ちゃらんぽらん亀のなんでもあり

お笑い中心のおバカなブログです

なんか いろいろあるね~

2014-02-07 18:55:51 | 無題
 
そもそもの存在のシステムは どうして発生したのだろうか
 
在るとか無いとかは 一体 だれが 作ったのだろうか
 
これは 卵が先か 鶏が先かの問いに似ている
 
たどりたどって どこに行きつくのだろうか
 
意味を求める旅も 在るということが前提となって 意識が前提となっている
 
在ると無いとの違いは まだよくわからない
 
亀的には意識は意識エネルギーとして存在すると思っている
 
この肉体が死という各個人にとっては避けがたいイベントを通して終わるにしても
 
何かそれで ジ・エンドという風にはなってない仕組みがあるらしい
 
その仕組みとは 輪廻転生という言い方やなんかで表現されているけれど
 
逆に言えば輪廻転生という枠組みの中での真実ともいえそうだ
 
人はというか 自分もそうだが 
 
ようやっと辿り着いた地点が本当の真実だと思いたがる
 
そして それは無理のないことでもある
 
宇宙の壮大なドラマの中での ほんのひとこまの中での真実を生身で生きていて
 
別の視点からみれば それが夢・幻なのだともいえるので
 
ことはそう簡単にはすまないことになっている
 
それでも それぞれの個々の生身は それぞれの個々の意識は
 
信じることなく 疑うことなく 理解していく道が自由への唯一の道だと
 
思えてならないのだ
 
果てしない自由への道がふるさとへ辿り着く道なのだと思えるのだ
 
 
 
雨の夜

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霧の夜

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話は変わるけど つい最近 なんとかいう音楽家の影武者騒動が起きている
 
亀は彼のドキュメンタリータッチの映像もみたり 音楽も聴いていた
 
最初その報道を聞いた時 少なからぬショックを受けた
 
いくらなんでも それはやばいんじゃないのっていう感じで
 
まだまだ 自分は甘っちょろいんだな~って思ってしまった
 
現代のベートーベンだとも もてはやされてた人物に影武者がいたこと
 
東日本大震災の応援歌としても広まり
 
ドキュメンタリー番組で母親を津波で失った少女との魂の交流ともいえる姿に
 
心打たれ それは 天使の姿であった
 
少なくとも日本人にとって あの 3・11は どんな立場であれ
 
そう簡単には折り合いのつかない出来ごとだし
 
今もって いろんな人が抱え込んでいることである
 
そのなぐさめとして その希望としても 語りつがれる音楽であったのに
 
本人自身の絶望の中で その絶望をくぐりぬける音楽として生まれたはずなのに
 
そうして生まれたという情報を知るかぎりの人にとっては
 
それはまさに福音のメロディーとしてあったのだと思う
 
彼は誰を裏切ったのか 影武者は誰を裏切ったのか
 
彼等は一体悪魔なのか天使なのか
 
 
亀は彼等を悪魔だと呼ぶ前に
 
人はだれでも悪魔にも天使にもなれるんだということを
 
肝に銘じる必要があるんだと あらためて感じた
 
それが 今の亀の精一杯の理解
 
自分のなかの天使と悪魔をちゃんと自覚しなくちゃと感じた
 
天使と悪魔は紙一重
 
天使の苦しさ 悪魔の苦しさは 本当に紙一重
 
同じことの裏表として 今は理解するほかない
 
 
 
アジの開き
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(神もどきちゃん) じゃ~さ~ 今夜はアジの開きでお開きにしましょ
 
(ちゃらんぽらん亀) こ、こんな おちでいいのか?
 
(くろっぺ) なんくるないさ~