個人の意識の仕方、認識の仕方は人それぞれなので
それは ほとんど各人の好みに任されることになる
自分にとっての真実、本当のことが 人にとっても本当のことかどうかは
わからない
自分を相対化にさらし自分の中で 被告席、原告席、裁判官席に登場させ
吟味する必要がある
それでも本当のことはよくわからない
思い込みや決めつけを排除しても本当のことは遠ざかるばかりだ
僕らが示せるのは自分自身のこだわり
ゆるがせに出来ない気持ち
体験した者が体験したがゆえにかかえこんでしまう
切なくやるせなく いとおしいまでの気持ち
気持ちと言葉の間にある乖離はどこまでもつきまとう
自分自身との乖離が他者との乖離に連動する
自分自身にたどり着きたいのに
いつまでも自分自身にたどり着けないまま他者と連動しようとする
亀がいまいる場所は 自分自身にも他者にもたどりつけない
そんな場所だと思ってもらいたい
自分自身にたどりついた人にはおめでとうといいたい
気持ちや意識を含め自分は自分だと感受できるのだから
亀は少しだけ脇道にそれているので
それがなぜだかいまだによくわからないのだけど
そんな姿をさらしていくほかない
(神もどきちゃん) 亀ちゃん!
(亀) ん?
(神) どうしてそんなに真面目になろうとするの?
(亀) だってさ~
(神) だって 何よ!
(亀) 真面目ってちょっと何かじゃん!
(神) どういうことよ?
(亀) 亀ってちゃらんぽらんであんぽんたんで売っているけど
そ、それだけじゃないんだぞいいたいんじゃ
(神) そのへんが亀ちゃんのどうしようもないとこよね
(亀) だ、だってさ~ちゃらんぽらんであんぽんたんだけって
さみしいじゃん!
(神) 亀ちゃんって さみしがり屋なの?
(亀) うんにゃ! さみしがりやというのは言葉の綾
いついかなるときも孤独であることが大前提
孤独であるとわかったうえで人と繋がろうとするんだよ
(神) それをさみしがり屋というんじゃない?
(亀) そ、そ、そ~なんか? 亀はさみしがり屋なんか?
(神) そうよ 本当は亀ちゃんさみしがり屋なのよ
さみしがり屋の亀ちゃん自身をちゃんと抱きしめなさい
(亀) え~え~ 亀自分のことさみしがり屋なんて思ったことないよ
(神) それはまだ 亀ちゃんが亀ちゃん自身に出会ってないからよ
自分自身にくつろいでいれば言葉なんて必要ないでしょ
(亀) 亀は~亀は~
(神) 亀は何よ!
(亀) 神もどきちゃんが大好き!
(神) ・・・・・・・
(亀) ・・・・・・・
(神) ・・・・・・・
(亀) ・・・・・・・
(くろっぺ) くろっぺのことは?
(亀) 大 大 大好きに決まってるじゃん
(くろっぺ) えへへ 亀ちゃんは自分のこと好きなの?
(亀) そ、それは
(くろっぺ) それは?
(亀) す、好きに決まってるじゃん!
「好きよ好きよ大好きよの歌」
(亀、神、くろっぺ) ♪好きよ~好きよ~なぜ~か~♪
♪なぜ~か~好きなのよ~♪
♪理由なんていらないの~♪
♪好きなんだも~ん なぜ~か~♪