過去もなく 未来もなく そして 今もなく
時という知恵の輪をはずそうとして
もう どれくらいの時間が流れていったのだろう
知恵の輪が幻想なのだとしたら
ここは だれが 住むところなのか
尋ねて旅してるはずなのに 尋ねられる場面に遭遇する
ありがとうという言葉の意味など知らなくていい
ありがとうという想いがあればいい
ずいぶん歩いてきた
ありがとうという言葉の意味を知った
だが ありがとうという想いに一体いつ たどりつくのか
からまった 時の記憶を ときほぐそうとして
からまった 思いの記憶をときほぐそうとして
今が どんどん遠ざかっていく
なぜ?と問うてしまう波のまにまに
ふと 姿を現す影
あなたはだれ?
と 問うた瞬間 影が姿を消す
どうしても生きたいのなら
一度 ちゃんと 死になさい とささやく声
私は 今 どこにいるのだろうか
何度この問いをすれば気がすむというのか
光のうたを うたう日がくるのを
本当に約束されているのか
今 笑えない 笑いたくない 笑わない
笑いを封印して十数年
封印を解いて まだ 一か月もたたないのに
また 封印しようとする自分がいる
この私を 私は 受け入れるか
不器用にしか生きない私を
私は 受け入れるのか
どんな思いも しかと受け止めることをしない自分を
私は受け入れるのか
亀のような歩みで もつれた糸を丹念に 解きほぐそうとして
ちょっとしたことで また 心の糸が 更にもつれてしまう
そんな自分を私は受け入れるのか
あまりにも もろい 自分を わたしは受け入れるのか
「受け入れるよ」 という声 が かすかに聞こえる
「受け入れないと始まらないよ」 という声と共に
年老いた亀は自問する
もう いいのではないか
もう 充分に おつりがくるほど 生きてきたではないか
孤独を解き放つのは 次の生でいいのではないか
全てが繋がっていることを実感するのは 次でいいではないか
また かすかに声が聞こえてくる
「次でいいのではないかという想いも そのまま 受け入れてください
わきあがる 思いを そのまま そのまま 受け入れてください」
「肯定するすることも 否定することもなく
ただ ただ 受け入れてください」
「あなたは あなたなのですから どんなあなたも あなたなのですから」
時という知恵の輪をはずそうとして
もう どれくらいの時間が流れていったのだろう
知恵の輪が幻想なのだとしたら
ここは だれが 住むところなのか
尋ねて旅してるはずなのに 尋ねられる場面に遭遇する
ありがとうという言葉の意味など知らなくていい
ありがとうという想いがあればいい
ずいぶん歩いてきた
ありがとうという言葉の意味を知った
だが ありがとうという想いに一体いつ たどりつくのか
からまった 時の記憶を ときほぐそうとして
からまった 思いの記憶をときほぐそうとして
今が どんどん遠ざかっていく
なぜ?と問うてしまう波のまにまに
ふと 姿を現す影
あなたはだれ?
と 問うた瞬間 影が姿を消す
どうしても生きたいのなら
一度 ちゃんと 死になさい とささやく声
私は 今 どこにいるのだろうか
何度この問いをすれば気がすむというのか
光のうたを うたう日がくるのを
本当に約束されているのか
今 笑えない 笑いたくない 笑わない
笑いを封印して十数年
封印を解いて まだ 一か月もたたないのに
また 封印しようとする自分がいる
この私を 私は 受け入れるか
不器用にしか生きない私を
私は 受け入れるのか
どんな思いも しかと受け止めることをしない自分を
私は受け入れるのか
亀のような歩みで もつれた糸を丹念に 解きほぐそうとして
ちょっとしたことで また 心の糸が 更にもつれてしまう
そんな自分を私は受け入れるのか
あまりにも もろい 自分を わたしは受け入れるのか
「受け入れるよ」 という声 が かすかに聞こえる
「受け入れないと始まらないよ」 という声と共に
年老いた亀は自問する
もう いいのではないか
もう 充分に おつりがくるほど 生きてきたではないか
孤独を解き放つのは 次の生でいいのではないか
全てが繋がっていることを実感するのは 次でいいではないか
また かすかに声が聞こえてくる
「次でいいのではないかという想いも そのまま 受け入れてください
わきあがる 思いを そのまま そのまま 受け入れてください」
「肯定するすることも 否定することもなく
ただ ただ 受け入れてください」
「あなたは あなたなのですから どんなあなたも あなたなのですから」
でも、たまにできてることありませんか?
ブログに書いてるの見てると。こじははは、そんな気がします。
最初の文章書いてる気持ちから、最後の方の文章の気持ちでは徐々に肯定的になってますよね。
私は書いてアウトプットするのって、好きです。なんだか気持ちが整理されるし、落ち着いてきます。
亀さん、笑うこと封印してたんですね。
十数年も。。。。。
封印せっかく解いたのに、また封印するんですか?
封印したら、もう亀さんの面白いブログ読めないのかな?
それはこじはは寂しいけど。。。。。
でも、亀さんの選択に任せます。
でも、でも、また気が変わったら封印といてください。
こじははより。
亀さんのことば、深いですね…。
つい最近まで、あたしは、『すべてを受け入れる』事が、出来なかったんですよね。
でも、亀さんの文字と、花火みたいな絵を観ていたら、少しずつ、穏やかになってゆく自分を、感じることが出来ました。
また、お邪魔させて頂きますね♪
「ええん会」に夫婦で出席した者です。
心がやすらぐ絵ですね。ずっと見ていてもあきません。
次作品を楽しみにしています。
PS:ポポはカリン塔の上空にある、自分の神様の所に帰りました。きっと時々空から覗いていると思います。
神秘的でステキ。
自分の感情、思い、学んできた知識、体感したこと。
すべてのバランスは上手くなかなか取れないものなのかな。
「こうすればいい」
知識ではわかってても、自分の気持ちがそこに向けないジレンマ。葛藤。
なんか、そういったものを、いつも亀さんのブログから感じます。
(私が、勝手に。多分、私がそういった状態なのかな?)
違ってたらごめんなさい。
今ある自分を、認めるまでは無くても、受け入れる。
今、私のテーマです。
その後お元気でおくらしでしょうか
わたくし もうしばらく 笑いなしで過ごせると思っていたのですが
ゆみみとこじははにまんまとしてやられました
私の言葉 深いんではなく深いっぽく偽装してあるだけです
もうしばらくすると すぐみやぶることができます
でも みやぶってもしらんぷりしていてくださいね
まだ2年しかたっていません。
先生のところの学習会に参加するまでは、
自己があることを知っても、どう向き合えばいいのかわからないままだったので、
実質、自己に向き合いだしてからは数か月しか経っていません。
だから、思春期真っただ中のような中年です。
亀さんは、とても長い年月をかけて
自分自身と対峙し、答えを見つけようと頑張ってこらたのですね…
苦しいことも多かったのでしょうが、
その年月は、素直に「すごいなぁ」と思いました。
笑えないときに笑うのは、とっても辛いです。
それが辛いことなんだ、と知った今は、
笑えないときに笑おうとすれば 涙が出てきちゃいます。
自分で言うのもなんですが、今は そんな自分が愛おしいです(^^ゞ
亀さんは笑っていなくても、穏やかな表情をされていると思います。
心の内は笑っていないのでしょうが、
笑えないことを知っているからこそ、
逆にできる表情があるのかもしれないなぁ、
と この日記を読んで思いました。
ゆみみのブログなどで名前はぞんじあげておりました
私のつたない絵 ほめていただきありがとうございます
心のなかで やったーって叫んでしまいました
それからポポ様にお伝えしておいてください
大変失礼なコメント返しをしてしまい心よりお詫び申しあげますと
おいらの深刻さ中断してくれてどうもね
おいらが神秘的でステキなんじゃなくて絵ね
あっそう はいはい お達者でね
実をいうとわたくしは肝心なところが少年期まっただ中なんです
これは本当です みんなすごーく大人にみえます
思春期真っただ中の人がいるとすこしほっとしてうれしくなりました
笑いには何度も何度も助けられました
はるかはるか若いころ死がすぐそばにあって心の中でのたうちまわっていた時ふと見たお笑い番組にどれほど救われたことか
いまでもお笑い番組中心にテレビを見ているしまつです
そのうち ひろさんにも ふざけたつっこみをするようになるかも
しれませんが無視してください
おお泣き野郎とおふざけ野郎
ということで今後ともよろしくです