問題はない
そう それはそう
問題にする意識があるから
それが問題になる
たとえば A と B と C という人がいる
A と B との間で 感情的なもつれを含め 問題がそれぞれに発生する
それぞれの思いが交錯する
そして C がそのもつれの原因とも言えそうな 重要な現実的なふるまいが
あるとする
C は A と B との間の問題であるという
A と B が それぞれ問題にするから問題になるのだという
そうだろうか 本当にそうだろうか
A と B との間の問題であると感受するあるいは判断するCの問題は
C のなかでは成立しないのだろうか
都合のよい風に理解しようとしてないだろうか
それは C の問題も成立しうるとする亀の意識の問題なのだろうか
そう それは そうなのである
亀の問題意識なのである
で
カウンセリングでは プロジェクション(投影) という視点が
とても重要な位置をしめている
自己受容という視点がとても重要な位置をしめている
で
亀は更に思う
ロジャースに端を発した非指示的なやり方、方法の中に込められている
人間理解への本質的な意味とは
カウンセリングの場面では
こちらがどう思っているのか、どう感じているのかが重要なのではなくて
相手がどう思っているのか 感じているのかに焦点があてられる
いわば自己意識を無化して相手の鏡となる
どれだけ鏡たりえるかが問われていく
そして 日常の人間関係はキャッチボールである
それぞれの鏡でありながら それぞれの思いでもある
それぞれがボールを投げ合う
ボールを受け止めていると思えるその意識性こそが
ボールを投げているのだと亀には思える
鏡たりえていると思えている意識性こそが
エゴの匠の技なのではないかと
そんなふうに思えている
問題は何もないよと思える意識性こそが
エゴの真骨頂であると そんなふうに亀は思う
これは今の亀の思いである
亀もプロセスなので
誰もが多分 プロセスなので
交錯する意識性が現実に作用し形作られる
展開はわからない 読めない
何かにおまかせする他ない
亀はこのプロセスの中で心痛んだ
今も痛み続けている
亀はひっぱる
亀の資質はそこにある
本当に納得するまで 腑に落ちるまで引っ張り続ける
外側に起きていることではあるのだが
自分のなかでは内側のこととして観ていっている
内も外も繋がっている
そして内と外とは分離されている
それが同時進行で起きている
それぞれの生身の課題をかかえながら
それぞれが その本質を生きようとしている
自覚しているかいないかは別としても どこまでも けなげでいとおしい
で、で
チャンネルを切り替える
おふざけがしたくなった
亀の集中力は30分位しかもたない
なので なので
ふざけさせて
リラックスさせて
お願い
あんなー
亀ってなー
生命力ないんで
誰か注入して~
ラブ注入~~~
とかやってほしい
あんな~
あんな~
亀ってな~
甘えん坊なんで~
そんでもって ひねくれたおしているんで~
どうでもいいことかも知れないけど
生身って不思議だよね
本当にそう思うよ
みんな違っているもんね
わけわかんな~い とか思うもんね
最近亀って変な人とか言われちゃったし
う~ん
変なおじさん 変なおじさん (志村けん か!)
![イメージ 1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/b3/f6b7ae252c39fbe857d964466a4c5994.jpg)