、心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず」
七十歳になったら、心の欲するままに行動しても、天道に外れる事がなく、常に仁徳の心と共に、自由自在に生きる事が出来たという事だ。

彼の七十代こそ、一切の価値を解脱した悟りの人生であった。

一休さんが森女を迎えたのは、七十七歳の時であった。

応仁の乱の兵火を避けて、盲目の美女の森女が酬恩庵(しゅうおんあん)の門前に立ち、細く美しい声で歌い「一休様の傍で、いつもお聞かせしとうございます」と言った。

戦火の中で旅芸人の森女は、寝る所を失い、涙にくれて生きていた。

一休は酬恩庵の中に招き入れ、森女を救った。

破戒僧として、大徳寺からも批判された。

弟子たちも去った。

世評も厳しかった。

が、一休は一切を超越して、天命の愛に生きた。


「都合」を押し付けない

2021-12-17 18:39:40 | 日記
自分の事ばかりを考えていた人が、他人の事を深く思いやれる様になると、いっぺんに生活態度が、明るく変わってくる。

夫が自分が働いて得たお金は、無駄なくコツコツと貯めたいのに、妻がチョコチョコ出掛けて行っては、洋服や化粧品を買ってくる。

「お前また、こんなものを買ってきたのか、ムダ遣いはよせツ」

「これくらい、いいでしょう。バーゲンセールでとても安かったんだからツ」とたんに二人の間が、ギクシャクしてくる。

子供を産んで育てる。

楽しい事もあろうが、苦労も多い。

日に三度の食事を作る。

掃除、洗濯もする。

保育園のお母さんたちとも、付き合わなくてはならない。

その上にパートにも出掛ける。

いつも大変な気苦労もしているのだから、たまには気晴らしのショッピングもしないとね…と思えば「ヘーツ、こんなに素敵な洋服が、こんなに安く買えて、良かったね」となる。

「大徳は閑をこえず」

大徳とは、天地自然の大きな仁(おもいやり)の心を持って、人を慈しんで生活する事をいう。

大徳の人は、どんな時でも人を思いやって生きるという根本を踏み外さないから、日常生活での応対に失敗する事はない。

理屈ばかりこねて、一人よがりになってしまう人は、歳をとると認知症になりやすい。

ところが、その人が妻や子やお孫さんに、笑顔で優しく語りかけ、人の為に行動し始めると、ボケが治るという。