お陰様で脚の骨折がだいぶ治って来たので、暗い世相の中にもささやかな祝宴をしようと思う。
病院帰りに買った薔薇を抱えて気分は上々だ。
例によって客も居ない独宴だが、我が楽園の花の精達が共に祝ってくれるだろう。
帰宅して窓辺の光に置いた花を眺めながら、晩餐の趣向を考えるのも楽しい。
宿痾である血糖値の呪いでどうしてもメニューは質素になるが、卓の設えだけは格調高くしたい。
薔薇の名をめぐる哲学論争(既出)の歴史などを思えば、宴席の精神性も自ずと高まる。
また中世イコノロジー(図像学)では薔薇は「秘密」の暗喩となっていて、その宴は人知れず密やかに仕るのが奥伝だ。
主役が薔薇なら器は英国アンティークのピューター(錫器)を使い、中世風の肉とスープとパンで質実剛健に行こう。
花もたまにはフローリスト調に束ねてみよう。
ピカピカの銀食器は現代では安物のステンレスと大差無く見えるので、昔は貧者の銀と言われていたピューターの重厚な錆色の方が隠者好みだ。
献立はローストビーフにハーブ入りソーセージとアスパラ添え、鳥肉団子のトマトスープと低糖質のバケット(食べるのは一枚だけ)だ。
加えてアペロに薬用酒のピコンを舐める程度で、私としては十分豪華な晩餐なのだ。
実際の中世の隠者だったら、年に一度の御馳走レベルだろう。
古い金属器の無骨さが、鈍った身体に強靭な活力を与えてくれる気がする。
世界中の苦難に喘ぐ人達を考えれば、楽しんでばかりではいられない。
そこで私も黒死病禍の中世修道院を思わせる仄暗い薔薇垣の小径を選び、人目を忍びながらリハビリの早朝散歩を続けている。
写真全体の暗褐色が如何にも受難に耐えている感じだ。
花の色だけに僅かな希望が宿っている。
その希望を頼りに、来週はもう少し負荷をかけたトレーニングにも耐えられるようになりたい。
©️甲士三郎